聖水が「無味無臭」というだけで能無しと追放された聖女ですが、前世が化学研究者だったので、相棒のスライムと辺境でポーション醸造所を始めたら、王都の高級品より売れてしまい今更戻ってこいと懇願されています
☆ほしい
第1話
「聖女エリアーナ、お前は本日をもって聖女の任を解く。そして王都から追放する」
玉座の前で、冷たい声が響いた。
声の主はアステル王国の王太子、アルフォンス殿下である。
磨かれた大理石の床にひれ伏す私に、その言葉は遠い世界の出来事のようだった。
信じられない、という思いが体を支配する。
何かの間違いでは、ないだろうか。
そう考えたかった。
「な、なぜでございましょうか」
震える声で、尋ねるのがやっとだった。
「私はこれまで、聖女として国に尽くしてきたはずです」
私の訴えを、殿下は氷のような目で見下ろした。
その視線には、昔の優しさはかけらもなかった。
あるのはただ、汚いものを見るような冷たい気持ちだけだ。
殿下の隣には、新しい聖女リリアがいた。
彼女は勝ち誇った笑みを浮かべ、殿下に寄り添っている。
リリアは私の後任として、神殿に入ったばかりの後輩だった。
いつの間にか、殿下の隣が彼女の場所になったのだろう。
「尽くした、だと。笑わせるな」
アルフォンス殿下は、心からおかしそうに鼻で笑った。
「お前の生み出す聖水は、味も匂いもないただの水だ。何の奇跡も起こせぬ、役立たずめ」
「そ、そんなことはありません。私の聖水は、すべてを浄化する力を秘めています」
「日々の清めの儀式に、欠かせないもののはずです」
「黙れ、言い訳は聞き飽きた」
殿下の怒鳴り声が、広間に響き渡る。
「真の聖女とは、リリアのような者を言うのだ。民の心を掴む、華やかな奇跡を起こせる者こそがな」
アルフォンス殿下がリリアの手を取ると、彼女は可愛らしくうなずいた。
そして、その小さな手のひらに聖なる力を集中させる。
ふわっと、甘い香りが広間に満ちていく。
リリアの手のひらから光があふれ、見る間に一輪の美しいバラが咲いた。
花びらは淡い光を放ち、見る者の心を癒す「祝福のバラ」だ。
それは、まさしく奇跡と呼ぶにふさわしい光景だった。
「見ろ、これこそが聖女の起こす奇跡だ」
殿下は、満足げにそのバラを指し示す。
「民衆に分かりやすく、そして何より華やかだ。誰もが、聖女の技だとあがめるだろう」
「それに比べてお前は、地味で効果も分からぬ水を出すだけ。どちらが聖女にふさわしいか、言うまでもない」
周りにいる貴族たちも神官たちも、誰も私をかばわない。
彼らは皆、リリアの華やかな奇跡に心を奪われていた。
そして私の地味な聖水を、不要なものとして扱ったのだ。
かつて私の聖水に感謝し、その浄化の力を褒めていた神官長さえも。
今は、冷たい視線を私に向けるだけだった。
誰もが新しい、分かりやすい奇跡に夢中になっていた。
「私の聖水は、万物を浄化する力を持っています」
それでも、私はあきらめきれずに訴えた。
「目には見えなくとも、確実にこの国を支える土台なのです。どうか、お分かりください」
「まだ言うか、この出来そこないが」
アルフォンス殿下の我慢は、ついに限界に達したらしい。
「お前の存在そのものが、国の恥だ。すぐに王都から立ち去れ。二度とその顔を見せるな」
殿下の怒鳴り声が、最後の合図になった。
控えていた衛兵が二人がかりで、私の両腕を乱暴に掴む。
抵抗することなど、できそうになかった。
私は引きずられるようにして、慣れ親しんだ広間を後にする。
最後に見たのは、リリアの馬鹿にしたような笑みと、殿下の冷たい横顔だった。
その光景が、私の頭に焼き付いて離れない。
聖女としての地位や、神殿の豪華な部屋。
わずかな私物や、大切にしていた聖典。
そのすべてを、取り上げられた。
私に残されたのは、今着ている質素な服だけ。
それと、革袋に入ったわずかな銅貨だけだった。
まるでゴミを捨てるかのように、私は王都の門から追い出された。
分厚く重い門が、私の背後でゆっくりと閉まっていく。
ごう、という重い音が響き渡った。
それは私の人生の、第一章の終わりを告げているようだった。
これから、どこへ行けばいいのか。
孤児院で育った私には、帰る家も頼れる人もいない。
聖女に選ばれた時、これでようやく私の人生も報われると信じていた。
すべては、はかない夢だったのだろうか。
あてもなく、ただひたすら南へ向かって歩いた。
王都から遠く離れれば、どこか穏やかに暮らせる場所があるかもしれない。
そんなかすかな期待は、すぐに打ち砕かれた。
「おい、見ろよ。あれ、追放された聖女様じゃないか」
街道を歩いていると、すれ違う商人たちのひそひそ声が聞こえる。
「ああ、能無しの聖女だろ。リリア様と違って、ただの水を出すだけだったって噂の」
「国をだましていたんだ、とんだ偽物だよ」
噂は、風よりも早く広まっていた。
私が聖女の役目を解かれた話は、尾ひれがついて国中に伝わっているようだ。
街道沿いの村や町に入るたびに、私は好奇と軽蔑の視線にさらされた。
子供たちは私を見つけると、面白がって泥の塊や石を投げる。
大人たちは、汚いものを見るような目で私を遠巻きにした。
そして、地面に唾を吐きかけた。
宿屋に泊めてもらおうとしても、事情を話す前に追い出される。
「偽物の聖女様なんか、泊めるわけにはいかないよ」
そう言って、主人に塩をまかれたこともあった。
食べ物を買おうとしても、店主はわざと値段を上げてくる。
私のわずかな銅貨を、容赦なく奪い取っていった。
かつて「聖女様」と笑顔で手を振ってくれた人々が、今は憎しみの視線を向けてくる。
その態度の変化が、私の心を少しずつ弱らせていった。
数日もすれば、手持ちの銅貨はなくなる。
空腹と終わらない疲れで、足取りは鉛のように重くなるばかり。
雨が降れば、大きな木の根元で体を丸めた。
震えながら、寒さに耐えた。
かつて聖女と呼ばれた面影は、もうどこにもないだろう。
泥と雨に汚れた服を着て、痩せた体でふらふらと歩く姿は物乞いのようだ。
なぜ、こんなことになってしまったのか。
私は、真面目に祈りを捧げてきたはずだ。
聖女の務めを、一日も怠ったことはない。
それなのに、結果はこれだった。
華やかな奇跡を起こせなければ、聖女ではないのか。
目に見える効果がなければ、私の力は無価値なのか。
私の浄化の力は、本当にただの水と同じだったのか。
悔しさと悲しさと、行き場のない怒りが胸の中で渦巻く。
けれど、そんな激しい感情も、強い空腹の前では力を失っていく。
生きるために、森の中をさまよい歩いた。
食べられそうな木の実や、草の根を探す。
だが植物の知識がない私には、どれが毒かどれが食べられるか見分けがつかない。
数日間、まともに口にできたのは、ぬるい川の水だけだった。
そしてついに、私の体は限界を迎えた。
ぐらりと視界が大きく揺れ、ひざから力が抜ける。
私はそのまま、冷たく湿った地面に倒れ込んだ。
薄れていく意識の中で、これまでの人生が頭を駆け巡る。
孤児院でのつつましい暮らしや、聖女に選ばれた日の喜び。
王都での華やかだが、どこか息苦しい毎日。
そして、アルフォンス殿下の冷たい声と、リリアのあざ笑う顔。
ああ、私はここで死ぬのか。
誰にも知られず、看取られることもなく、こんな森の中で獣のえさになるのか。
なんて、あっけない人生だったのだろう。
そう思った、瞬間だった。
頭の中に、雷が落ちたかのような強い衝撃が走る。
知らないはずの光景が、滝のように脳へ流れ込んできた。
白い壁に囲まれた、清潔な部屋。
ガラスの器具が、整然と並ぶ実験机。
複雑な化学式が映る、モニターの光。
鼻をつく、薬品の独特な匂い。
そして白衣を着て、フラスコを振る一人の女性の姿。
私は、誰だ。
私は、エリアーナ。アステル王国の聖女だった。
違う、私は佐伯莉緒だ。日本の製薬会社で働いていた、化学研究者だ。
そうだ、思い出した。
私は働きすぎて倒れて、それで死んだんだ。
そして、この世界にエリアーナとして生まれ変わった。
赤ん坊からの記憶が、前世の記憶と混ざり合う。
一つの人格を、形作っていく。
聖女エリアーナとしての十七年間の人生と、研究者としての三十数年間の人生。
それが、脳内で急速に一つになっていく。
あまりの情報量に、混乱と驚きで自分の状況を忘れていた。
だが、喉の強い渇きと痛みが、私を現実に引き戻す。
「み、ず」
かすれた声でつぶやき、私は最後の力を振り絞った。
手のひらに聖なる力を込めると、いつもと同じように水が湧き出してくる。
王都では「能無し」と、ののしられた無味無臭の水だ。
それを口に含んだ瞬間、私は驚いて目を見開いた。
この味は、いや、味がしない。
金属の味も土の味も、有機物の味も、何もかもがない。
純粋な、あまりにも純粋な水の感覚。
前世の記憶が、この水の正体をはっきりと告げていた。
これは、ただの水なんかじゃない。
「不純物が、一切ない。イオンも有機物も、微生物も」
「これは、H2Oそのものではないか」
化学的に、完璧なまでに純粋な水。
前世の私が研究室で、高い費用と手間をかけて作っていた「超純水」と全く同じものだ。
「なんてこと」
私は、言葉を失った。
こんな貴重な物質を、私は装置も使わずに自分の力だけで無限に生み出せていたのか。
この世界の誰も、この水の本当の価値を理解していなかった。
私自身でさえも、今この瞬間まで。
超純水は、あらゆる物質を溶かす最高の「溶媒」だ。
そして、化学反応を邪魔する不純物がない。
物質の持つ効果を最大限に引き出す、最高の「触媒」にもなる。
「ポーション」
私の口から、無意識に言葉がこぼれた。
この世界のポーションは、品質が悪いと聞く。
製造法は秘密にされ、非常に高価で、副作用も多い。
それはきっと、材料の不純物を取り除く技術が未熟だからだ。
もし、この聖水、この超純水を溶媒として使えばどうなる。
薬草に含まれる有効成分を、余すことなく完全に抽出できる。
不純物が混ざらないから、副作用の心配もない。
効果は、今までのポーションとは比べ物にならないはずだ。
「作れる、私なら究極のポーションが作れる」
絶望の底で、一条の光が差し込んだ。
それは聖女の力と、化学研究者の知識が合わさった瞬間に生まれた希望の光だった。
私の力は、この世界を変えられるほどの力だ。
アルフォンス殿下と、リリアの顔が頭をよぎる。
私を役立たずと決めつけ、追放した者たち。
いつか、必ず見返してやる。
生きるための目的が、はっきりと定まった。
私は、この辺境の地で生きていく。
ポーションを作る人として、新しい人生を始めるのだ。
私はゆっくりと体を起こした。
空腹も疲れも、まだ体には重く残っている。
けれど、心の中には確かな情熱が宿っていた。
まずはこの森を抜けて、近くの町まで行かなければならない。
そして、ポーション作りのための材料と道具をそろえるのだ。
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