第2話
森を抜ける道すがら、私は前世の知識を使い、使えそうな植物を探した。
この世界の生態系は、日本のものとはもちろん違う。
しかし、植物の分類には共通点があるはずだ。
葉の形や茎のつき方、花の匂い。
そして、生えている場所の環境。
それらを頼りに、熱を下げる効果のありそうな葉や、傷の治りを早める樹皮などを集めていく。
聖水を少しだけ出して、集めた植物を丁寧に洗う。
超純水での洗浄は、表面の土や微生物をきれいに洗い流す。
これだけでも、素材の品質はかなり上がるはずだと確信した。
数日かけて森を歩き続け、ようやく私は一つの町に着いた。
町の入り口に立つ古い看板には、「フロンティア」と彫られている。
その名の通り、王都の洗練された雰囲気とはまるで違う。
荒々しくも、活気のある空気が漂っていた。
屈強な冒険者たちが、大きな武器を担いで通りを歩いている。
まずは情報収集と、集めた薬草を売る必要がある。
私は町で一番大きく、人の出入りが激しい建物。
冒険者ギルドの、扉をたたいた。
重い木製の扉を開けると、酒と汗の匂いが混じった熱気が顔をたたく。
昼間なのに、ギルドの酒場は冒険者たちの声で騒がしかった。
その騒がしさに少し驚きながらも、私は受付へとまっすぐ向かった。
受付の奥には、顔に大きな傷跡がある強面の男が座っていた。
年は、四十代くらいだろうか。
分厚い胸板と、丸太のように太い腕。
彼が、ただの受付ではないことを示していた。
「よう、嬢ちゃん。ギルドに何の用だ。依頼か、それとも冒険者登録か」
男は、私のみすぼらしい姿をちらっと見た。
そして、少し面倒くさそうに言った。
「あの、薬草の買い取りをお願いしたいのですが」
私はおそるおそる、背負っていた布袋を受付の上に置いた。
男は、不思議そうな顔で袋の中をのぞき込む。
そして、少しだけ目を見開いた。
「ほう、こいつはなかなかの品だな」
彼は薬草を一つまみ取り上げ、慣れた手つきで品質を確かめている。
「状態がいい、洗い方も完璧だ。どこで採った」
「町の外の森です。自分で使う分以外を、お売りしたいんです」
「ふーん、あんたは薬師か。にしては、身なりが妙だが」
ギルドマスターは、私を値踏みするようにじろじろと見る。
その視線は鋭く、うそはつけそうになかった。
ここで元聖女だと言えば、面倒なことになるだろう。
「ただの、旅の者です。少しだけ、薬草の知識があるだけで」
「そうか、まあいい。買い取ってやる、銀貨三枚でどうだ」
示された金額は、思ったよりも高かった。
この世界の貨幣価値は、まだよく分からない。
大銅貨十枚で銀貨一枚、大銅貨一枚で硬い黒パンが一つ買える。
銀貨三枚あれば、数日は十分に生活できるだろう。
「ありがとうございます。それで、もう一つお聞きしたいのですが」
「なんだ」
ギルドマスターは、金貨を数えながらぶっきらぼうに答える。
「この町で、ポーションは手に入りますか。できるだけ、品質の良いものが欲しいのですが」
私の言葉に、ギルドマスターは顔を上げて鼻で笑った。
「品質の良いポーション、だと。嬢ちゃん、そりゃあ無理な相談だ」
彼は、あきれたように肩をすくめる。
「この町で手に入るのは、気休め程度の代物さ。王都から運ばれる高級品は、俺たちのような辺境の人間が買える値段じゃない」
「そうなんですか。では、冒険者の方々はどうしているのですか」
「ああ、ここの冒険者はみんな怪我をしても町に戻る。治癒師に頼むか、気合で治すかだ。ポーションなんて、あってもなくても同じだ」
やはり、この世界のポーション事情は私が思っていた通りらしい。
これは、大きな商売の機会になるかもしれない。
私の知識と力があれば、この状況を変えられる。
お金を受け取った私は、ギルドを出た。
まずは今日の寝床と、温かい食事を確保しなければ。
私は銀貨一枚で、町の外れにある安い宿屋の一室を借りた。
残ったお金で黒パンと干し肉、そしてスープを買った。
久しぶりのまともな食事に、体の芯から力が湧いてくるのを感じる。
部屋には硬いベッドと、小さな机があるだけだった。
それでも、雨風をしのげるだけで天国のように思えた。
ほっと一息ついた私は、ポーション作りに使えそうな道具を探す。
そのために、町の裏通りを歩き回ることにした。
新品を買う余裕はない、どこかで安く手に入らないかと思ったからだ。
そんな時だった。
「この、役立たず」
「つぶしちゃえ、最弱のくせに」
子供たちの、甲高い声が聞こえてきた。
声がする方へ向かうと、三人の少年が地面にいる何かを囲んでいる。
そして、拾った棒でつついていじめていた。
「やめなさい」
思わず、自分でも驚くほど大きな声が出た。
少年たちは、驚いて私の方を振り返る。
彼らがいじめていたのは、青く透き通った拳ほどの大きさのスライムだった。
ぷるぷると震え、おびえているように見える。
スライムは、この世界では最弱の魔物とされている。
人に害をなすことは、ほとんどない。
ただ地面のコケやゴミを食べて生きる、おとなしい生き物だ。
「何よ、おばさん。関係ないだろ」
少年の一人が、反抗的な目で私をにらみつけた。
「魔物をいじめては、だめよ。この子は何も悪いことしてないでしょう」
「だってこいつ、最弱のスライムだぜ。突っついても反撃してこないし、つまらないんだよ」
少年たちは、不満そうに口を尖らせる。
前世では動物が好きで、保護活動の動画などをよく見ていた。
弱いものを、みんなでいじめて楽しむ光景は我慢ならない。
私は少し体をかがめて、少年たちと視線を合わせた。
「ねえ、強い者が弱い者をいじめるのは正しいこと。あなたたちが、もっと大きなゴブリンに同じことをされたらどう思う」
私の真剣なまなざしに、少年たちはたじろいだ。
顔を見合わせ、気まずそうに棒を地面に捨てる。
「ごめんなさい」
一番年上らしき子がそう言うと、三人はばつが悪そうに走って逃げていった。
後に残されたのは、まだぷるぷると震えている小さなスライмだけだ。
「もう大丈夫よ、怖かったわね」
私がそっと手を伸ばすと、スライムは私の指先に体をすり寄せてきた。
ひんやりとしていて、ゼリーのような心地よい感触。
どうやら、私に懐いてくれたらしい。
そのスライムを手のひらに乗せて、じっくりと観察する。
その体の、驚くほどの透明度の高さ。
私は、ある可能性に思い至った。
「君、もしかして」
私は試しに、聖水を一滴スライムの体の上に垂らしてみた。
するとスライムは、うれしそうに体を震わせる。
そして、その一滴を体の中に取り込んだ。
驚くべきことに、取り込まれた水は体内で他の体液と一切混ざらない。
球状のまま、内部にとどまっている。
「体内で、液体を分けて保存できる」
これは、とんでもない発見だった。
前世の化学実験では、液体の分離と精製に多くの高価な器具と手間が必要だった。
遠心分離機や、精密なろ過装置。
このスライムは、その役割を一体でこなせる可能性がある。
まさに「生きたフラスコ」であり、「生きた分離装置」だ。
「君は、私の最高の相棒になるわ。名前は、そうね、プルンなんてどうかしら」
私がそう言うと、スライムはうれしそうにぽよんと高く跳ねた。
こうして、私はプルンという頼もしくも可愛い相棒を得た。
宿屋に戻った私は、さっそくポーション作りの準備を始めた。
わずかなお金で、小さな鍋と混ぜるための木の棒を買う。
そして、燃料となるまきを少しだけ買った。
ポーションを入れる瓶は、ゴミ捨て場にあったものをきれいに洗って使うことにした。
部屋の中で、小さな火を起こす。
鍋に聖水を入れ、採ってきた薬草を細かく刻んで入れる。
ここからが、私の知識の見せ所だ。
「まず、有効成分を出しやすいよう薬草を細かく刻む。細胞の壁を壊すのが目的よ」
「そして、温度管理が重要。沸騰させずに、六十度くらいでゆっくりと成分を煮出す」
独り言をつぶやきながら、私は慎重に火力を調整する。
木の棒でゆっくりと鍋の中をかき混ぜ、薬草の有効成分が超純水に溶け出すのを待つ。
一定時間が過ぎた後、火から鍋を下ろした。
中の液体を、プルンの体に通す。
プルンは私の意図を理解したかのように、液体を体の中に取り込んだ。
そして体内で器用に、薬草のカスと有効成分が溶け込んだ液体とを見事に分けてくれた。
「すごいわ、プルン。完璧なろ過よ」
プルンから出された液体は、不純物が完全に取り除かれている。
美しい、こはく色に輝いていた。
これを瓶に詰めれば、低級回復ポーションの完成だ。
市販のポーションは、きっと濁った色をしているはず。
それに比べて、私の作ったポーションはまるで宝石のように透き通っている。
「これなら、いける」
私は完成したポーションを手に、確かな手応えを感じていた。
翌日、私は試作品のポーションを一本だけ持って、再び冒険者ギルドへと向かった。
ギルドの中は、昨日と同じように活気に満ちている。
受付には、あの強面のギルドマスターが腕を組んで座っていた。
「よう、またあんたか。今度は何の用だ」
「これを、試していただきたくて」
私は受付の上に、こはく色の液体が入った小瓶を置いた。
ギルドマスターは、その美しい見た目に少し驚いたようだ。
「なんだ、こりゃ。ポーションか、ずいぶんと奇麗な色をしてるじゃないか」
「私が作りました。市販のものより、効果は高いはずです」
私の言葉に、ギルドマスターは疑わしそうな目を向けた。
「嬢ちゃんが作った、だと。ポーション作りは、専門の錬金術師でも難しいんだぞ。素人が手を出していいものじゃない」
「試していただければ、分かります」
私が自信を持って言うと、ギルドマスターは腕を組んで考え込んだ。
ちょうど、その時だった。
「ぐっ、畜生。ゴブリンのやつ、やりやがったな」
ギルドの入り口から、腕に生々しい切り傷を負った若い冒険者が入ってきた。
傷はそれほど深くないが、血がだらだらと流れて床に落ちている。
好機だ、と思った。
「その方に、このポーションを使ってみてください」
私は、ギルドマスターに言った。
彼は一瞬ためらったが、他に良い方法もなかったのだろう。
小瓶をつかむと、怪我をした冒険者の元へ大股で歩み寄った。
「おい、小僧。ちょっとこれを使ってみろ」
「なんだい、ギルドマスター。ポーションか、珍しいな。どうせ気休めだろ」
冒険者は文句を言いながらも、小瓶を受け取って中身を傷口に振りかけた。
その瞬間、ギルドにいた全員が息をのんだ。
液体が傷に触れた途端、淡い緑色の光を発する。
あれほど流れていた血が、ぴたりと止まった。
それだけではない、みるみるうちに傷口がふさがっていく。
数秒後には、そこにかすり傷一つ残っていなかった。
「な、なんだ、こりゃあ」
怪我をしていた冒険者本人が、一番驚いていた。
自分の腕を何度もさすり、信じられないという顔をしている。
「傷が、跡形もなく完全に消えちまったぞ」
その場にいた他の冒険者たちも、一斉にざわめき始める。
「おい、今、見たか」
「一瞬で傷が治ったぞ、治癒魔法でもあんなに早くは治らない」
「あんなポーション、見たことない」
ギルドマスターは、冒険者の腕をつかんでじっくりと確認する。
そして、ゆっくりと私の方を振り返った。
その顔には、先ほどの侮りは少しもない。
ただ純粋な驚きと、隠しきれない興奮の色が浮かんでいた。
「嬢ちゃん、あんたは一体何者なんだ」
彼の震える声が、騒がしいギルドの中にやけに大きく響き渡った。
私はただ、そっとほほ笑み返す。
フロンティアの町で、私の新しい人生が確かに始まった。
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