第25話

執務室の扉が、大きな音を立てて開いた。

息を切らしたエリアーデが、部屋の中へ駆け込んでくる。

彼女が差し出したガラス製の碍子と鋳型を見て、私は驚きに目を見開いた。


鋳造という新しい考えは、私が教えた知識の応用である。

そこから、彼女は自分だけの力で答えにたどり着いたのだ。


「素晴らしいわ、エリアーデ。本当に、よくやったわね」


私は、彼女の肩を強く抱きしめる。

私の言葉を聞いて、彼女の瞳から大粒の涙があふれ出した。


その涙は、聖女として褒められていた頃のものとは違う。

心からの喜びと、達成感に満ちた涙だった。

隣にいたアルブレヒトも、その光景に目を見張っている。

驚きと賞賛が、彼の表情に混じり合っていた。

彼もまた、この元聖女の大きな変化と成長に心を打たれたようだ。


「先生、わたくしは、わたくしは……!」


エリアーデは、言葉にならない声で泣きじゃくる。

私は彼女の背中を優しく叩き、その努力を心から褒めた。


「あなたは、自分の力で答えを見つけ出したの。それはどんな魔法よりも尊いことであり、科学者としての確かな一歩よ」

「この素晴らしい発明のおかげで、私たちの電信網計画は大きく進むわ。本当に、ありがとう」

「もったいないお言葉でございます……!」


エリアーデの功績は、すぐに村中に知れ渡った。

村人たちは最初、彼女を「王都から来た元聖女様」と呼んでいた。

遠くから、彼女の様子をうかがっているだけだった。

しかし、彼女のひたむきな努力と目に見える成果を前にする。

村人たちも、次第に彼女を仲間として認めるようになったのだ。

彼女が開発した鋳造の方法で、碍子の生産量は飛躍的に上がった。

そして、電信網の建設作業が加速したことは誰の目にも明らかだった。

彼女はもう、この村に絶対にいなくてはならない存在の一人となっていた。


しかし、お祝いの雰囲気に浸っている暇などない。

アルブレヒトがもたらした王都の情報が、私たちの心に重くのしかかっていた。


「国王陛下が、原因不明の病に倒れた……」


その夜、私は執務室にアルブレヒトとギュンターさんを呼んだ。

改めて、詳しい話を聞くためである。

執務室のランプには、先日精製したばかりの灯油が使われている。

獣の油を使ったランプとは、比べ物にならないほど明るい。

安定した光が、三人の真剣な顔を照らし出していた。


「はい。交易で訪れた都市で、王都から来た商人から聞きました。かなり、信憑性の高い情報かと思われます」


アルブレヒトは、厳しい表情でうなずく。


「公式な発表は、まだありません。しかし、すでに王城内では次の国王を巡る派閥争いが始まっているとのことです。第一王子であるジークフリード殿下を推す声は、ほとんどないと聞いております」

「当たり前だろうな。あんな愚かな男に、この国を任せられるわけがない」


ギュンターさんが、まるで吐き捨てるかのように言った。

彼のジークフリードに対する嫌悪感は、相当に強いものだった。

私も、その意見には完全に同意する。


「問題は、ジークフリード殿下がこの現状をどう捉えているかです」


アルブレヒトが、心配そうな声で言った。


「彼は今、この村で捕虜として子供たちの世話をしています。その屈辱的な毎日が、彼の心をどう変えたのか……。もし彼が王位への野心を捨てきれず、外部の勢力と結びつくようなことがあれば大変です」

「この村にとって、それは大きな脅威となりかねません」

「なるほどな。あの馬鹿王子が、復讐のために厄介事を持ち込むかもしれんということか」


ギュンターさんの言葉に、私は静かにうなずいた。

ジークフリードという男は、プライドだけが異常に高い。

今の状況を、彼が素直に受け入れているとは到底思えなかった。

エリアーデのように、深く反省して新しい道を歩むタイプの人間ではないのだ。


「それに、もう一つ気になる噂があります」


アルブレヒトは、さらに声を潜めて続けた。


「国王陛下の病状が、聖女エリアーデ様がいなくなったことによる『呪い』だと。そう、吹聴している者たちがいるそうなのです。そして、その呪いを解けるのは王国に残されたもう一人の聖女だと」

「……つまり、エリアーデの力を利用した偽物の聖女。私を、まんまと陥れたあの女ということね」


私の言葉に、アルブレヒトはこくりとうなずいた。

おそらく、王国内の保守派貴族たちの仕業だろう。

彼らが、エリアーデの不在を政治的に利用しようとしているのだ。

彼らにとって、科学の力で発展する私たちの村は邪魔な存在だ。

自分たちの権力を、大きく脅かすものに見えているに違いない。

私を魔女として断罪し、この村を潰すための口実を探しているのだ。


「状況は、思った以上に複雑ね」


私は、腕を組んで深く息をついた。


「王国の内乱の可能性、そして私たちへの明確な敵意。どちらも、無視できない大きな問題だわ」

「嬢ちゃん、どうするんだ。いっそのこと、この村を完全に独立した国だと宣言しちまうか」


ギュンターさんが、少し過激な提案をする。


「それも一つの手ですが、まだ早いでしょう。今の私たちには、王国と正面から戦争をするほどの力はありません」

「では、どうなさるのですか、先生」


アルブレヒトが、真剣な眼差しで私を見つめる。


「情報よ、アルブレヒト」


私は、きっぱりと言い放った。


「戦いの基本は、敵を知り己を知ること。今の私たちに最も必要なのは、正確な情報なの。王都で何が起こっているのかを、迅速に知るための目と耳が必要です」

「目と、耳……。まさか」

「ええ、そのための電信網です」


私は、壁に貼られたヴァイスランドの地図を指さした。


「まずは、この村と交易都市を結ぶ第一ラインを急いで完成させます。そこを情報の拠点として、王都へ向かう商人たちから情報を集めるのです」

「なるほど。それならば、王都の動向をリアルタイムに近い形で把握できますね」

「ええ。そして、王国の情勢次第では私たちが動く必要も出てくるでしょう。その時のために、私たちはもっと力を蓄えなければなりません」


私の言葉に、二人は力強くうなずいた。

私たちの当面の方針は、これで固まった。

情報収集と、軍事力の強化。

その両方の基盤となるのが、この村のさらなる発展と技術力の向上だった。


翌日から、電信網の建設はこれまで以上の速度で進められた。

エリアーデが発明した碍子の鋳造法で、絶縁体の供給は十分すぎるほどだ。

ギュンターさんの工房では、銅線の生産が休むことなく続けられている。

アルブレヒトは、騎士団の男たちを二つの部隊に分けた。

一つは、電柱を立てて銅線を張る建設部隊だ。

もう一つは、村の周辺を警備する防衛部隊である。

彼らは、来るべき戦いに備えて厳しい訓練を積んでいた。

村全体が、まるで一つの巨大な生き物のように動き始めていた。


私は、その全ての指揮を執りながらジークフリードの監視も怠らない。

彼とエリアーデが暮らす小屋は、村の中心から少し離れた場所にある。

私は、村の子供たちにそれとなく彼の様子を報告するように頼んでいた。

子供たちの目は、何より優れた監視網となるのだ。


「ジークフリード様は、最近ずっとイライラしてるみたい」

「この間、僕が運んでいたスープをわざとひっくり返したんだよ」

「夜になると、一人で何かブツブツ言ってるって」


子供たちの報告は、私の心配が正しいことを示していた。

彼は、この村の生活に全く満足していない。

心の中では、常に王都への復帰と復讐の機会をうかがっている。

だが、今の彼には何の力もなかった。

武器も、仲間も、そして金もない。

彼が頼れるのは、王族という過去の肩書きだけだ。


そんなある日の、夕暮れ時だった。

私が執務室で電信機の設計図を最終確認している。

すると、ジークフリードが一人で部屋を訪ねてきた。

彼の服装は、子供たちの世話で汚れたみすぼらしいものだった。

しかしその瞳だけは、かつての王子としての傲慢な光を失っていない。


「リディア、話がある」


彼は、許可なく椅子にどかりと腰を下ろした。

その無礼な態度に、私は思わず眉をひそめる。


「何の御用でしょうか、ジークフリード様。子供たちのお世話は、もうお済みになったのですか」


私の皮肉のこもった言葉に、彼の顔が怒りで引きつった。


「貴様……! いつまでも、俺を馬鹿にしおって」


彼は、拳を強く握りしめている。


「俺は、いずれ王都へ帰る。そして、アークライト王国の正当な王となる男だ。その時が来たら、貴様を一番最初に処刑台へ送ってやる」

「それは、楽しみですわね」


私は、全く動じずに微笑み返した。


「ですが、その『その時』というのは一体いつ来るのでしょうか。今のあなたに、王都へ帰る手段などおありでして?」

「ぐっ……」


私の的確な指摘に、彼は言葉を詰まらせた。

しばらく黙り込んだ後、彼は何かを決心したように顔を上げる。


「……取引をしよう、リディア」


彼の口から、意外な言葉が飛び出した。


「取引、ですって?」

「そうだ。俺を、王都へ帰せ。そうすれば、貴様とこの村の安全は私が保証してやる」

「ほう、面白いご提案ですわね」


私は、興味深そうに相槌を打った。


「ですが、その保証というのは具体的にどのようなものですの? 口約束だけでは、とても信用できませんわ」

「俺が王になれば、貴様を伯爵位に叙してやろう。そしてこのヴァイスランドを、貴様個人の領地として正式に認めてやる。悪い話ではないはずだ」


彼は、自信満々に言った。

自分が王になることを、まだ少しも疑っていないらしい。

その根拠のない自信が、彼の最大の欠点であり哀れな点でもあった。


私は、彼の提案を頭の中でじっくりと吟味した。

もちろん、彼の言葉を信じるつもりなど全くない。

彼が王になれば、約束を破って私を殺しに来るのは目に見えている。

だが、この提案は利用できるかもしれない。

彼の考えと、王都にいる彼の協力者を探るための良い機会になるだろう。


「……分かりましたわ」


私は、わざとらしく少し考え込むふりをした。

そして、ゆっくりとうなずいてみせる。


「その取引、乗りましょう」

「なっ、本当か!?」


ジークフリードは、信じられないといった顔で身を乗り出した。

私がこれほどあっさりと、彼の提案を受け入れるとは思っていなかったのだろう。


「ええ。ただし、私にも条件があります」


私は、人差し指を一本立ててみせた。


「あなたを王にするために、私も協力します。その代わり、あなたが王になった暁にはお願いがあるのです。この国の全ての魔導装置の管理権を、私に譲っていただきたいのです」

「魔導装置の、管理権だと?」

「ええ。国王陛下の病も、魔導装置の不調も全ては管理体制の不備が原因です。私がその全てを科学の力で管理すれば、王国は今よりもずっと豊かになるでしょう。王であるあなたの名声も、間違いなく高まりますわ」


私の提案は、彼にとって非常に魅力的に聞こえたはずだ。

彼は、魔導装置の仕組みなど何も知らない。

面倒な管理を全て私に押し付けて、自分は王として君臨できるのだ。

これほど、都合の良い話はないだろう。


「……いいだろう。その条件、飲んでやる」


彼は、満足そうにうなずいた。

まんまと、私の仕掛けた罠にかかったのだ。


「では、契約成立ですわね」


私は立ち上がると、彼に手を差し出した。


「これから、私たちは『共犯者』ですわね。ジークフリード……いえ、未来の国王陛下」


彼は、私の差し出した手を強く握り返した。

その顔には、勝利を確信した下品な笑みが浮かんでいる。

私もまた、彼ににっこりと笑みを見せた。

だがその笑みの裏で、私は壮大な計画を静かに始動させていた。

王国を、内側から支配するための計画だ。

最初のターゲットは、彼の背後にいるであろう保守派の貴族たちだ。

彼らの情報を、ジークフリード自身に語らせる。

彼は、自分が操り人形になっていることにまだ気づいていなかった。

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