第24話

工房の作業台の上に、一匹のカエルが横たわっていた。

それは私が近くの小川で捕まえてきた、ごく普通の食用ガエルだ。

アルブレヒトはこれから始まる奇妙な実験を、息を飲んで見守っている。

彼の騎士としての経験の中に、カエルを使った実験などという項目はなかった。


「いいですか、アルブレヒト。これから、命が動く仕組みのその一端をお見せします。」

私はそう言うと、ピンセットを手に取った。

そしてカエルの足の皮を丁寧にはぎ取り、神経をむき出しの状態にする。

少し残酷な光景だが、科学の発展とは時にこのような犠牲の上に成り立つものなのだ。


次に私は、二種類の金属片を用意した。

一つは、ギュンターさんが作ってくれた銅の小片だ。

もう一つは、鉄の釘である。

「このただの金属片が、死んだカエルの足を動かすところをよく見ていてください。」

私のその言葉に、アルブレヒトはますます混乱した表情を浮かべた。

死んだ生き物が、動く。

それは神の領域を侵すような、許されない行いに聞こえたのかもしれない。


私はまず、銅の小片をカエルの足の神経にそっと触れさせた。

何も、起こらない。

次に鉄の釘を足の筋肉に触れさせる。

やはり、何も起こらなかった。


「……先生、これは一体。」

アルブレヒトが、不思議そうな声を上げたその時だった。


「ここからです。」

私は二つの金属片を、同時にカエルの足に接触させた。

銅は神経に、鉄は筋肉に。

すると、信じられないことが起こった。

ぴくん。

死んでいたはずのカエルの足が、まるで生きているかのように動いたのだ。

その動きは、一瞬だった。

だが、そこにいた誰もがはっきりとその目で見た。


「なっ……!?」

アルブレヒトは、息を飲んで後ずさった。

彼の顔は、驚きで真っ青になっている。

「い、今、確かに動いたぞ。死んだカエルが……。」

「ええ、動きましたね。」

私は、平然と答えた。

「これが、『電気』の力です。二種類の異なる金属がカエルの体液に触れた時に、微弱な電流が発生したのです。その電流が、神経を刺激して筋肉を収縮させました。」


私の説明は、アルブレヒトにとって異国の呪文のように聞こえたことだろう。

電流とか神経刺激とか、彼の知らない単語が次々と私の口から飛び出してくる。

だが彼は、目の前で起こった現実を否定することができなかった。


「つまり生き物が動くというのも、この『電気』とやらが関係していると。」

「その通りです。私たちの脳が手足を動かす命令を出す時、神経の中をこの電気が信号となって伝わるのです。今あなたが見たのは、その生命現象のほんの入り口に過ぎません。」

私はその微弱な電気を、より強力な形で取り出す方法を彼に見せることにした。

作業台の上に、ガラスのコップを置く。

中には、私が以前に作った希硫酸が満たされていた。

そしてその中に、一枚の銅板と一枚の亜鉛板を浸す。

これが世界で最初に作られた化学電池、その原型だった。


「この二枚の金属板を、ギュンターさんが作ってくれたあの銅線でつなぐとどうなると思いますか。」

私が問いかけると、アルブレヒトはしばらく考え込んだ。

そして、恐る恐る答えた。

「……また、電気が発生するのですか。」

「正解です。しかもさきほどのカエルの足の時とは比べ物にならないほど、強力で安定した電気が流れ続けます。」

私は銅線の両端を、それぞれ銅板と亜鉛板につないだ。

そしてその銅線の途中に、小さな鉄粉を振りかけた方位磁針を近づけてみせる。

すると方位磁針の針が、ぐるりと奇妙な方向を向いて震え始めた。

銅線に電気が流れることで、その周りに磁石の力が発生したのだ。

電気が、目に見えない磁石の力を生み出した瞬間だった。


「針が……!?」

「ええ、電気が流れると、その周りには磁石と同じ力が生まれるのです。そしてこの性質を使えば、遠く離れた場所にすぐ合図を送れるようになります。」

私が話しているのは、電信機の心臓部である電磁石の仕組みだ。

電流のオンとオフで磁石の力を発生させ、その力で音を鳴らす。

その音の長短の組み合わせを使えば、あらゆる言葉を遠い場所に伝えることが可能になる。


アルブレヒトは、もはや何も言えなかった。

彼の頭は、今日一日で受けた情報量の多さに完全に混乱していた。

雷や死んだカエル、そして方位磁針。

一見、何の関係もなさそうなそれらの現象が「電気」という一本の線でつながっていく。

その壮大な科学の世界の入り口に立ち、彼はただぼう然とするしかなかった。


「……先生。あなたは、一体何者なのですか。」

彼が、絞り出すように尋ねた。

「神か、悪魔か。それとも、未来から来た人間か。」

「さあ、どうでしょうね。」

私は、意味ありげにほほえんだ。

「答えは、あなた自身がこれから学んでいく中で見つけていくしかありませんよ。」


その日から、私たちの村では電信プロジェクトが本格的に始まった。

ギュンターさんの工房では、大量の銅線を生産する作業が昼も夜も続けられる。

騎士団の男たちは、その銅線を村中に張り巡らせるための電柱を立てる作業に追われた。

村人たちも、その奇妙な光景を興味深そうに見守っている。

彼らはリディア先生がまた何かとんでもないことを始めようとしているのだと、期待に胸をふくらませていた。


エリアーデもまた、自分の仕事の合間にその様子を遠くから眺めていた。

彼女は家畜小屋の掃除を終えると、次は畑仕事を手伝うようになっていた。

泥にまみれて、汗を流して働く。

その姿は、もはや聖女の面影などどこにもない。

だがその表情は、聖女だった頃のどんな時よりもずっと生き生きとしていた。

彼女は自分の手で何かを生み出し、誰かの役に立つことの本当の喜びを知り始めていたのだ。


そんなある日、彼女は畑で作業をしながら私たちの会話を耳にした。

私が、電気の絶縁について説明しているところだった。

「電線は、そのまま電柱に巻き付けてはいけません。電気が、木に逃げてしまいますからね。このガラスで作った『碍子』というものを使って、電柱から浮かせるように固定するのです。」

ガラスが、電気を通しにくいという事実。

その何気ない一言が、エリアーデの心に小さな種をまいた。

彼女は、その夜私の研究室を訪ねてきた。


「先生、わたくしにも何かお手伝いをさせていただけないでしょうか。」

彼女は、深々と頭を下げて言った。

「家畜の世話や畑仕事も、もちろん大切なお仕事です。ですがわたくしも先生が作ろうとしている新しい世界の、もっと中心に近い場所で何かを学びたいのです。」

その瞳は、真剣だった。

彼女は、ただの働き手として一生を終えるつもりはないのだ。

私が見せる科学の光に触れて、彼女の中にも知的な探究心が芽生え始めていた。


「……いいでしょう。」

私は、彼女の成長を認めてうなずいた。

「では、あなたに最初の研究課題を与えます。このガラスの碍子を、もっと効率よく大量に生産する方法を考えてみなさい。」

「えっ。」

エリアーデは、驚きの声を上げた。

「わ、わたくしが、ですか。そんな、何も知らないわたくしに。」

「知らないのなら、学べばいいのです。工房へ行って、ギュンターさんにガラスの作り方を基礎から教わってきなさい。そして私の書斎にある本を、好きなだけ読んでいい。答えは、誰かに教えてもらうのではなく自分の頭で考え自分の手で見つけ出すのですよ。」

私のその言葉に、エリアーデは一瞬戸惑った。

だがすぐに、その顔に強い決意の色が浮かぶ。

「はい、先生。やってみます。」


彼女は、その日から仕事の合間を見つけては工房と私の書斎に通い詰めるようになった。

ガラスの原料について学び、炉の温度管理を学び、形を作る技術を学ぶ。

夜はランプの明かりを頼りに、私が書き留めた科学の基礎に関するノートを必死に読み解こうと努力していた。

その姿はかつての聖女の姿からは想像もできないほど、ひたむきで真剣なものだった。


そして、数週間が過ぎた頃。

アルブレヒトが率いる交易部隊が、二度目の旅から帰ってきた。

彼らの荷馬車は、前回以上に多くの銀貨と物資でいっぱいだった。

商業都市では、ヴァイスランド製の鋼の農具が爆発的な人気を呼んでいるらしい。

その切れ味と丈夫さは、これまでのどんな製品とも比べ物にならなかった。

そして、王侯貴族までもが買い求めるほどだという。

村は、ますます豊かになっていく。


だがアルブレヒトがもたらしたのは、富だけではなかった。

彼の表情は、どこか硬く沈んでいる。

「先生、王都の様子が、どうにもおかしいのです。」

彼は、村の役場に用意した私の執務室で報告を始めた。

「街から、活気が消えています。多くの魔導装置が機能を停止したままで、物の流れは滞り治安も悪くなっていると。」

「それに、不気味な噂を耳にしました。国王陛下が、原因不明の病に倒れられたと。」


「国王が。」

「はい。聖女エリアーデ様が追放されてからというもの、王城に満ちていた聖なる光の力が弱まったそうです。その隙を突いて、邪悪な呪いが陛下をむしばんでいるのだと民は噂しております。」

それは、エリアーデの不在を理由にした人々を操るための宣伝だろう。

だが国王が本当に病に倒れたのだとすれば、話は別だ。

王位の継承を巡って、ジークフリード王子と他の貴族たちの間で争いが起こるかもしれない。

王国は、内側から崩壊を始めようとしていた。


「……そう。分かりました、貴重な情報をありがとう、アルブレヒト。」

私は、静かにうなずいた。

アークライト王国の混乱は、いずれこのヴァイスランドにも何らかの形で影響を及ぼすだろう。

私たちは、それに備えなければならない。

そのためにも、電信網を早く完成させることが急がれた。

外部の情報を、いち早く正確に手に入れるための神経網が絶対に必要だった。


その時、執務室の扉が勢いよく開かれた。

息を切らして飛び込んできたのは、エリアーデだった。

その手には、奇妙な形をしたガラスの塊が握られている。

「せ、先生。できました。やっと、できました。」

彼女は、興奮で声を上ずらせながらそれを私の机の上に置いた。

それは、鋳物を作るための型だった。

そしてその型から取り出されたであろう、全く同じ形のガラスの碍子がいくつも並べられていた。


「これは……鋳物の方法。」

私は、息を飲んだ。

ガラスを一つ一つ吹いて作るのではなく、溶けたガラスを型に流し込んで大量生産するという発想。

それはこの世界のガラス工芸の歴史を、一気に百年は進めるほどの大発明だった。


「どうやって、この方法を。」

「先生の書斎にあった、ギュンターさんの鉄の鋳造に関する本を読みました。そして思ったのです、鉄でできるのならガラスでも同じことができるのではないかと。」

エリアーデは、誇らしげに胸を張った。

その顔は、すすと汗で汚れていたがどんな宝石よりも美しく輝いて見えた。

彼女は、自らの力で答えを見つけ出したのだ。

元聖女が、科学者としての一歩を確かに踏み出した瞬間だった。


私は、彼女の肩を固く抱きしめた。

「素晴らしいわ、エリアーデ。本当によくやったわね。」

私のその言葉に、彼女の瞳から大粒の涙があふれ出した。

それは、初めて誰かに認められたことへの心からの喜びの涙だった。

私は完成したばかりの碍子を手に取り、窓の外に広がる村を見渡した。

電信網の完成は、もう目前に迫っている。

村から始まる新しい時代の歯車が、確かに回り始めたのだ。

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