第6話
翌日から、私とギュンターさんの工房は村人たちも巻き込んで農具生産の拠点となった。
高炉で生み出された質の良い鋼を、ギュンターさんが見事な腕前で鍛え上げていく。
真っ赤に熱せられた鋼が、槌で打たれるたびに火花を散らす。
カン、カンと工房に響き渡るその音は、まるで新しい時代の始まりを告げるようだった。
出来上がった鍬は、従来の物とは比べ物にならないほど軽くて頑丈だった。
刃先は鋭く、石のように固い土を簡単に掘り返していく。
初めてその鍬を使った村人たちは、誰もが驚きの声を上げた。
「すげえ、今まで石を掘ってるみたいだった地面が豆腐みてえに柔らかく感じるぜ。」
「これなら、今までの半分の力で倍の面積を耕せるぞ。」
新しい農具の登場に、村は一気に活気づいた。
男も女も、人々は競うようにして荒れ地を切り開いていく。
その姿を頼もしく見ながら、私は次の段階の準備を進めていた。
『肥料』作りである。
作物の生育に欠かせない三大要素は、窒素とリンとカリウムだ。
この痩せた土地には、その全てが決定的に足りていない。
それを、化学の力で補ってやるのだ。
まずは、比較的簡単に作れるカリウム肥料から始める。
木を燃やした後に残る木灰には、炭酸カリウムという成分が豊富に含まれている。
これを水に溶かして、不純物を取り除く。
その上澄み液を、煮詰めるだけだ。
そうすれば、純度の高いカリウム肥料が完成する。
これは、石鹸作りの応用なので特に難しいことはない。
次に、リン酸肥料を作る。
これは、少し手間がかかる。
リンは、リン鉱石という形で取れることが多い。
幸い、私は以前村の近くにアパタイトという鉱物の鉱脈があるのを見つけていた。
このリン鉱石を細かく砕き、硫酸と反応させる。
そうすることで、水に溶けやすく植物が吸収しやすい過リン酸石灰というものを作れるのだ。
これが、すぐに効果の出るリン酸肥料となる。
問題は、硫酸をどうやって手に入れるかだ。
この辺りには硫黄泉が湧く場所があり、天然の硫黄を手に入れることができる。
この硫黄を燃焼させて、二酸化硫黄という気体を作る。
さらに、触媒を使って酸化させ三酸化硫硫黄にする。
そして、この三酸化硫黄を水に溶かせば硫酸が生成される。
これが、化学工業の基礎である『接触法』という製造方法だ。
もちろん、前の世界のような大きな工場はない。
全てが、手作業での実験室レベルの合成になる。
私は、ギュンターさんに頼んで鉛で作った頑丈な容器を用意してもらった。
鉛は、濃硫酸に対して強い耐性を持つ優れた素材だからだ。
そして、耐火煉瓦で作った小さな反応炉の中で慎重に反応を進めていく。
触媒には、鉄鉱石を焼いた時にできた酸化鉄を使った。
白金のような、完璧な触媒とは言えないがないよりはましだろう。
刺激臭のする有毒な気体を扱う、非常に危険な作業だ。
私は、ギュンターさんや村人たちを工房から遠ざける。
一人で、作業にこもった。
前の世界の、研究者としての血が騒ぐのを感じる。
実験道具の代わりに、手作りの窯と鉛の容器を使う。
環境は全く違うが、やっていることは同じ純粋な化学実験だ。
数日後、私はついに高濃度の硫酸を少量だけ合成することに成功した。
黄金色に輝く、粘り気のある重い液体。
それは、近代化学工業の血液とも言える重要な物質だった。
これを、細かく砕いたリン鉱石に一滴ずつ慎重に垂らしていく。
しゅう、と激しい音を立てて白い煙が上がり鼻を突く刺激臭が立ち込める。
反応が終わり、煙が収まった後に残ったのは灰色のさらさらとした粉末だった。
過リン酸石灰の、完成である。
最後に、窒素肥料だ。
空気の約八割は窒素だが、このままでは植物は利用できない。
植物が吸収できる形、つまりアンモニウム塩や硝酸塩の形に変えてやる必要がある。
これには、高度な化学技術が必要となり今の私の設備では不可能だ。
でも、代わりの手段はある。
一つは、堆肥だ。
家畜の糞尿や、枯れ草などを積み重ねて時間をかけて発酵させる。
そうすると、微生物の働きで有機物の中の窒素が植物が吸収しやすい形に分解されるのだ。
これは、時間がかかるが最も手軽で安全な方法と言える。
もう一つは、硝石を利用する方法だ。
古い建物の壁や、洞窟の土壌など特定の条件が揃った場所に硝酸塩が集まっていることがある。
私は、村の古老たちに聞き込みを行った。
そして、村の近くにある古い洞窟の存在を突き止めた。
その洞窟の壁には、白い粉状の結晶がびっしりと付着していた。
私の『目』で分析すると、それは間違いなく純度の高い硝酸カリウムだった。
おそらく、そこに住み着いていたコウモリの糞などが長い年月をかけて分解されたものだろう。
これもまた、貴重な窒素源でありカリウム源となる。
こうして、私は三種類の肥料を用意した。
『木灰カリ』と『過リン酸石灰』、そして『洞窟の硝石』だ。
村人たちを畑に集め、その使い方を説明する。
「これは、作物のご飯です。」
私は、分かりやすく説明した。
「これを畑にまくことで、作物は元気にそして大きく育ちます。」
私の説明に、村人たちは半信半疑といった顔だ。
ただの灰や、石の粉が作物の成長を助けるなど信じがたいのだろう。
「リディア様、これは本当に効くのでしょうか。」
一人の、年老いた農夫がおそるおそる尋ねた。
「論より証拠、ですよ。」
私は、自信を持って言った。
「畑の一部を借りて、皆さんの目で確かめてもらいましょう。」
私は、村の畑の一角を借り受けてそこをきっちりと四つの区画に分けた。
一つは、何も与えない区画。
二つ目は、『木灰カリ』だけをまいた区画。
三つ目は、『過リン酸石灰』と『洞窟の硝石』をまいた区画だ。
そして四つ目は、三種類の肥料を全て私が計算したバランスでまいた区画である。
そして、それぞれの区画にこの辺りで伝統的に栽培されているカブのような作物の種をまいた。
「さあ、あとは作物が答えを教えてくれます。」
私は、静かに微笑んだ。
それから数週間、村人たちは毎日その実験畑の様子を固唾を飲んで見守っていた。
そして、日を追うごとにその差は誰の目にも明らかとなっていった。
何も与えなかった区画のカブは、ひょろひょろと弱々しく葉の色も黄色がかっている。
カリだけを与えた区画は、それに比べれば根の張りが少し良いようだ。
リンと窒素を与えた区画は、葉が青々と大きく茂っている。
そして、三種類の肥料を全て与えた区画は他の区画とは比較にならないほどの驚異的な成長を見せていた。
葉は、大人の手のひらよりも大きく艶やかな深い緑色をしている。
地面から覗く根の部分は、丸々と太り今にもはち切れんばかりに大きく膨らんでいた。
「こ、これは。」
「同じ日に、同じ種を蒔いたというのにこの違いは。」
「まるで、魔法だ、いやこれこそが神の御業だ。」
村人たちは、その圧倒的な成果を前にひれ伏さんばかりの勢いで感動していた。
収穫の日、四番目の区画から採れたカブは一つ一つが赤ん坊の頭ほどもありずっしりと重い。
それに比べて、何も与えなかった区画のカブはこぶしほどの大きさしかない。
その収穫量の差は、十倍以上にもなった。
村長が、震える手でその巨大なカブを一つ持ち上げる。
「リディア様、あなたは我々の救世主だ。」
村長は、涙ぐんでいた。
「このヴァイスランドに、緑の奇跡をもたらしてくださった。」
その日から、村人たちの私を見る目は尊敬を通り越して信仰に近いものへと変わっていった。
彼らは、私の教えを熱心に聞き競うようにして肥料作りに励んだ。
村の畑は、日に日に活気を取り戻していく。
荒れ果てた辺境の村が、豊かな農村へと生まれ変わる。
その、確かな手応えがそこにはあった。
私の生活も、大きく変わった。
村人たちが、率先して私の廃屋を修繕してくれたのだ。
屋根の穴は塞がれ、壁の隙間は埋められた。
頑丈な、扉まで取り付けられた。
食料も、彼らが毎日採れたての新鮮な野菜や獲物を届けてくれる。
私は、研究と開発に没頭できる理想的な環境を手に入れたのだ。
今日も、私はギュンターさんの工房で新しい開発に取り組んでいた。
彼の鍛冶の技術と、私の科学知識を組み合わせればもっと色々なものが作れるはずだ。
例えば、風の力を利用した動力とか。
「ギュンターさん、大きな風車を作りたいんです。」
私は、設計図を見せた。
「風車か、ああ粉を挽くやつか。」
彼は、腕を組む。
「作れなくはねえが、何に使うんだ。」
「その力で、あなたの鞴を動かすんです。」
私は、熱心に説明した。
「そうすれば、もっと効率的にたくさんの鉄が作れます。それに、水を汲み上げたり木材を切り出したり用途は無限にあります。」
私のアイデアを話すと、ギュンターさんは子供のように目を輝かせた。
彼のものづくりの魂が、私の知識によってさらに燃え上がっているのが分かる。
私たちの挑戦は、まだ始まったばかりだ。
この辺境の地から、世界を変える大きなうねりを起こしてやる。
私を追放した、アークライト王国の連中が後悔する姿を想像すると自然と口元が緩んだ。
彼らは、自分たちが何を失ったのかまだ気づいてもいないのだから。
私は、紙作りの準備も進めていた。
この世界では、高価な羊皮紙が主流だ。
もっと安価で、大量に情報を記録できる媒体があれば知識の普及速度は飛躍的に向上するだろう。
木材の繊維、つまりセルロースを原料にした植物紙。
これもまた、世界を大きく変える発明になるはずだ。
工房で、ギュンターさんと風車の設計図を描いていると村の入り口の方が何やら騒がしくなった。
見張りをしていた村の若者が、慌てた様子で工房に駆け込んでくる。
「大変です、リディア様、ギュンターさん。」
若者は、息を切らしている。
「冒険者の一団が、村に向かってきます。」
「冒険者だと。」
ギュンターさんが、眉をひそめる。
この辺境の村に、冒険者が訪れるのは珍しい。
しかも、一団となると何か厄介事の匂いがした。
私も、少し嫌な予感を覚えながら村の入り口へと向かった。
そこには、十数人の武装した男女が馬に乗ってこちらを威圧するように見下ろしていた。
その先頭に立つ男の立派な鎧には、見覚えのある紋章が刻まれている。
アークライト王国の、近衛騎士団の紋章だ。
なぜ、こんな辺境の村に王国の騎士がいるのだろうか。
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