第2話
王都から数週間、粗末な馬車での旅は私の体力をうばっていった。
それでも、前世の記憶がよみがえってからの私は精神的にはむしろ満たされていた。
旅の途中、護衛の兵士たちが魔法で火をおこす。
水を出す、その様子を観察した。
彼らの詠唱と、その結果として起こる現象。
その二つを結びつける法則性を、頭の中で数式に置き換えていく。
その作業は、退屈な旅におけるたった一つの楽しみだった。
例えば、火をおこす魔法。
兵士が詠唱で決まった単語を並べると、乾いたまきに火がともる。
私の目には、詠唱によって周囲の空気中から酸素の分子がまきの周りに集まる様子が見えた。
同時に何かのエネルギーが与えられて、まきの主成分との燃焼反応が開始されるのだ。
つまり、詠唱とは現象を発生させるための『命令』のようなものだ。
特定の音の振動が、マナというエネルギーを介して分子レベルの操作を可能にしているらしい。
なんと効率が悪く、うまくいくか分からないシステムだろうか。
同じ詠唱をしても、術者のマナの量や集中力で結果は大きく変わってしまう。
周りの環境によっても、そうだ。
それならば、もっと直接的でもっと効率的に同じ現象を起こす方法がある。
私の知識を使えば、魔法などという不確かなものに頼る必要はない。
そして、ついに馬車はヴァイスランドの入り口にある小さな開拓村に到着した。
「着いたぞ、ここで降りろ」
御者台から、愛想のない声が飛んでくる。
荷台から降ろされた私を、兵士たちはゴミでも見るかのような目で見下していた。
「せいぜい、魔獣に食われないように生き延びるんだな元公爵令嬢様」
あざ笑う声をあびせながら、彼らはさっさと馬車を返し去って行ってしまった。
後に残されたのは、私一人。
目の前には、ほんの数軒の丸太小屋が申し訳程度に建っている。
そして、どこまでも続く荒れた大地が広がっていた。
空気は冷たく、乾燥していた。
北国特有の、厳しくも澄んだ空気が肺を満たす。
与えられたのは、村の外れにある今にもくずれそうな小さな廃屋だけだった。
壁にはすき間があり、屋根には穴が空いている。
およそ、人が住めるような環境ではなかった。
だが、私にとってはそれで十分だった。
いや、むしろ都合がいい。
これから私がやろうとしていることは、あまり人に見られたいものではないからだ。
まずは、生活の土台を整える必要がある。
火、水、そして食料。
この三つがなければ、生きていくことすらできない。
「さて、と……まずは火の確保からね」
幸い、廃屋の中には古い暖炉が残っていた。
まきになりそうな枯れ木も、周りの森に入ればいくらでも手に入るだろう。
問題は、どうやって火をつけるかだ。
魔法が使えない私は、もちろん魔法で火をおこすことはできない。
だが、全く問題はない。
私は森へと足を踏み入れた。
目的はまきの収集と、いくつかの『材料』の調達だ。
私の『目』は、地面に転がる石ころ一つでもその成分を正確に見抜くことができる。
「……あった。黄鉄鉱と、火打石ね」
ごくありふれた石だが、これらがあれば火は簡単に手に入る。
黄鉄鉱を硬い火打石で強く打ち付ければ、火花が発生するのだ。
あとは、その火花を燃えやすいものに移せばいい。
例えば、乾燥したコケや木の皮を細かくほぐしたものだ。
いわゆる、火打石を使った発火法だ。
前世では、キャンプなどの知識として知っていた。
廃屋に戻り、拾い集めてきた枯れ木を暖炉にくべる。
そして、乾燥させたコケを火口として用意した。
黄鉄鉱と火打石を、勢いよく打ち付けた。
カチッ、カチッ!
数回試したところで、するどい金属のにおいと共に小さな火花が散った。
その火花が、見事にコケへと燃え移る。
ふーっと優しく息を吹きかけると、小さな炎は勢いを増した。
やがて、暖炉の中のまきへと燃え広がっていった。
パチパチと音を立てて、炎が燃える。
その暖かな光が、薄暗い廃屋の中を照らし出す。
たったこれだけのことなのに、言いようのない安心感がこみ上げてきた。
「次は水ね」
村には共同の井戸があるようだったが、追放された私が使わせてもらえるかは分からない。
それに、井戸水が安全かどうかもあやしい。
この世界の衛生についての考えは、前世の基準からすればきわめて低いだろう。
幸い、近くには雪解け水が集まってできた小川が流れていた。
水自体はきれいに見えるが、小さな生物や寄生虫がいないとは限らない。
飲むためには、煮沸消毒が絶対に必要だ。
廃屋にあったさびついた鉄鍋を、小川で念入りに洗う。
そして、水をくんできてさきほどおこした火にかけた。
ぐつぐつと煮立たせて、安全な飲み水を確保できた。
さらに、水をきれいにする装置も作っておこう。
壊れた樽の底に穴を開け、小石、砂、そして燃やした木の炭を順番にしきつめる。
簡易的ではあるが、これで水の中のよごれをかなり取りのぞけるはずだ。
前世のサバイバル知識が、こんなところで役に立つとは思わなかった。
火と水を確保したところで、日が傾き始めていた。
最後の課題は、食料だ。
王都から持ってきた食料は、もうそこをつきかけている。
再び森へ向かう。
私の『目』は、食べられる植物と毒を持つ植物を簡単に見分けられた。
ふくまれている、成分から判断できる。
「これは……食べられる木の実ね。苦み成分が多いから、アク抜きが必要だけど」
「あっちのキノコはダメ。猛毒をふくんでいるわ」
まるで、答えが書かれた参考書を読んでいるかのようだ。
森は私にとって、食料の宝庫に変わった。
木の実や山菜をいくつか取り、簡単なワナも仕掛けておく。
小動物くらいなら、これで捕まえられるかもしれない。
廃屋に戻り、取ってきた山菜をゆでる。
木の実の、アク抜きもする。
質素ではあるが、これで数日は食いつなげるだろう。
暖炉の火にあたりながら、温かいスープを口にする。
体中にじんわりと温かさが広がり、かたくなっていた筋肉がほぐれていくのを感じた。
「ふぅ……なんとかなるものね」
追放されて、わずか一日。
私は、魔法を一切使わずに自力で生活の土台を築き上げていた。
あの王城での、息のつまるような日々に比べればなんと自由なことか。
そして、満ち足りていることか。
これから、何をしようか。
やりたいことは、山ほどある。
まずは、この廃屋の修理だ。
すき間風を防ぎ、雨漏りを直さなければ厳しい冬は越せないだろう。
そのためには、道具が必要になる。
釘、金づち、のこぎり……。
鉄製品は、この辺りでは貴重品だろう。
なければ、作ればいい。
幸い、このヴァイスランドは鉱物資源の宝庫だと聞く。
森を少し歩いただけでも、鉄鉱石が地面に出ている場所をいくつか見つけた。
鉄鉱石から鉄を取り出すには、高温が必要だ。
暖炉の火くらいでは、とうてい足りない。
もっと効率的な炉、つまり『高炉』を作る必要がある。
炭素を使って鉄鉱石から鉄を取り出すのだ。
前世の製鉄技術を、この世界で再現する。
それだけではない、石けんも作りたい。
この世界では、体を洗うにはせいぜい灰のうわずみ液を使うくらいだ。
油と強いアルカリがあれば、石けんは作れる。
動物の脂肪と、木灰から作った薬品を反応させればいい。
清潔な生活は、病気を防ぐ基本だ。
さらに、肥料も作れる。
作物の成長に必要な、栄養。
それらを効率的に土に供給する化学肥料があれば、このやせた土地でも豊かな収穫が期待できるはずだ。
食料の安定確保は、何よりも重要になる。
紙、ガラス、火薬……。
私の知識を使えば、この世界にないあらゆるものを生み出せる。
それは、魔法よりもずっと確実でずっと強力な力だ。
「まずは、小さな工房から始めようかしら」
私の頭の中には、すでに未来の設計図が描き上がっていた。
ここは、私だけの研究室で私だけの王国だ。
誰にも邪魔されず、私の知的好奇心を満たすためだけの場所。
暖炉の炎が、ゆらゆらと揺れている。
その光景を眺めていると、ふとある考えが頭をよぎった。
(そういえば、この世界の『魔石』って一体どういう物質なのかしら……)
魔力をためる性質を持つ、鉱石。
魔道具の動力源として、高い値段で取引されているという。
私の『目』で見れば、その構造や成分もきっと分かるはずだ。
もし、そのエネルギーの仕組みを解明できれば……。
魔石を使わない、より効率的なエネルギー源。
例えば、化学電池のようなものも作れるかもしれない。
そうなれば、この世界のエネルギー事情を根本からくつがえすことになるだろう。
考えれば考えるほど、やるべきことは尽きない。
私は、これからとてつもなく忙しくなりそうだ。
だが、その忙しさはあの王城で感じていた退屈さとは全く違う。
心地よい、興奮をともなっていた。
夜がふけ、外は完全な闇に包まれる。
森からは、時々魔獣のものらしき遠ぼえが聞こえてきた。
普通なら、恐怖で眠れないような状況だろう。
だが、私の心は不思議と穏やかだった。
これから始まる、未知への挑戦に心がはずむのを感じていた。
翌朝、私はさっそく行動を開始した。
まずは、粘土を探し出し耐火レンガを作ることからだ。
高炉を建設するための、最初の第一歩。
小川のほとりで、質の良い粘土層を発見した私は夢中でそれを掘り起こし始めた。
泥だらけになるのもかまわず、私は土をこねる。
レンガの形に、整えていく。
これを乾燥させ、高温で焼けばがんじょうな耐火レンガが完成するはずだ。
作業に夢中になっていると、不意に背後から声がかけられた。
「……おい、嬢ちゃん。何をしてるんだ?」
振り返ると、そこに立っていたのは熊のような大男だった。
年は四十代くらいだろうか、無精ひげを生やしている。
使い古された革のよろいを、身に着けていた。
腰には、大きな斧がぶら下がっている。
おそらく、この村の開拓者か冒険者のような人物なのだろう。
そのするどい目が、私の手元にある粘土のかたまりをじっと見つめている。
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