魔力ゼロだからと婚約破棄された公爵令嬢、前世の知識で『魔法の公式』を解明してしまいました。〜追放先の辺境で魔道具開発してたら、聖女より崇められています。今更、国が傾いたからと泣きついても知りません〜
☆ほしい
第1話
「リディア・フォン・アウスバッハ、貴様との婚約をこれより破棄する!」
玉座の間に、高い声が響き渡った。
とても豪華なシャンデリアが照らす場所で、怒りに満ちた声がこだまする。
声の主は、私の婚約者であるはずの男だった。
アークライト王国がほこる第一王子、ジークフリード・フォン・アークライト様である。
燃えるような赤い髪は、彼の激しい感情を映すように逆立って見えた。
整っていたはずの美しい顔はみにくくゆがみ、私を指さす指が震えている。
その様子は、まるで許しがたい罪人を罰するかのようだ。
「ジークフリード様、それは一体どういう……」
やっとの思いでしぼり出した私の声は、自分でも驚くほどか細かった。
そして、情けなく震えていた。
周りを取り囲む貴族たちの視線が、たくさんの針となって私に突き刺さる。
かわいそうに思う気持ちや、あざ笑う気持ち。
そして、見下す気持ちがあった。
様々な感情がうずまく視線の中心で、私はただ一人だった。
なすすべもなく、私は立ち尽くしていた。
ジークフリード様のとなりには、一人の女性が寄りそっている。
守ってあげたくなるような可憐なしぐさで、王子に寄りかかるその姿。
プラチナブロンドの髪を揺らし、うるんだひとみで私を見つめる彼女こそが聖女エリアーデだ。
今、王都で彼女を知らない者はいない。
彼女は平民の出身でありながら、百年ぶりに現れたという強大な光の魔力を持っている。
その奇跡の力で、はやり病に苦しむ多くの人々を救ったとされた。
誰もが、彼女をほめたたえていた。
「どういうことか、だと? しらばっくれるのも大概にしろ!」
ジークフリード様が、まるで汚い物でも見るかのような目で私をにらみつける。
そして、吐き捨てるように言った。
「貴様のような魔力を持たない『無能』が、私の隣に立つこと自体が許されるものではないのだ! これまでどれだけ我慢してきたと思っている! もう限界だ!」
「聖女エリアーデこそ、私の隣に立つべきたった一人の存在なのだ!」
魔力を持たない、無能。
それは、私がこの世に生まれてからずっと投げつけられてきた言葉だった。
アウスバッハ公爵家は、代々王家に仕えてきた。
王国でも、指折りの魔力を持つとされてきた名門だ。
その長女として生まれたにもかかわらず、私には魔力が一切なかったのだ。
魔力を感じることも、もちろん魔法を使うこともできない。
この世界では、魔法こそが絶対の価値を持つ。
魔力がないということは、存在を根本から否定されることと同じ意味だった。
父も母も、私をいないものとして扱った。
屋敷の召使いたちでさえ、私を影で笑っていた。
たった一人、祖父だけが私の味方でいてくれた。
その祖父も、数年前に病気で亡くなってしまった。
ではなぜ、そんな私が王子の婚約者になれたのだろうか。
それはアウスバッハ公爵家が持つ、王家に対する長年の功績によるものだ。
それと、複雑な政治の力関係があったに過ぎない。
物心ついた頃から、私はこの婚約のためだけに生きてきた。
未来の王太子のお妃として、完璧な礼儀作法を身につけた。
何冊もの歴史書を、私は暗記した。
難しい政治の仕組みも理解し、その全てを頭にたたき込んできたのだ。
魔力がないという一点をのぞけば、お妃としての素質に何の問題もない。
そう、教育係たちも認めてくれていた。
だがそれも全て、この聖女エリアーデの登場によってくずれてしまった。
まるで、砂で作ったお城のようだった。
絶対的な魔力という、私には決して手に入らないものを持つ彼女の前では意味がない。
私の血がにじむような努力など、何の意味も持たなかったのだ。
「リディアよ」
玉座に座る国王陛下が、冷たい声で私に告げる。
その声には、少しの温かさもふくまれていなかった。
「そなたの存在は、我が国の威信をそこなうもの。ジークフリードの決定を、王として承認する」
「よって、そなたをアウスバッハ家から追い出し国外へ追放することを命じる」
「……っ!」
国外追放、それは実質的な死刑宣告にも等しい言葉だった。
貴族としての身分を取り上げられ、アークライト王国の民でなくなる。
それは、いかなる法律の助けも受けられないということだ。
この世界で、魔力も後ろ盾もない女が一人で生きていくことなど不可能に近い。
「お待ちください、陛下!」
私は、最後の力をふりしぼって声を上げた。
「私はこれまで、王妃教育に全てをささげて参りました! 魔力はなくとも、知識と経験でジークフリード様のお力になれるはずです! どうか、お慈悲を……」
「黙れ、無能が!」
ジークフリード様が、私の必死の訴えを無情にさえぎる。
「貴様のその得意げな顔が、昔から気に食わなかったのだ! 魔力もないくせに、いつも冷静で全てを分かったような顔をしおって!」
「エリアーデの純粋さ、健気さを見習うがいい!」
彼の隣で、エリアーデがびくりと肩を震わせた。
そして、さらに強くジークフリード様の腕にしがみつく。
そのひとみには涙が浮かび、私をおびえたような目で見つめていた。
……本当に、見事な演技だった。
私は、ずっと前から気づいていたのだ。
彼女が時々見せる、私への見下したような視線に。
ジークフリード様と二人きりの時に見せる、いばった態度に。
彼女の聖女という仮面の下に、ずる賢い本性が隠されていることを。
だが、それを今ここで訴えたところで誰が信じるだろうか。
誰もが、可憐な聖女の言葉を信じるに違いない。
私を、しっとに狂った悪女だと決めつけるだろう。
「もうよい。衛兵、この者を連れて行け」
「二度と王城の、いやこの国の土を踏ませるな」
国王陛下の冷たい宣告と共に、たくましい衛兵たちが私の両腕をつかんだ。
抵抗する力など、もう残されていなかった。
引きずられるようにして、私は玉座の間を後にする。
最後に一度だけ振り返ると、ジークフリード様の満足げな笑みが見えた。
そして、その隣で勝利を確信したようにほほえむエリアーデの顔も。
貴族たちの冷たい視線が、私の背中に突き刺さる。
誰一人として、助けの手を差し伸べる者はいなかった。
私の十五年間の人生は、一体何だったのだろうか。
***
粗末な荷馬車に揺られ、私は王都を後にした。
与えられたのは、今着ているドレスとほんの少しの水と食料だけ。
行き先は、北の辺境地ヴァイスランドだ。
寒くて土地がやせており、魔獣がうろつく危険な土地だと聞く。
そこに捨てられ、あとは野垂れ死ねということなのだろう。
ガタン、と馬車が大きく揺れた。
その勢いで頭を強く打ちつけた瞬間、私の脳内に膨大な情報が流れ込んできた。
今まで、感じたことのないほどだった。
(――痛い……ここは……? ああ、そうだ。私、働きすぎて……倒れたんだっけ……)
日本の、見慣れた研究室の風景が浮かぶ。
白衣を着た、同僚たちの顔。
鳴り響く、分析装置の警告音。
そして、積み重なった書類の山の上で意識が遠のいていく感覚。
(……思い出した。私の前の人生……)
私は、リディア・フォン・アウスバッハであると同時に研究者だったのだ。
日本の化学メーカーに勤める、しがない理系の女。
寝る間もおしんで研究に夢中になり、働きすぎて命を落とした。
それが、私のもう一つの姿。
前世の記憶は、あまりにも突然に、しかし驚くほどはっきりとよみがえった。
物理学、化学、生物学、地学……。
学生時代からたたき込んできた、あらゆる科学の知識。
それが、にごった流れのように私の意識をかけめぐる。
同時に、私はこの世界の『決まり』を全く新しい見方で理解し始めていた。
(そうか……そういうことだったのか)
私は、生まれつき魔力を持たないとされてきた。
魔力の流れを感じることも、マナをあやつることもできないと。
だが、それは違った。
正しくは、私はこの世界の人々がマナと呼ぶものを別の形で認識していたのだ。
私の目には、世界が無数の『粒』の集まりとして映っていた。
全ての物が、きわめて小さな粒子からできている。
それが、当たり前のように見えていたのだ。
人々が『火の魔法』と呼ぶ現象は、燃えやすい物質が酸素とくっつくことだ。
激しく熱と光を放つ、ただの『燃焼』という化学反応に過ぎない。
術者がマナを消費して行っているのは、その反応を始めるためのきっかけだ。
『活性化エネルギー』を、与えているだけの行為だ。
水を生み出す魔法は、空気の中の水素と酸素を結合させているだけ。
治癒魔法は、細胞の分裂と再生をマナの力で無理やり速めているに過ぎない。
この世界の『魔法』の正体、それは前世で私が学んだ『科学』そのものだったのだ。
人々は、その現象の根本的な仕組みを理解しないまま奇跡として受け入れている。
ただ、マナという便利なエネルギーを使って結果だけを得ている。
詠唱や魔法陣は、化学反応や物理現象を起こすための手順だ。
経験から、決まった形にしたものに過ぎない。
いわば、うまくいくか分からないおまじないのようなものだ。
そして、私のこの『原子や分子を視る』能力。
これこそが、この世界でたった一つの本当の意味での『特別な力』なのではないだろうか。
魔力、マナという不確定なものを間に挟まずに世界の根本にアクセスできる。
それは、この世界の誰にも真似できない私だけの力。
(……面白い)
絶望のふちにいたはずの私の心に、ふつふつと新たな感情がわき上がってくる。
それは、前世で新しい発見をした時と同じ気持ちだった。
知的好奇心と、探求心だった。
ジークフリード様、エリアーデ。
私を見下し、追放した全ての人々。
彼らは、とんでもない勘違いをしていたようだ。
私から全てを奪ったつもりでいるのだろう。
だが、彼らが私から奪ったのは何の価値もないガラクタだけだ。
私には『知識』がある。
前世で身につけた、科学という万能の力がある。
そして、この世界にはまだ誰も知らない『法則』という名の無限の可能性がある。
「ヴァイスランド……辺境、か」
やせた土地、未開の森。
豊富な、鉱物資源。
それは、見方を変えれば巨大な実験場そのものではないか。
誰にも邪魔されず、思う存分私の知識を試せる場所。
追放されて、よかったのかもしれない。
あの息苦しい王城や、うそつきの婚約者の隣にいるよりもずっと自由だ。
ずっと、刺激的な人生が待っている。
私の目標は、穏やかで安定した生活を送ること。
それは、変わらない。
だが、そのための手段はもう持っている。
馬車の揺れが、心地よくさえ感じられてきた。
これから始まる新しい生活に、私の胸は高鳴っていた。
私は、これから始まるのだ。
リディア・フォン・アウスバッハとして、そして一人の科学者として。
この、魔法に満ちた世界で。
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