第16話
決戦の朝は、不気味なくらいの静けさと共に訪れた。
空はどんよりとした鉛色の雲に覆われ、太陽の光はその向こうに閉ざされている。
昨日までの活気が嘘のように、街はひっそりと静まり返っていた。
誰もがこれから始まる運命の時を、固唾を飲んで待っているのだ。
広場にはすでに多くの領民たちが、集まり始めていた。
その顔には期待と、そして隠しきれない不安の色が浮かぶ。
私はアシュトン様と共に、広場を見下ろす壇上に立っていた。
私の隣にはエマが、心配そうな顔で寄り添っている。
「リリアーナ様大丈夫ですか、顔色が優れません」
「ええ大丈夫よ、エマありがとう」
私は彼女を安心させるように、精一杯の笑顔を作った。
だが私の心臓は、今にも張り裂けそうなくらい激しく鼓動する。
祭りの開始を告げる角笛の音が、低く物悲しく響き渡った。
それを合図にアシュトン様が、一歩前に進み出る。
彼は集まった全ての領民たちの顔を、一人ひとり確かめるように見渡した。
そして静かに、しかし力強い声で語り始める。
「皆聞いてくれ、今日という日を我々は決して忘れないだろう」
「今日我々はただ祭りを開くのではない、我々の未来を掴み取るのだ」
「敵は我々から希望を奪おうとしている、だが我々は決して屈しない」
「我々には互いを信じる心がある、故郷を愛する熱い想いがある」
「それこそがどんな魔法にも勝る、我々の最強の武器なのだ」
彼の言葉に不安げだった領民たちの顔に、少しずつ力が戻っていく。
そうだ私達は一人ではない、この場所にいる全てが仲間なのだ。
同じ想いを共有する、かけがえのない仲間たちだ。
「さあ始めよう、我々の希望の儀式を」
アシュトン様が、高らかにそう宣言した。
その言葉を皮切りに広場のあちこちで、歓声と拍手が巻き起こる。
こうして辺境領の未来を賭けた、特別な祭りが始まった。
祭りはまず、チーム対抗の力比べ大会から始まった。
ダリウスさんが率いる騎士団チームと、街の若い衆が中心の領民チームが競う。
彼らは巨大な丸太を担いで、その速さを競い合っていた。
「うおおお、負けるかこの若造どもが」
「騎士団にだって、意地があんだよ」
泥まみれになりながら必死に丸太を運ぶ男たちの姿に、観衆から大きな声援が飛ぶ。
その光景はどこか滑稽で、しかしひたむきな生命力に満ちあふれていた。
次はハンスさんが審査員長を務める、料理対決の時間だ。
騎士団の炊事班と街の女将さんたちが、腕によりをかけて料理を作る。
出来上がった料理が、長テーブルの上にずらりと並べられていった。
スノー・ウィートを使った香ばしいパンや、森で採れた木の実のシチュー。
そしてハンスさん秘伝の、特別な薬草酒もあった。
どれも素朴だが作り手の愛情がこもった、温かい料理ばかりだ。
人々は身分も年齢も関係なく、同じテーブルで同じ料理を分け合った。
その顔には、心からの笑顔が咲いている。
美味しいものを食べると、人は自然と優しい気持ちになれるものだ。
私はその輪の中を、ゆっくりと歩いて回った。
一人ひとりに声をかけ、その笑顔に私もまた力をもらう。
寺子屋の子供たちも、祭りを心から楽しんでいた。
私が企画したパン食い競争では、顔を真っ白にしている。
彼らは必死に、吊るされたパンに食らいついていた。
その無邪気な姿を見ていると、胸の奥がじんわりと温かくなる。
トムも、その輪の中にいた。
彼は競争には参加せず、少し離れた場所から様子を眺めている。
だがその表情は、以前のような全てを拒絶するものではなかった。
彼の瞳には、かすかな光が宿っているように見える。
彼は自分のペースで、世界との繋がりを取り戻そうとしているのだ。
私は彼のささやかな成長が、たまらなく嬉しかった。
祭りが最も盛り上がったのは、子供たちによる劇が始まった時だった。
小さな舞台の上で子供たちが、一生懸命に物語を演じている。
ウサギが知恵を使い、恐ろしいオオカミに立ち向かう物語だ。
そのたどたどしいセリフとぎこちない動きに、観客席からは温かい笑いが起きる。
惜しみない拍手が、子供たちへと送られた。
トムもいつの間にか舞台の近くまで来て、食い入るように劇を見つめている。
物語の最後、ウサギがオオカミを追い払うとひときわ大きな拍手が送られた。
その時私は、確かに見たのだ。
トムの口元に、ほんの一瞬だけ微かな笑みが浮かんだのを。
それは本当に小さな変化だったが、私には何よりも大きな希望の光に見えた。
祭りは順調に進み、人々の心は喜びと一体感で満たされている。
この希望のエネルギーが、きっと敵の儀式を打ち破る力になるはずだ。
私がそう信じかけた、まさにその時だった。
日が傾き始め空が茜色に染まる頃、それは突然始まったのだ。
ゴオオオオオッ、と地鳴りのような不気味な音が空の彼方から響く。
楽しげだった広場の空気が、一瞬で凍りついた。
誰もが不安そうに、空を見上げた。
鉛色の雲が、渦を巻き始める。
そしてその中心が墨汁を垂らしたかのように、急速に黒く染まっていった。
トムが描いた、あの恐ろしい光景だ。
『黒い太陽』が今、私達の頭上に現れようとしていた。
「ひっ、な、なんだあれは」
領民たちの間に、動揺と恐怖が波のように広がっていく。
楽しかった祭りの雰囲気が、一転して悪夢のようなパニックに変わり始めていた。
黒い太陽から冷たく禍々しい波動が、地上に向かって降り注いでくる。
それは人々の心の中にある、負の感情を無理やり引きずり出す邪悪な力だった。
「いやだ、死にたくない」
「また、あの時みたいになるんだ」
あちこちで人々が、頭を抱えてうずくまり始める。
騎士団の兵士たちの中にも、顔を青くして震え出す者がいた。
戦場で負った心の傷が、この邪悪な波動に共鳴して疼き始めている。
このままではいけない、せっかく一つになった人々の心が崩壊してしまう。
私達が築き上げた希望の砦が、絶望の濁流に飲み込まれてしまう。
アシュトン様が、私の前に立ち剣を抜いた。
「リリアーナ、俺の後ろへ」
彼の背中は頼もしく、そしてどこか悲壮な覚悟に満ちている。
ダリウスさんやレオさんたちも、必死に人々をなだめようとしていた。
「しっかりしろ、敵の術中にハマるな」
「これは幻だ、リリアーナ様の言葉を思い出せ」
だが一度広がり始めた恐怖の伝染は、簡単には止められない。
黒い太陽は、その大きさを刻一刻と増していく。
どうすればいいのか、私の頭は高速で回転していた。
この状況を、打開するための方法を探す。
恐怖には恐怖で、絶望には絶望で対抗できない。
ならば、希望の力で立ち向かうしかない。
私はアシュトン様の背中から、一歩前に進み出た。
そして広場の中央に積まれた、巨大な薪の山をまっすぐに見据える。
「アシュトン様、火を」
私の突然の叫びに、彼は驚いて私を振り返った。
「火をつけるのです、あの焚き火に」
「私達の、希望の炎を灯してください」
私の瞳に宿る決意を見て取り、彼は力強く頷いた。
彼は近くにいた兵士に松明を持ってこさせ、自ら薪の山へと駆け寄る。
そして祈りを込めるように、その松明を薪へと突き立てた。
乾いた薪は、一瞬で炎を上げた。
オレンジ色の炎が天に向かって、螺旋を描きながら燃え上がっていく。
それは空に浮かぶ黒い太陽に対抗するような、力強い生命の光だった。
だがそれだけでは足りない、この炎をもっと大きく力強くしなければ。
私は壇上へと駆け上がり、震える足でその中央に立つ。
眼下には、恐怖に怯えるたくさんの顔が見えた。
私は深く息を吸い込み、歌を歌い始める。
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