第2話 野党の家
「寝れるときに寝るべきだ」
社畜サラリーマンの僕は、寝ることのできる透き間時間があれば、どこでも直ぐに眠れる。
いや、眠るのだ。
なぜなら――、
休日に取引先のヒステリーに対応できない現場から呼び出されるかもしれない。
真夜中に、重要案件を思い出し上司に呼び出されるかもしれない。睡眠不足になると仕事に影響する。時間は自分ではコントロール出来ない。
だから、僕は、眠れるときは、いかなる時でも眠る。
喫茶店で珈琲を飲んでる途中でも、
電車でつり革につかまっている時でも、
眠ることはできる。
だから、盗品と一緒に袋に詰められたぐらい、なんのことはない。
ぐっすり眠った。
麻袋越しに外が
夜明け後、僕は、天上のある屋内の板の間に、袋から転げ出された。目の前にいるのは、野盗の一味、僕を攫った男の顔がみえる。彼の自宅なのだろうか、部屋をじっと眺め見る。土間から上がった板の間に、神官たちが身に着けていた装飾品と共に僕は並べられている。天井は、竹で組まれた骨組みに、藁で拭いた屋根が乗っているのだろう。意外と過ごし良さそうだ。粗末な建物だが、外より良い。遠くを見ようとして、体を動かしたのが悪かったか近くの布が体を覆い転がり落ちる。
「おいおい、落ちても泣かねぇか、本当に、気持ち悪い赤ん坊だ」
体が上手く動かせず、うつ伏せになった僕を、野盗の男は、上向きにもどしてくれた。舌打ちして奥へと消える。
硝子のない窓から朝の明光が射し込んでくる。どこか焦げた匂い、煤けて薄汚れた粗末な床板、濡れた藁は鼻腔につんとした匂いをもたらす。
奥から薪をくべて、ぱちぱちと火が燻る音がして、暖かい白米の匂いがする。
顔を洗った野盗が、ずかずかと歩いて来る。
「かあちゃん、飯な! 食って一眠りしたら、売りに行くけん、細かいんは家のものにしとけ、あと、そこの赤ん坊は、家のもんにはせんから、売りものにするんやから頼むわ」
男が声をかけたほうをみると、一回り若い女がやって来た。
「あらまぁ、玉のような赤ん坊やね」
男は、木の器に粥のようなものをよそったものを、彼女から貰って、口に運ぶ。
平らげる。
「つかれたぁー」と声を荒げ、そのまま横になると、いびきを始める。
「元気そうな赤ん坊やね、家に貰いたいぐらいやけど、まぁ、町に売れば金になるやろね。大人しぃ賢そうな赤子は高く売れるやね」
脇の下に手を入れ、僕を天井へと持ち上げた。かあちゃんと呼ばれた女は、どうも男の妻のようだ。折角持ち上げてもらったので、視線を隣の部屋に持向けてみる。沢山の子供に赤子が数人、すやすやと寝ていた。おそらく、半分は彼女の子で、半分は盗んで来た子なのだろう。余り綺麗な身なりはしていない。
「反応しいや」
僕は頬を、ぺしぺしと叩かれ、はきはきしたきっぷの良い女を見つめた。出来れば、僕にもさっきの粥が欲しかった。腹は空いていた。泣けば何かくれるのだろうかと思い、じっと彼女を見つめた。
「お腹でもすいとるんか」
物欲しそうな顔でもしていたのだろうか。女はそう言うと乳房を出し、慣れた手つきで乳首を僕の口に放り込ませた。赤ん坊の条件反射か、僕は無我夢中で乳を飲んだ。腹が満たされると、げっぷをさせてもらい、僕は満足したのか、再び眠ってしまった。どうも、赤ん坊の性というものには逆らえないらしい。
おそらく、その日の昼過ぎ、僕は、身なりをマシにした野盗たちによって街に運ばれた。川沿いにある街道が交差する宿場が発達した街だ。
一番大きな道沿いに宿と共に多くの店が建ち並ぶ。
居並ぶ往来の人々に賑わう店から離れ、山手側にある店の裏へ回ると、さっぱり人がいなくなる。
野盗たちが住んでいたような街並みが、ここから山の裾まで田畑と共に点在する。
店の裏口から入った男たちは、埃っぽい土間に御座を轢き、商品を取り出し並べ始めた。
僕も、その商品の一つとして並べられた。
御座は肌着を通しても、背中がちくちくする。他にも赤ん坊がいて、彼らは、「おぎゃあ、おぎゃあ」と合唱を繰り返す。泣き声を発し、野盗に罵声を浴びせられていた。
そんな中、藍色の着物を着た男女一組が現れた。男は中肉中背のぷっくりした「ご
次々と商品の値踏みが始まった。
男たちは値を上げさせようと細い嗄声をあげ、ご主人と女将さんは値切り交渉に太い声をあげる。
そこに、赤子の鳴き声が交じるオーケストラが奏でられる。耳を塞ぎたい気分である。次々と値付けされる中、とうとう、男と女将さんが交渉を始めた。僕の値踏みである。
「ほう、泣かぬ赤子とは、珍しいわね……名は?」
男が首を振る。肌着の袖を引っ張り何かを探した。
「ほう、これは北方人の文字ね。何か書かれているわよ……文字ね」
「名前はそちらで決めて貰えれば結構です」
野盗の言葉に、女将さんは鼻を近づけて僕の匂いを嗅ぐ。
「物の怪じゃなさそうだ。それで名がある肌着をつけてるとは、あんたら、偉い獲物を狩ったようやね……」
「へぇ」と野盗は口元をあげた。
「うちには、北方の文字を読める者もある」
女将さんはそういうと、「おーい、ウズラぁ」と声をあげた。
小さい少女が駆けてきて、僕の服を引っ張った。
「ウズラ、これ、何と読む」
「綺麗な絹の肌着にゃ、高貴な人かもしれんにゃ……、うん、えーと、『シ』、『リ』、『カ』、シリカと書いてあるわ」
少女は、初めの僕が出会った神殿の人々に似た顔つきで、飾り物をつけている。奴隷なのかと思ったが、女将さんからは、威圧的な素振りは見えない。それに、緑に光るイヤリングもしているし、青く輝く首飾りもある。
しかし、それよりびっくりしたのは、このような少女が文字を読めることだ。たしか、五百年前の日本と言っていたし、家も街も古びているのに、この世界の教育は大したものだと関心した。
「シリカか……」
転生して、新しい人生を迎えると思っていたのに、なんてこった。心の中で苦笑した。
近藤に似た母、カイヤムナーだったかな、彼女が、『シリカ』と僕を呼んだ。
また、その名を呼ばれるとは皮肉なものだ。約三十年間、僕の名前だった
「それにしても、泣かんな、この赤子、もしかして、泣けぬのではないのか」
「目をみてくだせぇ」
男が首を振る。
「女将さんや、ほら、この赤ん坊、目で訴えるんです。大人みたいに、絶対に成り代わりですよ。高く買ってくだせぇ」
そこへ主人も、他の根切を終えて顔を出して来た。
「成り代わりやと、そんな訳ねぇやろ。成り代わりなら、金貨十枚は払うが、北方人に成り代わりが生まれるわけがない」
女将さんはそれでも、「あんた、もしやということはあるでしょ」と僕をじっと見る。
主人も僕を見て、「欲しいんか、ふむ、で、いくら欲しいんや」と男に声をあげた。
男と主人、顔をチラチラとみて、熱気の籠った商談に、社畜サラリーマンの僕は、なぜかドキドキした。
「金貨一枚で……」顔を乗り出し鼻息を荒くさせた。
「帰れ、帰れ、ありえんわ」主人は手で払う。
引きつった笑い顔で顔を振りながら体を引く。
「冗談です。泣かぬ赤子ですので……、銀銭三貫は下らぬかと……お願いです。こっちは命がけやったんやから」
男は片目だけ開けて、主人を見上げた。
「馬鹿か、乗馬が買える値だ。ただの泣かぬ子なら、金が勿体ないわ」
女将さんが、ご主人の太鼓腹を肘で付ついた。ふぅと大きな溜息を吐く。
「じゃあ、一貫でどうじゃ、それならよかろう」
女将さんが嬉しそうに笑う。主人が男に迫った。
男の商売が得になったか損になったかは知らない。ただ、僕は 銀銭一貫という値で商人の手に渡った。
商売とは、相手の顔色、態度から見える自信の顕れを肌で感じることだ。
社畜サラリーマンの僕は、人の話し方や顔色で、誰が一番この場で力を持っているかが分かる。
ご主人は決定権はあるが、それを左右しているのは、『女将さん』だ。おそらく、ウズラという少女を召し抱えることを決めたのも『女将さん』この商人の館での権力者は彼女であることを見抜いていた。
おそらく、主人は上下関係は厳しいが金勘定に弱い。女将さんが主人を立て回している組織。僕が付け入るなら女将さんだ。
社畜サラリーマン時代に培った観察スキルが自然に発動していた。不思議なものだ。神官たちを殺し僕を奪った野盗が、この商人には顔があがらない。人間関係の本質は、場所や立場で、本当に変わるのだ。
だが、赤ん坊の僕が何を出来ると言うのか、前世なら商売として漬け込む事も出来たのに、赤子だと何もできやしない。
どうしたものか。
この商人は、僕をどうするつもりだろう。
育てるのか、見世物にするのか、はたまた、もっと高く誰かに売り飛ばすのか、赤ん坊の僕はどうする事も出来ない。
「ウズラ、シリカを寝屋へ連れて行きなさい」
女将さんの指示に、ウズラが僕を抱きかかえ、すぐにその場から奥の間へ続く廊下を走ったので、これ以上の商談話は聞くことができなくなった。。
走りながら、ウズラの快活の良さが分かる。この少女、なんとも可愛らしく愛嬌がある。廊下を走りながら、抱かかえている僕に話しかけてきた。
「シリカ、あんたは、成り代わりにゃんか」
答えたいが話せない。そもそも、『成り代わり』が、何かすら分からない。だから、座らない首を回して、視線をあっちやこっちに向け、分からないという素振りを必死でしてみせた。
「フフフ、あんた、おもろい顔しちょるね、本当に私の言葉、分かっちょるみたいにゃ」
嬉しそうに、ぱぁと明るい顔をする。オカッパ頭の丸顔の少女は可愛げに笑った。
つづく
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