百鬼夜行編
第1話 社畜の僕が転生する
「……僕は、死んだのか」
どんな感覚とも似ていない。いや、あれだ。遊園地にあったフリーフォール、金玉がふわっと浮き上がるあの気持ちの悪さと一緒だ。漆黒の虚無に急遽出現した僕は、今、ものすごい勢いで、風を受けながら急激に落下している。
そして、金色に体が輝いている。ん、ちょっと待て、
想えば、どこにでもいる平凡で冴えないサラリーマンだった僕が、大手でもなく三流企業でまるで畜生のようにこき使われ働いてきた。気がつけば二十九歳、彼女もいなければ、気さくに話せる友もなく、ただ仕事にすがり続け、毎日をすり減らせた。
つい先ほど、街の片隅で出会った占い師に突然に、
『一年以内に死ぬ』と言われたばかりだ。
「いや、これ、もう死んでねぇか!」
まるで流れ星になったかのように、真っ暗な世界を真っ逆さまに地獄へでも落ちていく。
風を受け息も出来ない。
天を見上げると、星降る夜空が一面に広がっていた。これは、地上へ落ちるスカイダイビングに似ているが、背中にパラシュートなど背負ってない。まさに無防備のまま、急降下で落ちている。
突然霧が立ち込めたと思ったが、おそらく雲を突き抜けたのだ。ぐんぐん迫る地表が近づいていく。
このままでは地上に叩きつけられ潰れる。いや、四肢も残らない程に、プチってなって、細切れに吹き飛んでしまう。
「くそー 死にたくねぇよー」
再び落ちるほうへ視線を向けると、遥か遠い場所に月に照らされた海原が見えた。こんなに幻想的で美しい海を見たことが無い。
海から陸地を見渡すと、ぬっと突き出した山を這うような漆黒の山の尾根が見えた。こちらも見たことが無い景色である。綺麗だ。
「きれいだけど、やっぱ、やばいよ、やばいよ」
見とれている場合じゃない、こんな速度で地面に落ちたら、確実に死ぬ。
いや既に死んでるのか、体が無いから魂なのかもしれないが、でも嫌だ。
どんどん地面が近づいて来る。見えるのは、山並み、森、森の中に灯り、灯りは人々の暮らす村のようだ。
森、村、中央に、夢で見たような白亜の神殿が建っていた。屋根には篝火が燃え、赤く揺れているのがわかる。
人だ。
神殿には多くの松明を手にした人々が集まってきていて、何やら騒がしい。
石造りの神殿の屋根が見えて来た。
駄目だ。ぶつかる。
「おーい、誰か、助けてくれー」
叫び声をあげながら神殿の屋根を突き抜け地面に激突した。
終わった。目を瞑ったが、全く衝撃はない。
衝撃による痛みがない。
衝突の瞬間に目を閉じたのだろう、ゆっくりと瞼を開けると、薄明るい橙の灯りが石造りの建物内部を照らし揺れている。
動かした手が視界に入った。
手がある。まじまじと見る。
小さな手。……いや、小さすぎるぞ。
先ほどまで感じていなかった五感の感覚が襲ってくる。ほどよい暖かさが全身を包み、ふわりとした優しい布の感触がある。
かがり火の灯りは前後に揺れ、柑橘系の香の匂いが鼻の奥の鼻腔を擽る。誰かの囁き声が聞こえてきた。
現状を確認しよう。
干した唐草で編まれた揺り籠に俺は寝ている。手足をばたつかせ、視界に可愛らしく握った手を開いたり閉じたりして、ようやく気が付いた。
――まさか、俺、赤ん坊になった? ――別の体に憑依したのか――。
これじゃ、まるで転生だ。でも生まれた赤ん坊に憑依したと言った方が良い気もする。
確実に、二十九歳の男の体ではない。死んだかさえ分からないが、あの占い師と話をして――転生したのだ。
揺り籠の隅を掴んで体を捻ってみる。力の使い方が難しいが、隣にもゆりかごが幾つかあるのが一瞬見えた。そこには小さい赤ん坊がすやすやと眠っている。ここは産婦人科か何かか、日本でやり直すって言ってたが、ここは絶対日本じゃないだろう。
とにかく、赤ん坊になったということだ。
生まれ変わりは本当にあるのか。
感心したが、同時に驚いた。これって、前世の記憶があるって奴だな。神の悪戯か、間違いだろうか、本来、こういうものは、前世の記憶は消えるのだろう。嫌、もしくは、生まれ変わった瞬間は覚えていて、そのうちに忘れ去るものであろうか。
周りをもっと調べようと視線を巡らせるが、体の不自由さも相まって、それ以上の外の様子を見る事はできやしない。どうも、ここは二十一世紀の日本ではない。異世界か、どこか文明のない未開の地のようだ。
やがて、耳に、先ほどの占い師の声が響いた。
『……シリカ……。お前の名は……、シリカです』
目を向けると、そこには、俺をここに連れて来た、あの女神のような女性、確かマカラと言われていた女性がいた。長い黒髪の彼女は色彩が薄く色が透けたようになって見えている。まるで、幽霊のようにも見える。
『幽霊ではありませんよ、車竹さん、いえ、シリカさん』
一応、思った事には返答してくれた。
マカラが奥の壁を指さすと壁が透けて見えた。そこには、会社の同僚によく似た女性が巫女のような姿で立っていた。
―― 近藤さん ――
似ているが、他人なのには気づいた。
『彼女の名は、カイヤムナー。この神殿を治める巫女の長にして、この国の民にとって母なる存在です。そして、車竹さん、いえ、シリカさんの紛れもない『母親』です』
――近藤さんが母親? ――
『違います。カイヤムナーです』
――そうですね、でも、人生をやり直すって言ってくれましたが、それがここですか、確か、日本と言ってましたが、ここは、一帯何処なんですか。
『ここは日本ですよ、年代は五百年ぐらい前になりますけど』
――五百年前の日本? ちょっと待ってください。マカラさん、なぜ、俺をこっちへ連れて来たんですか、それも五百年前だなんて。
『それは、貴方が行きますと言ったからでしょう。望んだから連れて来たのです。最後の枠を利用してまでね、あれ、最後の枠だったんですよ。もっと喜んでください』
衣擦れのような音をさせ、誰かがやって来たようだ。衝立向こうの話声も消えた。
「カイヤムナー様、寝所へのお越しとは、一体、どうされましたか?」
「今、何か神々しい気配を感じたのだ。まぁ、いい、息子に乳をやっておく、もう、 奴らは近くまで来ているだろう。次にいつ、乳をやれるかわからん」
全く近藤の声である。
おいおい、しかも、日本語だぞ。きちんと聞こえるし理解も出来る。
近藤、おまえ近藤だろう
声に出そうとして、ただの赤子の鳴き声にしかならない。
近藤、いや、カイヤムナーは僕を抱かかえた。すると、何とも言えない不思議な安心感に包まれる。
おもむろに綺麗な乳房が露出され、僕は赤面した。
顔に押し付けられる。
ちょっと待て、それはいけない。だめだ。まだ、僕らは殆ど口もきいたことが無くてだな。
羞恥で顔が火照る。
サラリーマン時代に培った無表情を持つスキルを使う。会議中に退屈な資料を読み上げられても顔に出さない技術が、役に立つとは思わなかった。
「お腹へってないの? 飲まないの?」
しゃんしゃんと、金属の擦れる音が近づいて来る。母の後方より鎧の鳴る音が聞こえた。
「待ちなさい、こちらは寝屋ですぞ!」
僕は、揺り籠へ戻された。
「なにごとか!」
「北の門が炎に包まれた!」
「やはり敵は……ジンヤムナーのトウルクか!」
外だろうか、角笛の高い音色が長音で長くけたたましく鳴り響いた。神官たちが慌ただしく荷物を鞄に放り込みだした。揺り籠から、目を凝らして見つめると、大人二人と少年一人が建っている。
もう一度、マカラが薄い色で現れた。
『先ほどのジンヤムナーとは、、隣国の名だ。かつては共に『鬼』と呼ばれる外敵と戦った仲間だが、今や権力を争う宿敵。彼らの最強刀剣士団「トウルク」が進軍してきた』
神官たちの顔は恐怖に染まっていた。
少年が頭を下げた。
「母上、私も戦います!」
十歳ほどの少年である。
「サイヌ、貴方は、弟を連れて逃げなさい」
そういうと、サイヌと呼ばれた少年と、カイヤムナーと呼ばれる母は、僕のところへやって来た。
揺り籠を抱き上げ、そのまま、サイヌへ託した。
彼の瞳には強い意志が宿っていた。
「私が死んだ時は、其方が頭領となる。そして、其方が死ぬ時は、弟が頭領となる。生きよサイヌ。弟一人守れずして、民を守れると思うか!」
その声は静かで、揺るぎなかった。
おいおい、マカラを見るが、既に居ない。
これって、ヤバい奴じゃない、逃げようにも、赤ん坊の僕には何も出来ない。初めて「死」というものを赤子の身で直視した。
そう、初めて会った新しい母は――死ぬ覚悟なのだ。
僕はサイヌの胸に抱かれ、女神官セイマの馬に乗せられて神殿を後にした。振り返れば、事実は首を少し伸ばし夜半の森、神殿を見た。夜空を焦がす炎。母が囮となって残り、神殿に敵を集中させたのだろう。そうとしか思えない。
何がどうなっているかは分からないが、僕は次期王子の弟なのだろうか、だが、国は内乱で荒れ、燃え落ちていく。
森の中を馬が駆け抜け、枝葉が顔を叩く。サイヌの小さな腕が必死に僕を抱き締めていた。
「弟、シリカよ、貴様は必ず俺が守る」
その言葉は、幼いながらも決意に満ちていた。だが――。
川辺に一団が差し掛かった時だった。闇の中から矢が飛んで、先頭を馬で走る神官が胸を射抜かれ馬から落ちた。矢は、続けて五月雨のように打ち放たれた。
「ジンヤムナーの軍隊なら、ここにはいないはず」
「まさか、陽動なのか!」
サイヌが声をあげる。
森の影から現れたのは、顔を黒く塗った男たちで、刃の欠けた刀や大きな木の根を布で巻いた棍棒を振りかざしていた。襲って来た。
「仕舞った、野盗だ。武者賊だ!」
大声で笑いながら、頭目らしき男が黒い馬に跨がり、日本刀を月に向かって掲げた。その姿は僕が良く知っていた日本の侍の姿であった。
「互いに戦え、そして、俺たちは漁夫の利を得る。美味しいものだ」
サイヌは僕を左手で抱えながら、剣を振るった。沢山の黒ずくめの男を倒したが、子供の力では限界があった。神官たちも奮闘したが、十数人に五十人ばかりで襲われたのだ。数に押され、神官は次々と倒れていった。
セイマは、僕を抱えて逃げようとしたが、腕を掴まれて地に叩きつけられ、悲鳴が夜に響いた。
女神官たちは嬲られ、男性神官たちは惨殺され、赤子の僕は金品と一緒に袋へと放り込まれた。
「こいつ、泣かねぇぞ……ただの赤子じゃねぇな」
「へへ、金になるぜ」
粗野な笑い声が耳に響き、僕は歯噛みした。泣かないのは意地だ。赤子の体でも、魂は大人の男である。サラリーマンとして修羅場をくぐってきたし、殴られたり蹴られたりしたこともある。
泣いてどうなる訳でないのは分かっていた。
状況を冷静に把握すること、それが生き残る唯一の道であると、袋の中で大人しくしていた。
つづく
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