第四帖 紅玉「灰廉様に恋をしました」
今晩は夜伽ですわ……
そう思うと、わたくし紅玉は、身体が芯から熱くなりました。
灰廉様のお姿は、遠目からか、姿絵でしか拝見したことがありませんでした。
たいそうお美しい方だとの噂は常々耳にしていたが、貴人故に大仰に囁かれている節もあるでしょう、と話半分に聞いておりました。
しかし昨日、燃える牛車を追いかけて皇家に足を踏み入れ、灰廉様と対峙したその時、
心に甘やかな嵐が吹き乱れました。
……こうも麗しい殿方が、この世にいらっしゃったとは。
お着物の上からでもわかる、ただ細いだけではない均整の取れた長身痩躯。
東洋風味の精緻さと、西洋風味の色素の薄さが共存したお顔立ち。
艶やかなお髪。
わたくしと同じ色合いの、白雪のような肌。
美貌のみに胸を躍らせるなど、
つい先ほどまで、そう思っておりましたのに
……この胸の高鳴りは、自身に何を言い聞かせても抑えることはできませんでした。
それゆえ、その灰廉様がわたくしのことを、妃に迎えとうございます! と仰られた時は、天にも昇る心地でしたが
……舞姫の権化のような瑠璃君が目前におはしますことで、刹那にして現に引き戻されました。
わかってはいるのです。
後宮で多くの妃を迎えるような状況でなければ、わたくしなど選ばれるはずがないこと。
要望も経歴も高貴な瑠璃君の対となってこそのわたくしであること。
わたくしが灰廉様に惹かれたのと同じように、灰廉様にも美貌に惹かれる気持ちがあって当然であり、いざという時にそれを理由に瑠璃君を選ばれても、苦言を呈する資格などないこと
……いえ、一夫一妻制のままでしたら、灰廉様の妃をお選びになるのは金剛帝様で、選ばれるのは瑠璃君ですらないかもしれませぬね。
それでもなお、
歌留多をすれば、町娘なりに知性を磨いてきたことをご覧になっていただきたくなり、
実家から夕餉に届いたお肉を褒められれば、心は弾みました。
そして、灰廉様が三人で大浴場に入ろうと申された時は、瑠璃君との比較を恐れて羞恥に慄きました。
しかし実際に、灰廉様と瑠璃君がお二人で大浴場に入られると……
先を越されたという焦りと、嫉妬の炎に、待つ身をこうもじりじりと焦がされるならば、較べられた方がましであったのかもしれません。
そして、その後の自身の入浴時間は
……いかに檜の湯の効能にのみ酔いしれようと心がけても、御二方は今頃、夜伽に励んでいるのかと、どうしても思考がそちらに及んでしまいました。
寵を争う好敵手でもあり、同じ境遇を分かち合う唯一の同志でもある瑠璃君。
灰廉様をついつい熱い眼差しで見つめてしまうわたくしですが、彼女からは熱っぽい視線は感じ取れません。
寧ろ、灰廉様が両手に花よとお喜びになるような様子を見せると、この色事好きが、とばかりに冷たい眼差しを向けておられました。
一夫一妻の価値観が染み付いている、というこもありましょうが、恐らく彼女は現時点では灰廉様に惹かれてはおられないのでしょう。
そんな彼女にとって、いまの夜伽は辛く、苦しいものに違いありません。
ああ、後宮とは罪なものです
……中心となる殿方に恋をしようとしまいと、胸が傷めつけられるのですから。
「紅玉君、ずっとそのように柱の陰に隠れておられては、お風邪をひかれますよ。
早くこちらへいらっしゃいな」
「そ、そんな
……昨日はあのお美しい瑠璃君とお入りになられたのでしょう
……お恥ずかしゅうございます……」
「紅玉君だって負けず劣らずお美しいではございませぬか。
なんといっても、わたくしが選んだ妃なのですからね。
あまりにご自分を貶めると、わたくしの選択をも貶めることになってしまわれますよ」
「は、はい、さようでございますね……」
まずはそっと湯に脚を浸からせる。
「なんとまあ、眩しいおみ足ですか。
父上と妃を迎えようという話をしていた直後で、このようなものをお着物の下から初対面で見せられてしまっては……」
「そ、そんな……」
またもや卑下の言葉が口をつきそうになり、慌てて思考の矛先を変える。
「か、灰廉様だってたいそう素敵でございますよ
……随分と鍛えておられるのですね。
昨日は宮中のご趣味は動かないものが多いと申されておりましたのに、何をなさればそのような、一切の無駄のない鋼の肉体になられるのですか?」
讃える言葉も、こうもはっきりと言語化してしまうと、心中が全て伝わってしまいそうで、たいそうお恥ずかしゅうございます……
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