王宮-前編
新たな朝の光が、再び穏やかな王宮への道を照らし出していた。ユグリットとラーレは、これまでの試練を乗り越えた確かな意志と温かな希望を胸に、塔を後にし、王宮へと帰るべく馬に乗り、歩み出した。険しい道を進むその足取りは、まるで新たな未来への時を刻むかのように、しっかりと地面を捉えていた。
同行するのは、かつて閉ざされた塔の奥深くで、孤独と悲哀に耐え続けた半神、ニルファール。彼は重い過去の記憶と共に、静かにユグリットの後ろで揺られていた。しかし、帰途につく中で、彼の胸にふと不安がよぎる。長い幽閉の日々の恐怖が、再び彼を襲うのではないか――もし、彼の持つエルドの力を恐れる者たちが、また彼を捕らえようとするのではないかと。
ふと、ニルファールは静かに口を開いた。
「……あの、ユグリット、ラーレ……」
その声はかすかに震え、不安と恐れを含んでいた。
二人はすぐに馬を止め、優しく彼の方を振り向いた。
「どうしたのですか? 何か心配なことでも?」
ユグリットの穏やかな声と、ラーレの温かい眼差しが、彼の心に触れた。
ニルファールはしばらく目を伏せ、静かに語り始めた。
「私は、エルドの血をひく身です。懐かしい王宮へあなた方が連れて行ってくださるのはありがたい。しかし……私の力を恐れる者たちが、また私を幽閉しようとするのではないかと……」
彼の声は、500年もの孤独な日々の重みを感じさせ、心の奥に潜む恐れがあらわになった。
ユグリットはそっとニルファールの肩に手を置き、優しく語りかけた。
「ニルファール、心配はいりません。私達が必ず、あなたを守ります。過去の悲しみが再び繰り返されることは、決して許さない。」
ラーレも力強く頷き、続けた。
「そうだ。僕達はもう過去の過ちに縛られることはない。あなたの力を恐れる者が現れたら、僕達が立ち向かう。あなたが安心して生きられるように、守るから。」
しかし、ニルファールの目は依然として揺れていた。
「でも……」彼は言葉を詰まらせる。
「このままでは、また恐れられて……」
そのとき、ユグリットはふと、静かな決意に満ちた表情で提案した。
「ニルファール、一つ提案があります。王宮で過ごす昼の間だけ、あなたの姿を変えてみたらどうでしょうか?例えば、小さくて愛らしい小鳥の姿なら、誰も警戒せず、安心してあなたを受け入れてくれるでしょう。」
ラーレもすぐに賛同した。
「それなら、あなたも安心して過ごせるし、僕達もあなたの側で守ることができる。小鳥の姿になれば、日の光の中でも恐れることはないはずだ。」
ニルファールはしばらく考え込み、そしてゆっくりと頷いた。
「……わかりました。あなた方の言う通りにいたします。」
その瞬間、ニルファールは自らの内に秘めた魔法を解放するかのように、そっと目を閉じた。
次の瞬間、彼の姿は徐々に変化し始め、黄金の輝く羽を持つ小鳥へと姿を変えた。輝きを放つその小鳥は、すぐにユグリットとラーレの肩にとまり、安心したように目を閉じ彼らの温かな手の中に身を委ねた。
「これで安心ですね、ニルファール。」
ユグリットは、柔らかな笑みを浮かべながら小鳥の羽をそっと撫でた。
ラーレは嬉しそうに、しかし誓いを込めたように頷いた。
「僕も、安堵した姿のあなたを見るのが何よりも心強いよ。」
小鳥はユグリットの青い衣の中にそっと仕舞われ、傷つかないようゆったりと歩みを進めた。
王宮の門をくぐり厩に着き、馬から降りた瞬間、二人の姿を見つけた一人の高貴な女性が駆け寄ってきた。
「ラーレ、ユグリット!」
息を切らせながら駆け寄る彼女の顔には、安堵と心配の入り混じった表情が浮かんでいた。
彼女の名はコーネリア、二人の従妹だ。
肩の長さに切り揃えられた波打つ赤き髪が揺れている。
「心配したのよ、何か二人の身にあったのではないかと…」
ユグリットとラーレは、互いに顔を見合わせながらも、すぐに微笑んで答えた。
「ああ、コーネリア。心配かけてすまない。少し、遠出をしていたんだ。」
「そう。色々とあって、時間がかかってしまって…」
コーネリアは、二人の言葉を聞くと、一瞬、まだ何か訴えかけた様子を見せたが、最終的には納得したように頷き、
「そう。それならよかったわ。でも、あまり無理はしないでね。」
と、優しく諭すような口調で言った。
ユグリットとラーレはほっと胸をなでおろしたが、ふと、コーネリアの顔がユグリットの衣の中に覗く小さな羽根に目を留めた。
「まぁ、なんて愛らしいのかしら!」
「ユグリット、その小鳥、どこで手に入れたの?とっても可愛いわね!」
コーネリアは嬉しそうに、興奮気味に話しかけた。
榛色の瞳を輝かせている。
その瞬間、二人は青ざめ、顔を見合わせた。
(しまった…ニルファールのことを忘れていた…)
心の中で焦燥感が走る。もし、ニルファールが半神であるという真実が、コーネリアの豊かな好奇心によって暴かれたら――また、何か厄介なことになるだろう。
しかし、ユグリットはすぐに、冷静に、そして慎重に口を開いた。
「コーネリア、これはただの…珍しい小鳥です。遠乗りの最中、偶然見つけまして。」
ラーレも、頷きながら付け加えた。
「ええ。どうしても大切に育てたくて…あまり話すと、余計に心配かもしれませんから。」
コーネリアは不自然な程の他人行儀な言葉遣いに一瞬戸惑いながらも、二人の言葉に納得したように微笑み、
「そう…なら、よかったわ。大切にしてね。」
と言って、王宮へ戻っていった。
ユグリットは深いため息をつき、ラーレは固い表情で目を伏せた。
(これで、なんとかこの場を切り抜けた…でも、まだ不安が消えない。)
しかし、二人は互いに頷き合い、今日の試練と、これからの未来に向けた決意を新たにした。
衣の中から顔を出した黄金の小鳥は、そんな二人を眺め…心配そうな声で鳴いた。
コーネリアと別れた後、ユグリットとラーレは王宮の扉の前に立った。
心の奥にはまだ塔での出来事の余韻が残っている。
「ただいま戻りました。」
近衛の騎士に声をかけると、騎士はすぐに二人に目を向け、少し緊張した面持ちで一礼した。
「ユグリット殿下、ラーレ殿下。王の間にお向かいください。国王陛下がお待ちです。」
ユグリットとラーレは互いに顔を見合わせた。
「王の間に?」
父王が自ら呼び出すというのは、ただの帰還報告ではないだろう。
ラーレがぼそっと呟く。
「……まさか、気づかれた…?」
「まだ決まったわけじゃない。」
ユグリットは静かに答えながら、落ち着いた足取りで王の間へと向かった。
扉の前に立つと、侍従が二人の姿を確認し、重厚な扉を押し開ける。
「陛下、ユグリット殿下、ラーレ殿下が御帰還されました。」
王の間に足を踏み入れた瞬間、ユグリットとラーレは強い視線を感じた。玉座に座る父王、カトゥス王国の現国王ガルヴァンは腕を組み、厳しい表情を浮かべている。広間に響く重苦しい沈黙が、二人を迎えた。
「──さて、お前達。どこに行っていた?」
低く抑えられた声が広間に響く。
ユグリットとラーレは無言のまま、わずかに視線を交わした。禁じられた塔のことを正直に話せるはずもない。二人の口が開くよりも早く、王の声が鋭さを増す。
「まさか、禁じられた塔へ足を踏み入れたわけではあるまいな?」
王の問いに、場の空気が凍りついた。背後で並ぶ宮廷の重臣たちも、息をのむ気配が伝わってくる。
ラーレは喉を鳴らしながら、何かを言おうとするが、うまく言葉が出てこない。ユグリットもまた、慎重に言葉を選ぼうと考えていた。しかし、次の瞬間──
「チチッ!」
黄金の小鳥が、ユグリットの衣の中から飛び出した。
ニルファールだ。小さな羽をふわりと広げ、煌めく光をまとったその姿に、王と重臣たちは目を見張った。
「……小鳥?」
予想外の展開に、ユグリットとラーレは瞬時に察した。
「はい、父上。この小鳥を保護していたため、戻るのが遅くなりました。」
ユグリットが即座に口を開いた。
「森で傷ついていたので、治療し一晩様子を見ていました。少し時間がかかりましたが……申し訳ありません。」
ラーレもすかさず続ける。
黄金の小鳥は、まるで話を合わせるかのように小さく羽ばたきながら「チチッ」と可愛らしく鳴いた。その仕草に、王や周囲の人々の警戒がわずかに緩んだのを、二人は見逃さなかった。
王はじっと小鳥を見つめると、深く息をついた。
「……そうか。次からは報告を怠るな。」
叱責はされたものの、厳しい追及は免れた。二人は静かに礼をし、そのまま王の間を後にした。
自室に戻ると、二人はどっと力が抜けたように椅子に腰を下ろした。
「危なかったな……」
ラーレが額の汗をぬぐいながら苦笑する。ユグリットは、小鳥のニルファールに視線を向けた。
「……ニルファールが飛び出してくれたおかげで、助かった。」
すると、ニルファールは黄金の羽を揺らしながら、小さく喉を鳴らした。
「おんがえし……」
小鳥の囀りが、どこか意味のある言葉のように聞こえた。
二人はしばし沈黙したが、疲れた身体にはそのまま休息が必要だった。
王宮の夕暮れ時、窓の向こうには深い橙色の空が広がり、ゆっくりと夜が訪れようとしていた。
ユグリットとラーレは身支度を整え、肩にとまる黄金の小鳥を連れて、晩餐の席へと向かった。
「ニルファール、静かにできますか?」
ユグリットが小さく囁くと、小鳥はチチッと可愛らしく鳴いて、まるで「任せて」と言うように小さな胸を張った。
「ふふ、小鳥も晩餐会に出席するとは、なかなかの高待遇だね。」
ラーレが笑いながら言い、ユグリットも微かに微笑んだ。
二人が豪奢な食堂の扉をくぐると、黄金の燭台が美しく輝き、華やかな宮廷音楽が静かに流れていた。長いテーブルの上には、丁寧に盛り付けられた料理が並び、芳醇な香りが漂っている。
食堂には既に、コーネリアとその両親や親戚達…そして父王ガルヴァンが座っていた。
「ユグリット、ラーレ、お待ちしていましたわ。」
コーネリアが優雅に微笑みながら迎える。
彼女の視線がすぐにユグリットの肩にとまっている黄金の小鳥に向けられた瞬間、その瞳が驚きと喜びに輝いた。
「まあ…!先程の!」
コーネリアは優雅に手を差し出しながら、柔らかく囁いた。
「いらっしゃい、小さなお客様。」
その瞬間、小鳥のニルファールはふわりと羽を広げ、優雅にコーネリアのもとへ飛び立った。
父王ガルヴァンが、その姿を興味深そうに眺める。
黄金の光をまとい、気品ある動きで飛ぶ小鳥を見つめながら、彼は静かに言った。
「……私の曽祖母から聞いた話だ。黄金の小鳥はエルドの使いであり、幸福をもたらす存在だという伝承がある、と。」
その言葉に、テーブルについていた者たちは一瞬、驚いたような表情を浮かべた。
「エルドの使い……」
ユグリットとラーレは、父の言葉にひやりとしたものを感じた。
ガルヴァンはゆっくりと目を細めながら、威厳ある声で続ける。
「この王宮に舞い降りたのも、何かの縁であろう。幸福を呼ぶ存在ならば、丁重にもてなすように。」
彼は家族や給仕たちに向け、優しく、しかし確固たる口調で告げた。
「よいか、この小鳥は我が宮廷の貴賓として迎える。食事の席でも不自由のないよう、もてなしの心を忘れるな。」
その言葉を受け、給仕たちは恭しく頭を下げた。
その瞬間、ニルファールはふわりと羽ばたき、ガルヴァンのもとへ飛んでいった。
「ほう……?」
ガルヴァンは驚きながらも、差し出した指に止まった小鳥をじっと見つめた。
黄金の羽根が揺れ、澄んだ瞳がガルヴァンを映している。
すると、ニルファールはそっと顔を近づけ、小さなくちばしで彼の頬に軽くキスをした。
「……これはまた、心を許されたようだな。」
王が低く笑うと、周囲の空気もどこか和やかになった。
「まあ……なんて可愛らしいことを。」
コーネリアが微笑みながら、うっとりと小鳥を見つめた。
「さぁ、晩餐を始めよう。」
ガルヴァンの合図で、晩餐が始まる。
ユグリット、ラーレ、コーネリア、そして王家の人々は、話を交わしながら、食事を楽しんだ。
「ユグリット殿下、このスープは本日の特製でございます。どうぞ。」
給仕が銀の器に満たされたスープを差し出す。ユグリットは優雅に頷き、それを受け取った。
「ありがとうございます。」
「ラーレ殿下、こちらのローストもお勧めです。」
「おお、これは美味しそうですね。」
一同が穏やかに食事を楽しんでいる中、ニルファールはコーネリアの近くで、興味深げに小さな頭を傾けた。
「ふふ、小さなお客様にもお食事を用意しなくてはね。」
コーネリアはパンの小さなかけらを指でちぎり、ニルファールの前に差し出した。
「いかが?」
「チチッ!」
黄金の小鳥は嬉しそうに、コーネリアの指からパンをついばむ。
その様子を微笑ましく眺めながら、ラーレが冗談めかして言った。
「すっかりコーネリアのもとへ行ってしまったな。」
「ふふ、どうやら私が気に入られたようですわ。」
コーネリアは軽やかに笑い、ニルファールの小さな背をそっと撫でた。
ユグリットもその光景を静かに見つめ、優しく微笑んだ。
「……安心したよ。ニルファールが、この宮廷で受け入れられるのならば。」
その言葉に、ラーレも深く頷く。
「そうだね……これなら、しばらくは安心できそうだ。」
こうして、黄金の小鳥は王家の一員として迎えられた。
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