第4話  農婦からお姫さまへ

 山間やまあいにある宿場町しゅくばまち

 行きかう者の多いこの町は、よく栄えていた。

 旅籠屋はたごやの並ぶ表通りは、今日の宿を探す者と、無理やりにでも宿に引きずりこもうとする女衆おんなしゅう、そして売り買いをする商人たちで騒がしい。


 実家の瑞草堂ずいそうどうも表通りにあるが、真珠は人の多いのを避けていつも裏通りから帰宅する。

 どこの建物よりも長く続く板塀いたべい。そこにある小さな戸を開けて裏庭に向かって「戻りました」と言えば、まだ十になるかどうかの少女が笑顔で向かえ入れた。


「真珠さま、今日のお風呂はよもぎですよ」


「ありがとう、なずな」


 なずなは嬉しそうに「えへへ」と笑うと、真珠の背負しょい籠を受け取り去っていく。

 まだ幼いのに感心するほど働き者であるとほほえましく思いながら風呂場へ向かう。


 漆喰で仕上げた小さな小屋に入ると、ぷうんとよもぎの香りがただよっていた。


 足の脚絆きゃはんをはずし、続いて腰の前掛け、腕の手甲てっこうをはずす。

 最後に頭に巻いた生成きなり色の手ぬぐいをほどいた。

 くるりとしたくせ毛の、短い髪があらわになる。

 髪の長いのが当たり前の世で、真珠の名を体現したかのような丸い頭をしていた。


 薄汚れた藍の着物をはらりと脱ぐ。

 それまで野良着のらぎ姿の農婦のうふに見えたが、しかしその肌は白くなめらかだ。


 そうして薬湯を堪能して、裾に美しい花の絵の入った着物を着れば、そこにいるのは実に裕福そうな品のいい女であった。


 最後に尼僧にそう頭巾ずきんをかぶると、外へでた。

 少し日が傾きかけている。

 湯に入ってぽかぽかした身でぼんやり眺めていると、赤くほてる頬を涼やかな風がなでていく。

 山百合の花の香りは消え去り、代わりによもぎの葉の香りが身を包んでいるのが自分でもわかった。


「姉さん!」


 その声にはっとして本宅の縁側に目をやれば、真珠に負けず劣らず高価な着物の女が立っていた。

 歳は二十代の半ば。赤紫の着物に、まっすぐな髪を美しく結い上げて、いくつもの高価なかんざしが頭を飾った。

 凛々しい目元に紅色の唇はそれはもう美人で……しかし、眉根をぐっと寄せて眉間にしわを寄せている。


「まあ、珊瑚さんごちゃん。どうしたの? そんなに怖い顔をして」


「心配したのよ。山越えをしてきた旅人が言うには、山賊がでたっていうの」


 真珠はすこうしだけ驚いた様子で、「まあ」とつぶやいた。

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