▶PLAY『くらげのできるまで』Ⅵ
秋吉は何度もフォルダを確認した。時間順にソートしたり、ファイル名を一文字ずつ目で追ったり、忙しない様子だ。
次第に、その表情に困惑が浮かぶ。
「……ない。散々撮影してきたはずなのに、あの人の映像が一つもない」
「よう秋吉。編集は進んでるか?」
「宮本。おまえ、合宿の参加者は何人だった?」
「は? 何言ってんだ? ええと、おれとおまえと
「嘘だ。もう一人いたはずだ」
「どういう意味だ?」
「いや、だってそうだろ? 世界の秘密を知るカントク役のおれ以外に「捨てる奴」が四人。四人って少ないだろ。キリが悪いから一人増やそうぜって話になって、真柴さんに入ってもらったんだろ? だからもう一人いるはずだ」
「なんでだよ。脚本にはなんて書いてあるんだ?」
「それは……」
「四人なんだろ?」
「でも、おかしいんだよ。これじゃオチがない。五人目がいて、そいつがさらなる秘密を握ってて、登場人物の名前は実は嘘で戻された世界は偽の場所だってのが明らかになる……そんな話だったよな?」
「アホか。誰が知らない奴のそんな複雑な話を見るんだよ。学生映画なんてそれっぽく映っててそれっぽく話があるっぽければいいんだよ。『それっぽ』だよ。『それっぽ』——だろ?」
「なんだよその言葉。そうだ、他にもさ。撮ったはずのシーンがいくつか欠けてるんだよ。みんなで卓球やったシーンは? 公園のシーンは?」
「おまえが撮ってただろ? ないなら録画ミスか、間違って消したとかじゃねえの?」
「そんなバカな……」
「秋吉、編集作業自体はどの程度進んでるんだ?」
「導入部分と、四人のインタビューはだいたい終わった。五人目のインタビューがないっていま気づいて……わかった! さては他の四人が五人目の役柄の良さに嫉妬して消したんだな?」
「何言ってんだ。おれは違うぞ」
「じゃあ他の三人の誰かだ」
「そんな奴いねえよ、落ち着けって」
「そうだ。さっき見た導入のシーンにはちゃんと五人映ってたはずだ……見てろ宮本……あれ?」
秋吉は呆然とする。
「いなくなってる……?」
「だから、最初からそんなのいないんだって」
「おれが目を離した隙に誰かが弄くったのか?」
「おまえ、ずっとここにいただろ」
「たしかに……いや、そもそもここはどこだ? おれはなんなんだ? 今日の朝メシ何食ったっけ?」
「あー……秋吉、おまえ疲れてんだよ。そうだ、いまからアレしようぜ、アレ」
「アレってなんだよ」
「おまえの大好きなアレだよ。『ピ』で始まる、三八文字の……」
「あー、アレか! そうだな、アレするのもアリだな。よし、いったん編集は忘れるか」
出ていった二人。残されたカメラ。教室の明かりがパチ、パチと数度明滅する。
カメラを繋いだパソコンに、まだ編集されていない映像が映った。
「……ちゃんと映ってる?」
「映ってますよ」
「じゃあちょっと聞いてほしいんだけど……困ったことになって」
「というと?」
「これ、何かを捨てると名前を取りもどせるんでしょ? そしてみんな、その『何か』をいつの間にか持ってた」
「そう。そういう世界だから」
「でもわたし、何も持ってないの」
「あれ? おかしいな。そんなはずはないのに。みんなちゃんと、それぞれに見あったモノが用意されてるはずなんだ」
「たとえば?」
「真柴さんは日記帳、三輪はチケット、久美子先輩は写真、宮本はDVD。先輩は……文庫本のはずでしょ? 雨に濡れてふにゃふにゃになった」
「それがないの」
「……あれ? ほんとだ。おかしいな、変わってる」
「何に変わってる?」
「何っていうか……なんだ? なんでだ、これ——」
ザザッ……。
画面が乱れる。
「……いまのナシでお願いします」
「え?」
「落ち着いて。もう映ってますよ。さて、先輩は何を捨てるんでしょうか?」
「監督役、秋吉くんじゃないんだ」
「彼は解雇です。ここから先はディレクターズ・カットってことで」
「ふうん。どう違うの?」
「捨てるモノ、変更になったのは聞いてますか?」
「うん。でも何に変わったの?」
「名前です」
「……わたしの?」
「そう。三年分の、いろんなものを詰め込んだ名前です。『先輩』を悪者にしたこともあれば、守ることもあった名前」
「……それを捨てたらいいんだね?」
——この世界の真相を話そう。
世界を牛耳るクラゲの力を授かったのは、
天坂が例のボールペンで脚本を書き始めると、不思議なことに彼女の周りにありとあらゆる良いことが舞い込んだ。自転車の駐輪場はいつもガラガラで、昼休みに購買部のブルーベリーパイが売り切れることもない。お小遣いが増え、肌は潤い、髪のつや、視力、滑舌全てが良くなり、運命的な出会いもあった。
一方で、ボールペンを与えたこの『先輩』は、そんな天坂に複雑な感情を抱き始めた。
最初は怒りだ。その幸運はわたしが得るはずだったものなんだから盗るなという。
だから、天坂の脚本を台無しにしてやろうと、本能的に思った。
しかし、同時に全く反対の感情が湧いてきた。
何があろうと、人を陥れる理由にはならない。
天坂にどんな目覚めや出会いがあって、『先輩』にそれらがなかったとしても、それはそれぞれの人生なのだ。積み重ねているものが人と違うからといって、奪ったところで自分のものにはならない。
だから『先輩』は理性的に、協力的になろうとした。天坂の脚本を心から応援したし、合宿が上手くいくように願っていた。
しかし、感情は燻り続けていた。
理性と感情が相反したまま並存することで彼女に宿ったクラゲの力が暴走し、混沌を抱く原因となった出来事そのものを消し去った。結果、天坂は一晩で脚本を書いたのだというふうに世界は捻じ曲げられたし、そもそもの発端である天坂自体もどこかに消えてしまった。
消えた時間はなかったものとされ、そのまま世界は進んだ。
さらに、『先輩』の精神は暴走を止めなかった。過去に干渉して因果が変わった。
天坂が脚本を書くために様々な人と関わった世界——つまり消し飛んだはずの世界の『先輩』が、改変された方の世界にやって来たのだ。
いま『先輩』はあらゆる世界を自在に行き来し、作り替えられる。
「どこまで世界を作り替える気ですか?」
「ここまででいい」
『先輩』は言った。
「
「運まかせってことですか? たとえば本当は天坂じゃなくて『先輩』と出会うはずだった人もいるんでしょう? また出会えるとは限りませんよ」
「べつべつになるなら、べつにそれでも」
「いいんですか?」
「そりゃ、もっといっぱい話すはずだったし、もっといろんなとこに行くはずだったかもしれない。そういう人がいたとして、それはもう通り過ぎた過去のこと。どうやっても、失われて二度と来ないって事実は消せない。でもそれでいい」
「ズルもできますよ? あえて苦しまなくっていいんじゃないんですか?」
「……その苦しみが、嫌いじゃなかったりして」
「変わってますね」
パソコンの中、カメラに向かって語る『先輩』は目を伏せた。
「うまくいかなかったっていう経験は、いつかうまくいくかもっていう期待に変わるんだよ。ただ、いつなのか、うまくいくのか。なんにもわかんない。それが問題なんだけどね。でもその問題はわたしが、いや、誰だって抱えていかなきゃならないから」
「だからべつべつになる、と」
「そう。誰かの人生からわたしが退場して、わたしもその誰かに近寄らなくなる。そういうの、なんていう関係って呼ぶのか知らないけど」
「無関係、ですね」
「あー。なるほど」
『先輩』は少し微笑んだ。
「いい言葉だね」
「じゃあ、捨てるものを……箱はないので、こっちを見て言ってください」
「
「残ったあなたの名前を教えてください」
『先輩』は手のひらに載せた水色の石を差し出し、柔らかい毛布に包まれたような表情で言った。
「うん。わたしの名前は、
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