三 ビッグマウス・ストライクス・アゲイン〈SCRIPT〉その1

 わたしはいつか——学校内の盗撮犯に関する事件の終わり頃、映研えいけんの顔も知らない先輩に対して「呪いにかけられている」と言った。おそらくだけど、呪いと祝福は表裏一体だ。だっていまのわたしはまさにそれで、次はいつ会いにいこうとか、この話をしたいなとか、そういうことで頭がいっぱいだからだ。菜々子ななこ先輩のノートを手に取りブックカースを喰らった日から、わたしもまた呪われた一人なのだ。気持ちが歪んでいく自覚はあった。この歪みは誰にも……特に菜々子先輩に知られるわけにはいかない。だから今日、部室に彼女が来ていないのはありがたいことだった。

 自分の都合で人を陥れるのはナシだと思う。でも、自分の都合がたまたま他人の不都合になる場合は?

 それって仕方なくない?

 我慢するの?

 不満を抱えて生きていく、後悔する。わたしの人生なのに?

 そんなことばかり考えてしまう(そして陥れることが目的ではない)。

「海、実は初めてです」

 井口いぐちさんが言った。

「子供の頃に、親が『ビックリさせよう』ってサプライズでわたしを海に連れてこうとしたらしいんだけど、家族でわたしだけ風邪ひいて親戚の家においてかれたの」

「おいてかれたんだ」

 わたしの苦笑に、二条にじょう先輩はこう続けた。

「ドライで良い関係のご家族だね。それはそれ、これはこれ、でも恨みっこなしっていうのは大事だ」

 たぶん適当に言っている。この人は芯の通った日和見主義者だ。いつもふにゃふにゃしてて他人の人生や人格形成に一切の影響を及ぼさなそうな佇まいには好感が持てる。

 夏休みは悠々と居座り、合宿までちょうど一週間だ。わたしの「捨てる話」はようやく完成し、印刷したのをホチキスで留め、人数分を部室に持っていった。部室には二条先輩と井口さんが来ていて、二人が最初の読者となった。感想は「力作だね(どう見ても適当)」と「ワクワクします(明らかな社交辞令)」だったけれど、仕上がったという達成感をくすぐってもらうには充分な賛辞だった。

「読み合わせの時間とか全然取れなくてすみません……」

「いいよ、ウチいつもそんなもんだし。行きの電車でやればいいでしょ」

 二条先輩からあまりにも軽く言われて、ありがたみと不安が同時に胸に去来した。

「これから買い出しに行くけど。合宿でいろいろ必要だし」

 二条先輩が言って、わたしと井口さんはそれに同行することになった。学校から自転車で五分足らずのホームセンターだ。わたしは初めて行ったけれど、映研の小道具を買ったり、他の文化部も道具の調達なんかで使うから、実はウチの高校生たち御用達のスポットらしい。

「あっ、わたし水着買わなきゃ」

 井口さんがいきなり水着コーナーに向かった。

「え、いま?」

 ていうかここで買うの? あとわたし、学校のやつで行くつもりだったんですけどそれってひょっとしてナシなの?

「待って、わたしも!」

 そんなことがあったから、結局合宿に必要なものを揃えるために二条先輩は一人で店内を彷徨うことになった。

「すみません! 全部任せちゃって」

「いいよいいよ。水着買えた?」

「はい。あと……ぺったんこなサンダルとやっすいサングラスも買いました」

「それは何より」

 二条先輩は笑いながら、精算済みのカゴからビニール袋に買った物を詰める。麦わら帽子、ビーチサンダル、浮き輪、水筒、大量のグミ——。

「ほとんど私物に見えますが」

「終わったら部室に置いとけば、やがて備品になるよ」

 なんの屈託もない笑みで、謝って損した気持ちになった。

「だから部室が散らかるんだ……」

「ひどいな。最近は片づけてるよ。人の出したものだって、鍵閉める前にきちんとしまってから帰るくらいだし。散らかってるとしたら、絶対にぼくじゃないね」

 そう反論しつつ、二条先輩はわたしたちをホームセンターに隣接するカフェに誘った。買い出しにつき合ってくれたお礼におごってくれるという。

 謝って良かった。

 座席は夏休みの家族連れで半分くらい埋まっている。窓際の空いているテーブルを得られたわたしたちは、手で顔を仰いだりしながら各々のドリンクをすする。わたしはたぶんこの世でいちばん長い名前のオレンジジュースを買ってもらって、その冷たさと甘酸っぱさにしばし浸った。

「合宿楽しみです。自分たちで撮影するってすごいですよね。わたし、来年カメラやりたいかも」

「頼もしいね」

 井口さんの言葉に、二条先輩はコーラをすすりながらまた適当な相槌を打った。

「それよりさ。天坂あまさかも井口も、合宿先で何か目的があるんでしょ? そっちの準備は大丈夫?」

 わたしと井口さんが顔を見あわせる。

「なんで知ってるんですか? わたし言ってないと思うんですけど」

「だって井口、あの時期に夏合宿があるからって理由で入部してくるなんて、合宿先に用があるに決まってるじゃん。それに天坂も、どこの海でもいいはずなのにわざわざあそこを選んだ。ちょっとネットで調べればすぐにそこが何かの聖地なんだってわかった。行ってくれば?」

「すごい。探偵みたいです」

 井口さんの感嘆に、二条先輩はくしゃりと笑った。

「んなアホな。そんなことを好き好んでする奴はいないよ。いたらこの世界の上位存在とかだ」

 普通の高校生は推理などしない。宮本が頭に浮かんだけれど、たしかにあいつは好き好んでやったわけではなかったか。

 井口さんが肩をすくめる。

「というわけで、天坂さんと一緒にこっそり抜け出す所存です」

「もちろん、時間があれば、ですけど!」

 わたしは慌ててそう添えた。

「時間なんて作るんだよ! 絶対に推しキャラと同じ景色を見なくちゃ!」

 井口さんは拳を握る。前から思ってたけど、彼女はちょっとわたしとはタイプが違う。

「わたしはそこまで……ていうか、実在しないキャラクターを心の中心に置いちゃうくらいのめり込むのって、ちょっとおっかないかなあ。主体性を差し出すような気がして」

「そうかなあ。現実の、その辺の誰かを中心にしちゃう方が怖くない?」

「え、キャラにハマるのは違うの?」

「だってキャラは存在しないもん。存在する人間はこっちに反応するんだよ? それって怖くない? よくそんなのに執着できるよなってなる」

 あまりに堂々と言うものだから、わたしは黙るしかなかった。べつに言い負かされたつもりはないけど。

 井口さんは何も気にしていない様子で、すっと二条先輩を見やる。

「ところで、今日は他の人たちは?」

つくだは友達の見舞いに行くってさ」

「ああ、手術するって人ですよね。そんなにひどいケガなんですか?」

「いや。どっちかっていうとメンタル面がキツいみたい」

 聞けば、ハンドボール部の人で全国大会のスタメンだったのに、古傷のせいで出場が叶わなかったそうだ。

「それは残念ですね」

「中学の頃に手首を捻ったのが、実は関節の中で折れてたんだって。それをほっといたせいで変に固まっちゃったんだとか」

「そんな時間差みたいな骨折があるんですね。こわ」

 井口さんは他人事のように言う。それはそうだけど、この人は佃先輩の前でも同じように言いそうな怖さがある。

 そう思ってたら二条先輩がたしなめた。

「それ、佃の前で言わないでよ。たぶんへこむから」

「アウト発言でしたか? 友達思いなんですね、佃先輩」

「ふだん素っ気ないくせに首突っ込むとのめり込むタイプだからさ」

「たしかに二条先輩には素っ気ないですよね」

 井口さんはけらけらと笑った。

 はいそれもアウト発言だから。わたしはさりげなく話を逸らす。

宮本みやもとはお金ないからきっと家に籠もってると思う」

 するとまたも井口さんが反射で言った。

「そういえば前から聞きたかったんですけど、宮本とあの、ミチカ先輩って……なんかあるんですか?」

 井口さんはわたしたちと違って菜々子先輩を本名で呼ぶ。それは当然なんだけど、その表情はあまりにもニヤニヤしていていただけない。この子はさっきから思ったことが顔と言葉に出すぎる。

 二条先輩は「ははは、女子のことはぼくにはわからん」なんて笑い流した。必然、彼女の視線はわたしに向く。

「はっ? 知らないよ、そんなこと」

 それからとってつけたように、

「だって宮本のこと嫌いだし」

「天坂ちゃんはそうだよね。でも宮本って妙に自信たっぷりじゃん。それって、わたしたちに嫌われても自分にはあんなきれいな彼女さんがいるからなのかなとか、そんなことを思っちゃって」

「でもなあ。性格がなあ」二条先輩が苦笑した。

「あんな滅茶苦茶な性格の先輩を手の上で転がせるのはおれだけだとか思ってそう」

 二条先輩は声を出して吹き出して、少し咽せた。咳き込むのが落ち着いてから、こう続ける。

「でも、あいつは昔から仲いいカレシがいるみたいだよ」

「そうなんですか? 幼馴染みってこと? 何それアガるわーっ」

 井口さんは一人で身悶えしている。二条先輩が何をどこまで知っているかはさておき、そのカレシなる人物が誰を指しているかは言うまでもない。わたしは目の細かい紙やすりでお腹のあたりを擦られたみたいな、いたずかしい気持ちになって、ジュースの残りをズズッとすすった。

 解散して、みんなが帰途に就いて、それからわたしは何をした?

 それもまた、言うまでもないことだ。

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