第一章

第一話




 早坂はやさかとおるは、迷宮の掃除屋である。

 二十歳、男、独身。今年で三年目。


 世界が『異世界』と融合して以降、世界中に出現した迷宮――いわゆるダンジョンには、それまでファンタジー・フィクションで語られていたような魔物や、世にも珍しい秘宝、魔法遺物、そして魔物素材があった。


 このダンジョンを攻略する者たちは探索者と呼ばれ、一流の探索者ともなれば現代の英雄である。彼らが迷宮から持ち帰る全てがあまりにも貴重で、ことによっては人々の生活を一変させるほどの発見もあった。


 S級探索者がテレビや新聞で扱われない日はなく、ほとんどアイドルのような活動をしている探索者まで存在する。


 一九九九年に恐怖の大王が降りて来る、などという予言があったそうだが、世紀末に世界は変貌したのだ。異なる世界と融合して、ひとつになって。


 それから四半世紀経過した現在。



◇◇◇



「あー、あー……トールです。配信始めます」


 早坂透――トールは、スガイダンジョンの入口でボディカメラの電源を入れ、ポケットから携帯端末を取り出して配信が開始されていることを確認すると、ひどくやる気のない足取りで『迷宮』へ侵入した。


 大型トラックがどうにか通れそうな入口から傾斜を下って行くと、すぐに迷宮の通路へ出る。壁、床、天井が薄ぼんやりと光っていて灯りを必要としないが、三十メートル先は見えない程度には暗い。


 そんな中をトールは気の抜けた調子でぶらぶらと歩き続け、十字路の右から魔物が現れたのを察知し、右手の得物を振りかぶった。

 鉄の鈍器である。

 厳密に言うと長さ一メートル三十センチに切断した細い鉄筋を五本束ねて溶接し、持ち手に麻布をぐるぐると巻き付けた手製の鈍器だ。


 ひゅっ、とトールに向かって飛び跳ねて来るのは「毛玉」と呼ばれる、テニスボールからバレーボール大の魔物だ。

 攻撃方法は、体当たり。

 高校生の運動部員が思いっきりバスケットボールを投げたくらいの威力があり、数匹に囲まれると初心者探索者だと焦るかも知れない。


 が、トールにとっては慣れたものだ。

 飛び跳ねての体当たりを、半歩だけ横に逸れて躱しつつ、鈍器を振って毛玉を叩き落とす。地面に落ちた毛玉を、そのまま足で踏みつけた。

 これを三度、繰り返す。


「毛玉、三」


 ボディカメラのマイクに聞こえる程度の、しかし覇気というものが全く感じられない声音でトールは呟き、倒した毛玉の跡を探る。

 基本的にダンジョンの魔物は素材を落とさない限り、死体を残さず消えてしまう。代わりに残すのが『魔核』だ。


 これは魔力の塊であり、現代では発電よりも優位なエネルギーとして利用されている。……といっても、スガイダンジョンの上層に現れるような魔物の『魔核』は、米粒程度の大きさだ。

 それでも、塵も積もればなんとやら。

 米粒大の『魔核』を三つ拾って、腰袋に放り込む。それからまたトールはやる気のない調子で歩き出し、道中で現れる魔物をいちいち倒していった。


 スガイダンジョンの上層に現れるのは、毛玉と呼ばれる魔物、大鼠、それからデミゴブリン。どれもよほどの初心者でなければ苦戦するのが難しいほどの雑魚モンスターである。駆け出しの探索者ですら、すぐ相手にしなくなる。


「鼠、四」「毛玉、六」「デミゴブ、二」「鼠、二」「鼠、三」


 ぶらぶらと迷宮を歩きながら、遭遇する魔物たちを片っ端から鈍器で殴り、踏みつけ、蹴り倒していく。

 はっきり言ってなんの面白味もない作業だが、仕事なのだから仕方ない。


 世界が異世界と融合して以降、世界中にダンジョンが出現し、オーストラリア大陸の東北東の海にアトランティス大陸が現れ、海面の水位が上昇し、いくつか噴火した火山が氷竜の息吹で被害を免れた。


 ダンジョン――迷宮には、放置していると暴走するという特性がある。


 どうやら迷宮内部に溜め込んだ魔力が、ある閾値いきちを超えると本来その迷宮では生まれない強力な魔物が出現し、そいつを中心に迷宮の魔物たちが外部へ飛び出してしまうらしい。これがいわゆる『迷宮暴走ダンジョン・スタンピード』である。


 まるで猫が毛玉を吐き出すみたいに、ダンジョンが溜め込みすぎた魔力を吐き出してしまう――と言われている。


 世界中の迷宮が見つかったのは、迷宮たちが『暴走』を起こしたからだ。山奥の渓谷、海中、無人島……様々な場所で『迷宮暴走』が起きた二千年代初頭、世界は地獄絵図だったという。

 発見された迷宮は国の管理下に置かれ、各国は大々的に探索者を募った。

 そうして世界融合後の人類は、迷宮が産出した様々な資源や知識を糧に、急激な適応を果たすことになったわけだが、それでも課題はある。


 そう――今この瞬間にも、未発見の迷宮が『暴走』しているかも知れない。


 世界中をしらみつぶしに探して回るわけにいかない以上、未発見の迷宮は結局のところ『暴走』を待つしかない。

 である以上、少なくとも発見済みの迷宮が『暴走』するのは避けるべき。


 なので探索者が見向きもしない、おまけに探索終了済みのD級ダンジョン――スガイダンジョンのような迷宮にも、掃除屋が必要というわけだ。


「デミゴブ、三」「毛玉、二」「毛玉、四」「鼠、三」


 無感情に雑魚掃除を続けながら、迷宮を進む。

 すでに迷宮入りしてから二時間以上経過しているが、さほど疲れもない。束ねた鉄筋を二時間近く振り回して平気でいられるのは、慣れ以上の理由もある。


 魔物を倒すと魔力を吸収する――という学説がある。

 いわゆるレベルアップというやつだ。


 トール自身は世界が融合してから生まれた、いわゆる異世界世代で、中学のときにはダンジョンでモンスターを倒す授業があった。

 魔力を吸収した人類の中には、稀に特異な性質を発現させる者がいるからだ。


 これは異世界世代に限らず、一九九九年には成人していた者も含めて、異世界への適合性が高かった者がいた。魔物を倒すことで異様なほど身体能力が上がった者、魔法が使えるようになった者、理屈を越えた異能力を得た者……。


 もちろんトールは、それらのひとつとして得ていない。

 ただ、三年間延々と雑魚掃除を続けていただけ。


 それだけでも自覚できるくらいには身体能力は上がっていて、たぶんフルマラソンを普通に走りきれる程度にスタミナもある。


 が、それだけだ。

 S級は言うに及ばず、C級の探索者としてもトールは力不足だろう。活躍している探索者は、壁を走るし一階から三階までジャンプするような人外バケモノだ。


「鼠、二」「毛玉、四」「毛玉、四」「デミゴブ、二……っと、なんだ?」


 魔物が残した『魔核』を腰袋へ放り込み、トールは違和感に首を傾げた。

 なにか、音がするような気がしたのだ。


 トールはポケットから携帯端末を取り出し、配信時間を確認する。


「あー……っと、四時間三十二分。異音がする……ような気がする。きーん……みたいな、耳鳴りに似てる音。こっちの体調の問題で本当に耳鳴りかも知れない。違和感は違和感なので、報告しておく。コメントもしておくか」


 視聴者ゼロ、コメントゼロの配信に、トールは自分でコメントを打ち込む。

 それからしばらく無言で立ち止まってみるも、耳鳴りに似た音は消えない。


「……これ、マイクに乗ってんのか……?」


 見慣れたはずのスガイダンジョンがひどく他人行儀に思えた。

 といっても、五層以下には降りたこともないのだが。


「戻るか」


 異常があったら即撤退。

 探索者でないトールであっても、迷宮に携わる職に就いている以上は耳にたこができるほど叩き込まれた常識だ。


 三層から入口まで戻りがてら、遭遇する魔物を叩き殺していく。

 そうして迷宮を出た後は、市役所のスガイダンジョン支所へ。


 早坂透は、迷宮の掃除屋である。

 市役所の下請けの。





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