第五十一話 玉座への道
『…面白い。実に、面白いじゃないか』
神の、心底楽しそうな声が、無限の空間に響き渡った。
絶望の淵にいたはずの駒たちが、再び立ち上がり、あろうことか、自分の椅子を破壊しようとしている。
彼にとって、それは予期せぬ、最高に面白いゲーム展開だった。
『いいだろう。ならば、新しいゲームを始めようじゃないか』
神が、玉座に座ったまま、指をぱちん、と鳴らす。
その瞬間、アイリスたちが立っていた、鏡のように滑らかだった床が、粉々に砕け散った。
一行は、落下する床の破片と共に、奈落の闇へと落ちていく。
「きゃあああっ!」
シルフィの悲鳴が響き渡る。
だが、彼らが闇に飲み込まれることはなかった。
砕けた床の破片は、それぞれが宙に静止し、無数の、浮遊する足場を形成していた。
そして、遥か先、この浮遊する瓦礫の迷宮の、最も奥に、神が座す光の玉座が、まるでゴール地点であるかのように、静かに輝いている。
『ステージの名は、「玉座への道」。ルールは単純。この浮遊する足場を渡り、私の元へたどり着くこと。もちろん、道中には、ささやかな障害物も用意してあるけどね』
神は、楽しそうに、そう告げた。
それは、絶望的な、障害物競争の始まりだった。
「…行くぞ!」
最初に動いたのは、アイリスだった。
もはや、彼女に迷いはない。
彼女は、最も近くの足場へと、跳躍した。
「姉御に続け!」
ギルが、仲間たちに叫ぶ。
「ジーロス殿、テオ殿、シルフィ殿は、俺が! 魔王様は、姉御が!」
彼は、三人の仲間を、その巨大な両腕に、ひょい、と抱え上げた。
そして、アイリスが渡った足場へと、凄まじい跳躍力で、飛び移っていく。
アイリスは、ゼノスの腕を掴み、彼を導いた。
分隊は、分断されることなく、一つの塊となって、玉座を目指す。
『おっと、そう簡単には行かせないよ』
神が、指を鳴らす。
すると、一行の進路上の足場が、突如として、崩れ始めた。
「道が…!」
「ノン! 絶望するにはまだ早い!」
ジーロスが、ギルの腕の中から叫んだ。
「僕のアートが、道を照らす!」
彼が指を鳴らすと、崩れた足場の先に、キラキラと輝く、光の橋がかかった。
一行は、その、あまりにも頼りないが、美しい橋の上を、駆け抜けていく。
『やるじゃないか。なら、これはどうだい?』
神は、さらに、指を鳴らした。
今度は、一行の前方に、無数の、氷の人形たちが、姿を現した。
レイラの置き土産か、あるいは、神が、そのデータをコピーしたのか。
「ひひひ…! 神様も、芸がねえな! 一度見た敵は、もう通用しねえんだよ!」
テオが、聖書を掲げ、叫んだ。
「主は言われる!『汝の敵を、愛せ』! そして、こうも言っておられる!『隣人を、自分のように愛せ』、と! つまり、こいつらは、俺たちの、ダチってことだ!」
彼は、意味不明の論理で、人形たちを混乱させようとする。
もちろん、そんなものが、通用するはずもなかった。
人形たちが、一斉に、襲いかかってくる。
「シルフィ殿!」
アイリスが叫ぶ。
シルフィは、もはや、目隠しをしていなかった。
これまで彼女を導いてきた、あの神がかりのように正確なアイリスの声は、もう聞こえない。
代わりに聞こえるのは、目の前で仲間を鼓舞する、ただ一人の騎士としての、アイリス自身の声だった。
シルフィは、その声を、信じた。
彼女が放った矢は、これまでのように、敵の中枢を的確に射抜く、神業ではなかった。
ただ、仲間を守りたい、という一心で放たれた、愚直な、一矢。
その矢は、人形たちの猛攻を、わずかに、しかし、確かに、食い止めた。
その隙を、ギルとゼノスが見逃さない。
「うおおおおお!」
「魔王の力を、思い知れ!」
ギルの戦斧が、氷の人形を、力で粉砕し、ゼノスの闇の魔法が、その残骸を、塵へと還す。
力と、魔法。
元・魔王軍の、完璧な連携だった。
数々の障害を、仲間との絆で乗り越え、一行は、ついに、玉座まで、あとわずかの距離へと、迫っていた。
『…素晴らしい。本当に、素晴らしいじゃないか、君たち』
神の声には、初めて、感嘆の色が、浮かんでいた。
『まさか、ここまで来るとは、思わなかったよ』
彼は、ゆっくりと、玉座から、立ち上がった。
『褒美に、教えてあげよう。このゲームの、最後のルールを』
神は、一行の前に、立ちはだかった。
『―――どんなゲームにも、最後には、必ず、ボスがいる、ってことをね』
アイリス分隊の、最後の障害。
それは、玉座そのものではない。
玉座を守る、最強の、最後の番人。
神、その人だった。
その頃、ノクトは、塔の自室で、水盤に映らない、その先の光景を、ただ、想像していた。
(…行け、アイリス)
彼の脳裏に、初めて、パーティーメンバー全員の顔が、浮かんでいた。
不器用で、どうしようもなく、ポンコツで、そして、かけがえのない、仲間たちの顔が。
(…お前たちなら、やれるはずだ)
彼の頭の中は、もう、自らの快適な引きこもりライフのことなど、考えていなかった。
ただ、自らが作り出した、最高のパーティーが、最高のエンディングを迎えることを、一人の、ゲームプレイヤーとして、心の底から、願っていた。
彼の不本意な英雄譚の、本当の、最後の戦いが、今、始まろうとしていた。
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