第三十五話 魔王軍改革プロジェクト
魔王城、玉座の間。
それは、世界の運命を左右する、壮大なものではない。
ただ、一人の男の安眠と、もう一人の男の、家庭と組織の、平和のため。
史上最も不純で、そして最も切実な、コンサルティング契約だった。
『改革は、二つの柱で行う』
その前には、魔王ゼノスと、彼の呼び集めた、数少ない魔物の幹部たちが、緊張した面持ちで、整列していた。
『第一に、組織改革。第二に、家庭内問題の解決だ。この二つは、連動している。同時並行で、進める』
アイリス分隊の面々も、その後ろに控えている。
彼らは、これから始まる、新たな「ゲーム」の、主要プレイヤーだった。
『まず、家庭問題から片付ける。ゼノス、お前の娘、ディアナとの関係改善が、最優先事項だ』
「う、うむ…。だが、どうすれば…」
ゼノスが、情けない顔で、尋ねる。
『お前は、まず、父親としての、コミュニケーション能力が、致命的に欠如している。練習が必要だ』
『ギル、前に出ろ』
「はっ、姉御!」
『お前は、今から、魔王の娘、ディアナになれ』
「…………はい?」
ギルと、ゼノスの、素っ頓狂な声が、綺麗にハモった。
その、あまりにも突拍子もない命令に、ジーロスが「ノン! なんて、ミスキャストなんだ!」と、早速プロデューサー気取りで口を挟み、テオは、「魔王が娘に負ける方に、銅貨三枚」と、不謹慎な賭けを始めていた。
地獄のような、家族カウンセリングの幕開けだった。
『テオ。お前は、今日から、魔王軍の、最高財務責任者兼、人事部長だ』
「ひひひ…! いい響きだ! で、仕事はなんだい?」
『魔王軍の、無駄な経費を、全て洗い出し、カットしろ。それから、新しい福利厚生制度を立案しろ。サボっているだけの幽霊社員は、クビだ。経理室へ行け』
その言葉に、テオの目が、ギラリと光った。
彼は、魔王軍の元幹部。
この組織の、どこに、無駄があり、誰が、サボっているか、全て、知り尽くしている。
彼は、ほくそ笑みながら、分厚い会計帳簿の山があるであろう部屋へと、勇んで向かっていった。
大規模な、リストラの嵐が、吹き荒れる予感がした。
『ジーロス。お前は、広報部長だ』
「なんと! 僕が!」
『あの、センスのないスローガンを、全て、剥がせ。そして、兵士たちのやる気を引き出す、新しいプロパガンダポスターをデザインしろ。テーマは、「美しき魔王軍(ブラックじゃないよ)」だ。さっさと行け』
「お任せあれ! 僕のアートで、この陰鬱な城を、生まれ変わらせてみせよう!」
ジーロスは、目を輝かせ、早速、デザインの構想を練りながら、玉座の間を後にした。
『シルフィ』
「は、はい!」
『お前は、資材管理部長だ。城内の、全ての備品の在庫を、確認しろ』
(在庫確認…ですか?)
アイリスは内心で訝しんだ。
(ですが、シルフィに、そのような細かい作業が…)
『当たり前だ。お前の分隊は、全員が、何かしらの欠陥を抱えた、ポンコツだ』
『あのエルフは、方向感覚だけでなく、空間認識そのものが歪んでいる。彼女自身の目で数えさせれば、槍が五本に見えたり、盾がゼリーに見えたり、ろくなことにならん』
(では、どうやって…)
『だから、目隠しをさせる。彼女自身の、余計な情報を、遮断(シャットダウン)するんだ』
アイリスは、言われるがまま、シルフィに、黒い布を手渡した。
『数を数えるのは、俺だ。俺が、お前を介して、彼女の座標に「遠見」を固定し、一瞬で、在庫をスキャンする。彼女は、俺が送った数字を、復唱するだけの、ただの端末だ』
(仲間を、ただの、端末…)
アイリスは、その、あまりに非人道的な、しかし、あまりに合理的な作戦に、言葉を失った。
シルフィは、「わあ、なんだか、すごい訓練みたいです!」と、よく分からないまま、目を輝かせている。
彼女の、長い長い城内散歩が、今、始まる。
こうして、アイリスとギル、そして魔王ゼノスだけが、玉座の間に残された。
アイリスは、これから始まるであろう、奇妙なロールプレイングの監督役として、深いため息をついた。
「だ、だからな、ディアナ…。パパも、その、色々と、大変でだな…」
ゼノスが、しどろもどろに、語りかける。
その目の前には、腕を組み、ぷい、とそっぽを向く、巨大な「
「パパなんて、知らないであります! 私の気持ちも知らないで、いつも、予算、予算! パパは、仕事と私と、どっちが大事なんでありますか!」
「ぐっ…!」
その、あまりにも絵に描いたような、そして、あまりにも似合わない台詞に、ゼノスは、本気で、胸を押さえた。
その日の午後。
魔王城は、かつてない、奇妙な活気に、包まれていた。
玉座の間からは、魔王と、巨大な「娘」の、ぎこちない対話が、聞こえてくる。
経理室からは、テオの、「こんな無駄な出費、認められるか!」という、怒声と、悲鳴が、交互に、響き渡る。
城の壁という壁には、ジーロスがデザインした、やけにキラキラした、新しいスローガンポスターが、貼られ始めた。
『週休二日制、導入!』
『有給休暇、完全消化!』
『さあ、君も、美しい魔王軍で、己を磨かないか?』
そして、城の至る所で、奇妙な二人組が徘徊していた。
一人は、目隠しをしたエルフ。もう一人は、その少し後ろを、羊皮紙とペンを手に、必死に追いかける、小柄なゴブリンだ。
「ここに、槍が、三本…! あちらに、盾が、五枚…!」
「は、はい! 槍が三本、盾が五枚! 次はどちらへ!」
シルフィは、
「…あちらから、悲しい声が、聞こえます」
「ひぃ! そっちは、幽霊の出る倉庫です!」
目隠しをした上司(シルフィ)と、それに振り回される
それは、この魔王城の、新しい日常の光景だった。
アイリスは、その全ての、監督役として、城中を、走り回っていた。
聖騎士である彼女が、なぜ、魔王軍の、組織改革の、プロジェクトマネージャーを、やっているのか。
もはや、考えるのを、やめた。
その頃、
「ふん。組織の立て直しは、面倒だが、パズルを解くようで、悪くない」
彼の指が、次々と、新たな指示を、思考の内に、組み立てていく。
彼の脳内では、もはや、枕のことは、二の次になっていた。
目の前の、最高に面白い、経営シミュレーションゲームに、夢中になっていたのだ。
(…だが、このペースでは、枕にたどり着くのは、いつになることやら)
彼は、少しだけ、うんざりしたように、ため息をついた。
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