第三十四話 魔王軍経営コンサルティング

 魔王城、玉座の間。

 歴史上、最もくだらないオークションは、ノクトの、完全勝利で幕を閉じた。

 魔王ゼノスは、自らが切り札と信じていた幹部の一人を、敵であるはずの聖女に、金とスリルで買収されるという、屈辱的な敗北を喫した。

 彼は、もはや、戦う気力も、威厳も、残ってはいなかった。

 ただ、燃え尽きたように、書類の山に埋もれた玉座へ、どっかりと、腰を下ろす。

 その姿は、魔王というより、敵対的買収に失敗した、中小企業の社長のようだった。

 ギル、ジーロス、シルフィの三人は、まだ、テオの裏切りという衝撃的な事実を、完全には、消化しきれていない。

 ただ、アイリスだけが、次の行動を見据えていた。

(神様。魔王は、戦意を喪失したようです。これより、身柄を拘束しますか?)

 彼女の脳内に、ノクトの、心底、どうでもよさそうな声が響いた。

『馬鹿者。そいつはどうでもいい。それより、枕だ』

 ノクトの目的は、最初から、一つだけ。

 魔王城の最下層に眠るという、「夢織りの枕」。

 魔王ゼノスなど、そのための、ただの障害物に過ぎない。

 アイリスは、ノクトの意を汲み、剣を収めると、失意の魔王に、声をかけた。

「魔王ゼノス。あなたに、取引を、提案します」

「…取引、だと?」

 ゼノスが、力なく、顔を上げる。

「私たちは、あなたを、倒しに来たわけではありません。この城の最下層…初代英雄の封印の間に、用があるだけです。そこへ、私たちを、案内していただきたい」

 その言葉に、ゼノスは、はぁ、と、また深いため息をついた。

「…最下層…。ああ、あの、カビ臭い物置か。好きにするがいい。だが、今は、それどころではなくてな…」

 その時だった。

「パパなんて、もう知らない!」

 今まで、呆然と事の成り行きを見守っていた、娘のディアナが、叫んだ。

「私の気持ちも知らないで、予算、予算って! もう、いいわ!」

 彼女は、目に涙を浮かべると、玉座の間を、飛び出していってしまった。

「あ…おい、ディアナ!」

 ゼノスは、力なく、その背中に手を伸ばす。

 そして、その手を、だらり、と下ろすと、頭を抱えた。

「…ご覧の通りだ。もう、何もかも、めちゃくちゃだ…」

 ノクトは、その光景を、水盤越しに見て、舌打ちした。

(…面倒くさい。この、家庭問題と、経営不振を、解決しないと、枕の元へ、たどり着けない、というわけか)

 彼の脳内で、思考が、切り替わる。

 戦闘フェーズは、終了。

 これより、特殊交渉イベント、「魔王の説得」を開始する。

『…新人、代われ。俺が話す』

 アイリスの瞳の奥で、光が、変わった。

 聖女の、慈愛に満ちた表情が、すぅ、と消え、全てを見透かすような、冷徹なコンサルタントの顔へと、変貌する。

「魔王」

 その、静かだが、有無を言わさぬ声に、ゼノスは、びくり、と顔を上げた。

「娘さんとの問題の根本は、ドレスではない。あなたと、娘さんの、コミュニケーション不足だ」

「…な、なにを…」

「あなたは、父親として、そして、魔王として、彼女に、命令ばかりしている。彼女の、気持ちを聞いていない。ドレスが欲しい、というのは、ただの物欲ではない。あなたの、愛情を試すための、サインだ。気を引きたいだけなのだ。まず、父親として、彼女の話を聞いてやれ」

 ノクトの、引きこもり生活で得た、数多のヒューマンドラマの知識から導き出された、完璧な分析だった。

 ゼノスは、呆然としていた。

 目の前の聖女が、まるで、熟練のカウンセラーのように見えた。

 彼は、思わず、弱音を、こぼしていた。

「…だが、しかし、軍の経営も、火の車でな…。部下たちの、やる気も、なくて…」

「当然だ」

 アイリス(ノクト)は、即答した。

「お前の城の壁に貼ってあった、スローガンを見た。時代錯誤も、甚だしい」

「え…」

「『サービス残業こそ、魔王への忠誠!』? 馬鹿か、お前は。そんなもので、兵士の士気が上がると、本気で思っているのか」

 辛辣な、ダメ出し。

「まず、兵士の福利厚生を、見直すべきだ。無意味な長時間労働を、撤廃しろ。経費精算のシステムを、簡略化しろ。兵士の満足度が上がれば、離職率も下がり、結果的に、コストは下がる。そんなことも、分からんのか」

 それは、聖女の言葉ではなかった。

 冷徹な、経営コンサルタントの、言葉だった。

 その、あまりに的確な指摘に、テオが、初めて、口笛を吹いた。

「へえ…。大したもんだな、『神様』。悪徳会計士にでも、なれるぜ、あんた」

 ゼノスは、もはや、目の前の少女が、何者なのか、分からなくなっていた。

 聖女。

 英雄。

 そして、今、この、自分の全てを、見透かしてくる、謎の存在。

 彼は、初めて、敵に対して、尊敬の念のようなものを、感じていた。

 そして、その尊敬は、やがて、一つの、希望へと変わった。

「…き、君は、一体…」

 彼は、玉座から、身を乗り出した。

「…分かった。そこまで言うなら、やってみよう。君のアドバイスで、もし、我が軍が、そして、娘との関係が、改善されたなら…」

 彼は、ごくり、と、唾を飲んだ。

「その時は、君の望む、城の最下層へ、この私が、案内しよう」


 アイリスの脳内に、ノクトの、満足げな声が、響いた。

『…交渉、成立だな』

(…神様…)

『結局、こうなるのか。面倒くさい。だが、最短ルートだ』

 彼は、塔の自室で、一人、頷いていた。

 魔王を倒すのではない。

 魔王軍を、再建する。

 それが、彼が導き出した、枕を手に入れるための、最も費用対効果コスパの良い、攻略法だった。

 彼の、不本意な、魔王軍経営コンサルティングが、今、始まろうとしていた。

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