第47.5話 筑波への道

## 4. 混戦、そして決死の連携


短い休憩を終え、俺たちは再び遺跡の深部へと足を踏み入れた。まるで世界が灰色に塗りつぶされたかのように、濃い霧が立ち込めて視界は10メートル先もおぼつかない。フロンティア号のヘッドライトが、乳白色のカーテンを虚しく照らすだけだ。周囲の情報エネルギーも乱気流のように不安定で、プリエスのセンサーにも絶えずノイズが混じる。


『ハルト、この霧、ただの自然現象ではありません。微弱な認識阻害効果が含まれています。気を引き締めてください』

『ああ、分かってる』

プリエスの警告に、俺は心の中で短く応えた。肌を撫でる霧が、まるで生き物のように感じられて気味が悪い。


目標地点まであと5km。目の前に、濁った水をたたえる川が現れた。そこにかかる古びたコンクリート橋を渡ろうとしたが、無情にも橋の中央部分が大きく崩落していた。


「これじゃ、車じゃ渡れないな…」

レオが忌々しげに舌打ちする。見ると、徒歩でならなんとか越えられそうな鉄骨が数本、かろうじて対岸に繋がっていた。

大きく迂回することも考えられるが、この霧だ。他の橋も同じように崩れている可能性が高いし、何より時間のロスが命取りになる。


「全隊、降車! 徒歩で対岸へ渡る!」

水琴さんの冷静な、しかし有無を言わせぬ声が無線で飛ぶ。俺たちは頷き合うと、フロンティア号から降り、それぞれの得物を手に、慎重に崩れた橋へと足をかけた。


足元の鉄骨は濡れて滑りやすく、一歩進むごとにギシリと嫌な音を立てる。眼下では、よどんだ川の水が不気味に渦を巻いていた。落ちたらひとたまりもないだろう。


橋の中央付近まで差し掛かった、その時だった。

『警告! 川の中に、極めて高い情報エネルギー反応を検知。大型の魔物が潜んでいます!』

プリエスの鋭い警告が、俺の脳内に直接響いた。


「川の中に魔物がいる! 気をつけろ!」

俺は振り返り、後続の仲間たちに大声で叫んだ。


「止まるな! 走って渡り切れ!」

水琴さんの怒号が飛ぶ。その言葉が引き金になったかのように、俺たちは一斉に走り出した。


直後、川の水面が爆発した。水しぶきと共に、巨大なワニ型の魔物がその巨体を現したのだ。全長10メートルはあろうかというその体はぬらぬらとした鱗で覆われ、爛々と赤く光る目が、憎悪を込めて俺たちを睨みつけている。


ワニ型魔物は、俺たちが渡り切るのを待たず、素早く対岸に回り込んでその巨体で道を塞ごうとする。

やばい、挟まれる!


「龍よ!」

水琴さんが鋭く叫ぶと、彼女の足元の影が、まるで生きているかのように蠢き、二頭の巨大な龍となって天に舞い上がった。


二頭の龍は、空中で一度とぐろを巻くと、ワニ型魔物に向かって急降下し、その顎から強力な情報エネルギーの奔流――気のブレスを放った。直撃を受けたワニ型魔物は、巨体に似合わぬ悲鳴を上げ、大きく吹き飛ばされて再び川の中へと姿を消した。


「今のうちに渡れ!」

水琴さんの声に、俺たちは力を振り絞って走り、なんとか対岸にたどり着いた。


『危険は去っていません。ワニ型魔物はまだ川の中に潜み、こちらを窺っています。追跡してくる可能性大です』

プリエスの冷静な分析が、俺の荒い息を整えさせてくれる。水琴さんは、まだ油断なく川面を睨みつけていた。


「行け」

水琴さんが短く命じると、二頭の龍は主の意志に応え、再び川に向かって突っ込み、ワニ型魔物に襲いかかった。

しかし今度は、ワニ型魔物が川の中から素早く反撃し、龍の一頭の首筋にその巨大な顎で噛みついた。龍は苦しげに咆哮を上げ、逃れようともがくが、ワニ型魔物の力は凄まじく、あっという間に川の中へと引きずり込まれてしまった。


ワニ型魔物に噛みつかれた龍の姿が、ふっと掻き消える。

「龍が…!」俺は思わず叫んだ。


『水琴が龍の召喚を強制解除しました。式神が破壊されると、術者にも大きな負担がかかります。すぐにもう一頭を召喚するのは難しいでしょう』

プリエスが、俺の疑問に即座に答えてくれた。


その直後、俺たちの行く手を阻むように、濃い霧の中から新たな絶望が姿を現した。ティラノサウルス型の魔物。全長15メートルはあろうかというその巨体は、見る者すべてを圧するほどの威圧感を放ち、俺たちを睥睨している。


「前にも魔物がいるぞ! 気をつけろ!」

誰かの悲鳴のような声が響いた。


前門のティラノ、後門のワニ。最悪だ。俺たちは完全に挟み撃ちにされた。


## 5. ガーディアンとの死闘


ティラノが地響きを立てて猛然と突進してきた。俺たちは一斉に左右に散開し、その巨体をかわす。だが、その衝撃で各チームはバラバラに分断されてしまい、連携が取りづらい状況に陥った。俺の隣にはミオがいるが、サクラやレオの姿は霧の向こうだ。


『この魔物は、エネルギーコアが三つあります。頭部、背中、そして尻尾の付け根。高エネルギー体のため魔法への耐性も高いですが、精神干渉自体は有効と判断します』

プリエスが、敵の情報を即座に俺の脳内へ送り込んでくる。


「攻撃できるポイントはありそうだけど、足の指一本動かなくしたところで、意味ないし…」

ミオがティラノの巨体を見上げ、冷静に弱点を探っている。その横顔に焦りの色はない。さすがだ。


その時、霧の向こうからレオの雄叫びが聞こえた。

「おらぁ! 図体だけのトカゲ野郎! こっちだ!!」

レオが巨大な盾を構え、ティラノの正面に躍り出て、その注意を引きつけようとしている。無茶だ、いくらレオでも…!


ティラノはレオを格好の獲物と見たか、目標を変えて突進する。レオは歯を食いしばり、その巨大な盾を地面に突き立て、ティラノの突撃に備えた。

「不動の城塞(フォートレス)!」

レオが叫ぶと同時に、彼の盾から半透明の力場が展開され、ティラノの巨大な頭部を真正面から受け止めた。凄まじい衝撃音と衝撃波が周囲に広がる。ティラノは盾に激突し、完全に足を止めた。不動の城塞は、乗用車の衝突さえ防ぐ強力な防御魔法だ。だが、これほどの大型魔物の攻撃を受け続ければ、30秒も持たないだろう。


しかし、レオが稼いだその一瞬が、反撃の狼煙だった。


「今です!」

舞さんを中心に、7人の巫女が横一列に並び、それぞれの武器を構える。舞さんの錫杖が天を衝き、複雑な図形を描く。そして、錫杖が振り下ろされると同時に、7人の声が一つに重なった。


「「「「「「「不動金縛り」」」」」」」


和鳴術。一人の指揮者のもと、複数人の共鳴を束ねて一つの巨大な術を編み上げる、巫女組織の奥義。術が発動すると、ティラノの巨体に目に見えない凄まじい圧力がかかり、その動きを完全に封じ込めた。


そこに、左右から二つの影がティラノの足元に飛び込み、閃光を放つ。


「日輪(にちりん)!」

「月影(つきかげ)!」


葵さんと、シロガネチームのユウさんだ。二人が同時に振るった魔法剣が、明らかに剣の長さよりも太いティラノの足を、まるで豆腐でも切るかのように、いともあっさりと両断した。


支えを失い、前のめりに倒れ込むティラノ。

その背中に向かって、後方から疾風のように走り込んできたサクラが、レオの盾を踏み台にして高く、高く跳躍した。


『サクラ、エネルギーコアの一つは、背中の第三脊椎の直上! 座標をあなたの視界に送ります!』

プリエスの声が飛ぶ。サクラの視界に、ティラノの背中の弱点が赤いマーカーで表示されたはずだ。


サクラは空中で体勢を整え、渾身の力を込めた右拳を、その一点に叩き込んだ。


「山彦(やまびこ)!」


空気を震わすほどの凄まじい打撃音が響き渡り、ティラノの背中のコアが、装甲ごと粉々に砕け散った。


ティラノが断末魔の咆哮を上げ、身を捩って暴れ始める。だが、両足は失われ、背中のコアも破壊されている。もはや抵抗する力は残っていない。


「今です! トドメを!」

舞さんの号令で、他の剣士巫女たちが一斉にティラノに斬りかかる。ティラノはあっという間に切り刻まれ、残りのコアも全て破壊され、やがて完全に動きを止めた。


-----


一方、川の方を見ると、水琴さんは一人で川に向かって静かに佇んでいた。ワニも水琴さんを警戒してか、川の中から出てこようとはしない。膠着状態だ。


水琴さんは、ティラノが倒されたのを確認すると、静かに川に背を向け、こちらに歩いてきた。

俺が声をかけようとした、その時だった。川の中からワニが水音も立てずに飛び出し、無防備な水琴さんの背中に襲いかかった。


「危ない!」


だが、水琴さんは予期していたかのように、振り向きもせずに冷たく言い放った。


「影狼(かげろう)」


その言葉に応え、ワニ自身の影から四匹の漆黒の狼が出現し、ワニの頭部や四肢に同時に噛みついた。

ワニは狼たちに噛みつかれ、激しく暴れ始める。だが、影の狼たちは巧みにその動きをいなし、急所を的確に狙って次々と噛みついていく。


そして、天に待機していた最後の一頭の龍が、ワニに向かって光の柱を放った。強力なエネルギーの奔流が、ワニの胴体を正確に貫く。

ワニは苦しげに一度だけ咆哮を上げ、やがて完全に動かなくなった。


## 6. 静寂のミュージアム


二体の巨大な魔物を倒した後、俺たちは川を離れ、再び遺跡の深部へと進んでいく。

大きな損害はなかったが、巫女たちの多くは疲労の色を隠せない。普段とは違う状況、見たこともない魔物との連戦で、思った以上に精神を消耗しているようだった。

だが、休んでいる暇はなかった。


濃い霧の向こうに、ついに目的の場所が見えてきた。遺跡中枢部『筑波体験型デジタルミュージアム』の、巨大な白いドームだ。

ドーム周辺は、今までの喧騒が嘘のように魔物の気配が一切なく、不気味なほどの静寂に包まれている。まるで、ここだけが世界の理から切り離された聖域のようだった。


「…プリエス」

俺は、ゴクリと喉を鳴らし、最後の指示を出した。

「じいちゃんのログにあった通信プロトコルで、呼びかけてみてくれ」


『…了解しました。対話チャネルを開きます』


プリエスが特殊な信号を発信すると、巨大なドームの入り口が、何の音もなく、滑るように静かに開いた。

激しい戦闘を繰り返し、ここまでたどり着くのに、一体どれほどの時間が過ぎただろうか。昇り始めた朝日が、今はもう西の空に傾きかけている。丸一日近くに及んだ死闘の末、俺たちはようやく、目的地の入り口に立っていた。

そして、中から一体の、クラシカルなメイド服に身を包んだアンドロイドが、静かに現れた。彼女は、俺たちの前で、まるで舞台女優のように優雅にお辞儀をすると、合成音声とは思えない、どこまでも自然で美しい声で言った。


「お待ちしておりました。主が、皆様をお招きです」

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