第37話 武人の魂

## 1. 晩秋の依頼


10月の喧騒が嘘のように過ぎ去り、吐く息が白く染まる11月中旬の日曜日。俺とサクラは、舞さんからの個人的な依頼を受け、清原市の郊外に位置する古社を訪れていた。新しい装備を手に入れてから数週間、チームはいくつかの小さな依頼をこなしながら連携を深めていたが、今回は少し毛色の違う仕事だった。


依頼内容は、神社の裏山に住み着き、参拝者を脅かしているという野生のクマの駆除。報酬は2万円と、危険度に見合わない安さだ。正直、割に合わない。でも、舞さんからの頼みとあっては断れないのが人情ってやつだ。


「この時期の猟友会は大忙しで、他の探索者チームは報酬の安さで断られてしまって…。本当に困っていたんです」


そう言って舞さんが紹介してくれた仕事に、レオは「フロンティア号の改造でそれどころじゃない」と工房にこもり、ミオは「別のアルバイトがある」と図書館へ向かった。結局、クマ退治ならお手の物だというサクラと、その補佐兼荷物持ちとして俺が駆り出されることになったわけだ。


神社へと続く参道は、赤や黄に染まった落ち葉で埋め尽くされ、踏みしめるたびにカサ、カサリと乾いた音が心地よく響く。ひんやりとした空気が、冬の訪れを告げていた。


「でも、最近クマが多いよね。実家の近くでも駆除を頼まれたんだ」

サクラが、白い息を吐きながらぼやいた。


「へえ、初耳だ。それで、倒したのか?」


「うん。それも2匹。おかげで近所の子からは〝クマ殺しのお姉ちゃん〟なんて呼ばれるし」

サクラは心底嫌そうに顔をしかめる。

「この前ルナちゃんに話したら、お腹を抱えて笑われちゃったんだよ。うら若き乙女のあだ名じゃないよねぇ」


「武を極める者としては、名誉なことじゃないか」

俺がからかうと、サクラは「むー」っと頬を膨らませた。そのギャップが彼女らしくて、思わず笑みがこぼれる。


そんな他愛のない話をしているうちに、鳥居の向こうで待っていた舞さんの姿が見えた。

「本日は、急な依頼をお受けいただき、ありがとうございます。これで参拝者の方々も安心できます」

深々と頭を下げる舞さんに、俺は笑顔で応えた。

「いえ、困ったときはお互い様ですから。でも、クマくらいなら、葵さんが一振りすれば終わりそうな気もしますが」


「葵の霊剣は、穢れ、つまり魔物のような情報体に特化していて、純粋な物理存在である動物には効果が薄いのです。それに、あれは御神木から削り出した貴重なものですから、万が一にも壊すわけにはいきません」

なるほど、武器には向き不向きがあるのか。彼女たちの戦い方も、俺たちとは根本的に違うんだなと改めて思う。


話していると、社の奥から葵さんと結さんが歩いてきた。

「今日、私は所用でご一緒できませんが、念のため、葵と結を同行させます。結の回復術があれば、万が一の時も安心ですから」


葵さんは黙って会釈し、結さんは「よろしくお願いします!」と元気よく頭を下げた。舞さんは俺たちにクマの目撃情報が多発している地点のマップデータを送ると、「では、よしなに」と言い残し、社務所の方へと戻っていった。


## 2. 武人の共鳴


「さて、では出発しますか」

俺が声をかけると、葵さんが少し言いにくそうに口を開いた。

「その…疑っているわけではないのだが、サクラは本当にクマを一人で倒せるのか?」

その真剣な眼差しには、純粋な疑問と、仲間を案じる気持ちが滲んでいた。


「ああ、葵さんはこの前の鬼との戦い、ちゃんと見ていませんでしたもんね」

結さんがすかさずフォローする。


「私はちょうどその時、鬼の一撃で地面を転がっていたからな…。後で、鬼を車に叩きつけるほど殴りつけたと聞いて驚いたが」

葵さんは、少し申し訳なさそうに視線を落とした。赤城山での一件以来、彼女は以前のような刺々しさがなくなり、素直に自分の考えを口にするようになった気がする。


「あー、そういうことか!」

サクラが納得したようにポンと手を打った。

「私のこのグローブ、右と左で機能が違うんです。『九重の極み・山彦』は、同じ打撃を九回、内部で炸裂させるんですけど、タイミングがずれるとただの連打になっちゃう。あの時は、二撃目が不発だったから」


サッと両手を見せながら説明するサクラを、葵さんは「ほう」と武人らしい興味深い目で見つめている。


「ちょっと、見てもらってもいいですか?」

サクラはそう言うと、俺たちを裏山の林の中に連れて行った。手頃な太さの、切り倒された木の幹を指差す。

「あれ、壊しても?」


「ああ、構わん」と葵さんが頷く。


サクラはグローブを装着すると、深く息を吸い、精神を集中させた。空気が張り詰める。ゆっくりと振りかぶった右腕が、しなやかな鞭のように振り下ろされた。


**ドゴォォンッ!!**


一瞬遅れて、空気を震わす轟音と共に、木の幹が内側から弾けるように木っ端微塵に砕け散った。衝撃波が、周囲の落ち葉を竜巻のように舞い上げる。


「おおっ…!」

葵さんが、驚きに目を見開く。

「す、すごい…!」

結さんも、感嘆の声を漏らした。


「サクラ、成功率がかなり上がったんじゃないか?」

俺が尋ねると、サクラは「うん、最近はかなり安定してきたよ。クマは何匹も相手にしてるし、たぶん大丈夫!」と自信ありげに胸を張った。


「…内部破壊か。なるほど、これは確かに強力だな」

葵さんは、砕けた木片を拾い上げ、その断面を鋭い目つきで検分している。


その時、サクラは何か思いついたように、装備袋からもう一組のグローブを取り出した。

「これ、葵さん、使ってみますか?」


「良いのか?」

葵さんは驚いたようにそれを受け取った。


「はい。今の私には右と左が逆で使いづらいんです。いつも使わないのも、この子たちが可哀想だし」

サクラは、グローブの装着法と「山彦」のコツを丁寧に説明した。葵さんは左手に「山彦」、右手に衝撃増幅の「SG-2000」を装着すると、その感触を確かめるように何度か拳を握りしめた。


「では、試させてもらう」

凛とした声と共に、葵さんは倒木に向き合う。武人としての血が騒ぐのか、その横顔はどこか楽しそうだ。精神を集中させ、振りかぶった左拳を振り下ろす。


**ドゴッ!**


鈍い音を立て、木の幹は真っ二つに割れた。だが、内部破壊には至らない。

「ふむ。少し違うな」

葵さんは首を捻り、別の幹に向かう。


**ドゴッ!**


結果は同じだった。

「山彦の術式は、当たる瞬間にほんの少しだけ拳を引くような、一瞬の『タメ』を作ると上手くいきます。でも、相手の硬さでタイミングが変わるんです」

サクラのアドバイスに、葵さんは黙って頷くと、三度目の幹に向き合った。


そして。


**ドゴォォンッ!!**


今度は、サクラの時と同じように、幹が内側から爆発した。


「おおっ!」俺が声を上げると、サクラが手を叩いて喜んだ。

「やりましたね!三回で成功するなんて、さすがです!」


「ありがとう。貴重な体験をさせてもらった」

葵さんは満足そうに頷くと、丁寧にグローブを外し、サクラに返そうとした。


「あ、あの、折角なので、今日のクマ退治で使ってみてください!」

サクラの思いがけない提案に、俺は内心「おいおい、正気か?」と焦った。不発だったら危険なのは、サクラ自身が一番よく分かっているはずだ。


「いや、さすがにそれは…」

葵さんも当然のように遠慮する。使い慣れない武器で実戦に臨む危険は、彼女も承知の上だろう。


「葵さんなら大丈夫です! 私もちゃんとサポートしますから!」

サクラが力強く背中を押す。

「それに、この子たち、すごく丈夫なんですよ!」


「うーん…」

葵さんは少し悩む素振りを見せたが、その瞳の奥には好奇心の色が浮かんでいた。やがて、彼女は決心したように頷いた。

「…分かった。では、ありがたく借りるとしよう」


サクラは「はい!」と嬉しそうにグローブを手渡した。武人同士にしか分からない魂の交流を目の当たりにして、俺が呆気にとられていると、隣で見ていた結さんが、俺の顔を見て悪戯っぽく微笑んだ。


## 3. ミネルヴァの梟


俺たちは、舞さんから教えられた目撃地点へと歩き始めた。俺はプリエスの新装備「ミネルヴァの梟」を起動し、周囲の索敵を開始する。


『ミネルヴァの梟、正常に起動。赤外線サーモグラフィ、超音波ソナーによる周辺環境のマッピングを開始します』


俺の網膜に、ゲームのUIのような半透明の3Dマップが投影される。地形の起伏、木々の配置、そして、動くものの体温が色分けされて表示されていた。


サクラは、勘と経験を頼りに地面の痕跡を追うのが得意だ。だが、プリエスのサポートがあれば、その精度は飛躍的に向上する。


目撃地点に到着すると、プリエスはすぐにクマの痕跡を発見した。

『進行方向、右手30度の斜面に、大型哺乳類の痕跡を検知。足跡の形状、歩幅から、対象のクマである可能性95%です』

俺とサクラの視界に、地面の痕跡が青白い光の線でハイライトされ、その進む先を矢印が示してくれる。


『プリエス、すごいな…』

『はい。これも、レオが作ってくれたミネルヴァの梟のおかげです。彼に感謝しなければなりませんね』

プリエスの言葉に、俺は静かに頷いた。


プリエスの存在は斎チームには秘密だ。俺は、プリエスが示した方向を指さし、さも自分で見つけたかのように言った。

「サクラ、こっちだ。新しい足跡がある」


サクラも心得たように「あ、本当だ!」と頷き、俺たちはクマの痕跡を辿って山の中へと入っていった。


山の中に分け入ると、ひんやりとした空気が肌を刺す。落ち葉を踏みしめる音だけが、静寂に響いていた。15分ほど進んだだろうか。茂みの先に、黒い大きな塊が動いているのが見えた。


サクラが振り返り、無言でクマを指差す。全員が頷くのを確認すると、彼女は「私がやる」とだけ呟き、音もなくクマへと歩み寄った。その後ろを葵さんが続き、俺と結さんは後方で待機する。


サクラがクマから3メートルほどの距離まで近づくと、クマはこちらに気づき、低い唸り声を上げて威嚇してきた。だが、サクラは怯まない。何でもないことのように、さらに一歩、距離を詰める。


その瞬間、クマが猛然と立ち上がり、襲いかかってきた。


「――山彦ッ!」


閃光が走った、と錯覚した。先日手に入れた「瞬脚の具足」による神速の踏み込み。一瞬で間合いを詰めたサクラの右拳が、大地を揺るがすような轟音と共にクマの胸部に炸裂した。加速した状態から放つ山彦は、以前とは比べ物にならないほどの精密さと集中力を要求されるはずだ。彼女が、この数週間でどれほどの鍛錬を積んだのかが窺える。


クマは、まるで巨大な壁に叩きつけられたかのように、呻き声一つ上げることなく後ろに吹き飛び、そのまま動かなくなった。


まさに、一撃必殺。


「…見事だ」

葵さんが、心の底から感心したように呟いた。彼女もまた、山彦を試したからこそ、今のサクラの一撃がどれほど高度な技術であったかを理解しているのだろう。


「ありがとう!」

サクラは、悪戯が成功した子供のように笑った。


「サクラさん、すごいです…!」

結さんが、目をキラキラさせて駆け寄ってくる。


「えへへ、ありがとう」

サクラは少し照れくさそうに笑った。


「〝クマ殺しのお姉ちゃん〟は、伊達じゃないな」

俺が冗談めかして言うと、サクラは「もう、その名前で呼ばないでよー!」と頬を膨らませた。そのやり取りを見て、結さんが「えっ、そんなあだ名があるんですか!?」と目を丸くしている。和やかな空気が、戦いの後の静かな森に流れた。


## 4. 魂の応酬


まだ日は高い。舞さんの話では、この辺りにはもう一頭いる可能性があるという。俺たちは、再びプリエスのサポートと、「クマハンター・サクラ」の勘を頼りに、探索を再開した。


「クマの気持ちになって考えるんだよね。縄張りのマークとか、糞とか、食べ物がありそうな場所とか…」

サクラが、得意げに解説してくれる。


しばらく歩いていると、プリエスが『ハルト、前方500メートル。山の斜面に、先ほどより大きな熱源を探知しました』と報告してきた。


俺は、プリエスが示した方向の地面を指さす。

「こっちに、また新しい足跡があるぞ」


「ん? また見つけたのか?」

葵さんが不思議そうに地面を見つめる。


「うん、足跡も新しいし、たぶんまだ近くにいると思う!」

サクラが、俺の意図を汲んで話を合わせてくれる。


20分ほど斜面を登ると、開けた場所に、先ほどよりも一回り大きなクマがいた。サクラが振り返って、俺たちに目配せする。


すると、葵さんが一歩前に出た。

「今度は、私がやろう」

彼女は、借りたグローブの装着具合を確かめながら、静かにクマへと歩み寄った。


今度のクマは気性が荒いようだ。葵さんの姿を認めると、威嚇もそこそこに、四つ足で猛然と突進してきた。そして、低い姿勢のまま、鋭い爪を振りかざす。


葵さんはそれを紙一重でかわすと、すかさず左拳をクマの頭部に叩き込んだ。


**ドゴッ!**


山彦は不発。だが、強烈な一撃にクマがよろめく。


しかし、すぐに体勢を立て直したクマは、怒りを爆発させ、立ち上がって葵さんにのしかかってきた。葵さんはバックステップでそれをかわし、今度は右の拳を腹に突き刺す。


**ドスッ!**


鈍い音が響くが、クマは止まらない。そんな一進一退の攻防が、数分間続いた。結さんが、ハラハラした様子で拳を握りしめて見守っている。


『葵の戦闘データを分析。サクラがパワーとスピードで圧倒するタイプなのに対し、葵は相手の攻撃を最小限の動きで捌き、的確にカウンターを叩き込む、極めて効率的な戦闘スタイルです。今は、山彦の発動タイミングを意図的にずらしながら、様々なパターンを試しているようです』

プリエスの分析通り、葵さんは冷静にクマの動きを見極め、まるで舞うように攻撃を捌きながら、確実にダメージを蓄積させていた。


そして、クマが最後の力を振り絞るかのように雄叫びをあげ、突進してきたその瞬間。


葵さんはそれを最小限の動きでかわすと、がら空きになった頭部へ、満を持して左の拳を振り下ろした。


**ゴンッ!!**


今までとは明らかに違う、鐘を鳴らしたような重い音が響き渡り、巨体がゆっくりと地面に崩れ落ちた。


「ふぅ…。なかなか難しい。だが、最後は悪くなかった」

葵さんは、少し息を弾ませながらも、満足そうに呟いた。


「見事です、葵さん!」

「葵さん、やったー!」

結さんとサクラが、同時に駆け寄って歓声を上げた。


「いや、まだまだだ…。山彦は、奥が深い」

葵さんは、自分の拳を見つめながら、独り言のように呟いた。その横顔は、更なる高みを見据える武人のものだった。


## 5. 友誼の証


結局、その日に見つかったクマはその2頭だけだった。俺たちは神社に戻り、舞さんに報告すると、彼女は心から喜んでくれた。

「本当にありがとうございました。これで、氏子の皆様も安心して参拝できます」


「いえ。また何かあれば、いつでも声をかけてください」

俺が答えると、サクラも「はい、また何かあれば呼んでくださいね!」と笑顔で続けた。


葵さんは「今日は貴重な体験をさせてもらった。ありがとう」と、名残惜しそうにグローブを外し、サクラに返した。


それを見て、サクラは悪戯っぽく笑った。

「葵さん、そのグローブ、よろしければ差し上げます」


「…さすがに、それは受け取れない」

葵さんは驚き、固辞しようとする。


「いいんです。その子たちは、今の私には右と左が逆で使いづらいんです。でも、葵さんならきっと上手に使いこなせる。その方が、この子たちも喜ぶと思いますから」


サクラの真剣な眼差しに、葵さんはしばらく考え込んでいたが、やがて、決心したように頷いた。

「…ありがとう。ならば、大切に使わせてもらう」

その手つきは、まるで新しい相棒を迎えるかのように、とても丁寧だった。


「では、そろそろお暇します」

俺が挨拶をして背を向けようとすると、葵さんが「少し待ってくれ」と言って、社の奥へと走っていった。


しばらくして戻ってきた彼女の手には、短い小太刀ほどの大きさの、美しい木目の木刀が握られていた。

「これを、受け取ってくれ」


サクラは、驚いてそれを受け取る。


「これも、御神木から作られた木刀だ。銘はないが、私が幼少の頃、未熟な自分を支えてくれた最初の相棒だ。もう私が使うことはない。君が持ってくれると、こいつも喜ぶだろう」


「え、いいんですか…?」


「ああ。私の霊剣・日輪ほどではないが、これも長年、私の気を吸い込んでいる。鬼程度の相手なら、十分に渡り合えるはずだ」

あの鬼に通用するレベルの武器。とんでもないものを貰ってしまった。


俺が心配になって舞さんの方を見ると、彼女は「葵が心を許した証拠です。どうか、受け取ってあげてください」と、慈愛に満ちた笑みで言った。


「…ありがとうございます。大切に、使わせていただきます」

サクラは、まるで宝物のように、その木刀を丁寧に鞘に収めた。


神社を後にする俺たちを、三人はいつまでも見送ってくれていた。夕暮れの空に、武人たちの間に生まれた、言葉にならない確かな絆が輝いているように見えた。

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