第36話 未来への投資

## 1. 祭りのあとの清算


ルナのライブから数日が過ぎた、10月下旬の昼下がり。すっかり秋の色が濃くなった街のカフェで、俺はタクマと向かい合っていた。ガラス窓の外では、冷たい風が街路樹を揺らし、人々はコートの襟を立てて足早に通り過ぎていく。


「ハルト、例の結晶の件、博士と話をつけてきたぜ!」


テーブルに置かれたコーヒーの湯気が揺れる中、タクマが興奮を隠しきれない様子で身を乗り出してきた。その目は、大きな獲物を仕留めた狩人のように爛々と輝いている。


「本当か!で、どうだった?」


「ああ。博士の研究室の予算じゃ、現金で100万出すのが限界だってさ。ったく、足元見やがって」

タクマはわざとらしく口を尖らせたが、その表情は満足げだ。


「正直なところ、あの結晶を正規のルートで市場に出せば、1,000万円は下らない代物なんだがな。でも、『人類の未来のためだ』なんていう高尚な理由を盾にされちまうと、こっちも強くは出られない。商売人としては辛いところだよ」


せんまんえん……!? 俺は思わず息を呑んだ。桁が違いすぎる。俺たちが手にしていたのは、そんなとんでもない代物だったのか。


『ハルト、彼の査定は妥当です。あの結晶は、複数の感情情報が極めて高い純度で融合した、特異な構造を持っています。市場価値は計り知れません』

プリエスが冷静に補足してくるが、それが余計に現実味をなくさせた。


「それで、斎チームへの支払い10万円を差し引いて、俺たちの取り分は90万。フロンティア号の改造費を考えても、かなり残るな」


「90万か…」

それでも、今の俺たちにとっては目眩がするような大金だ。まるで夢物語みたいだぜ。

「すごいな…。みんなに話して、どう使うか相談してみるよ」


俺は礼を言いながら立ち上がった。

「なあ、タクマ。もし、この金で装備を更新するって話になったら、また相談に乗ってくれるか?」


「おう、任せとけ!いつでも声をかけてくれ。予算感が分かれば、いくつか候補を見繕っておくぜ」

タクマは力強く親指を立てた。頼りになる男だ。


## 2. チームの決意


その日の夜、俺はレオの工房に仲間たちを集めた。オイルと鉄の匂いが混じり合う、俺たちの秘密基地。そこで、タクマから聞いた話を共有した。

ここ1ヶ月ほど、俺達は様々な依頼で思いがけず高収入を得ていた。イクシオンの一件で150万、今回の件で90万。合計240万という収入は、俺たちの活動を、そして未来を、大きく変える可能性を秘めていた。


「なあ、みんな」

俺は意を決して切り出した。

「最近手に入れたこの大金で、俺たち自身の装備を本格的にアップグレードしないか? これから先、もっと危険な依頼が増えるだろうし、筑波を目指すなら、今のままじゃ話にならない。未来への投資だ」


俺の言葉に、最初に食いついたのはサクラだった。

「いいね! 大賛成! 私、もっともっと強くなりたい!」

彼女は目をキラキラさせながら、ぐっと拳を握りしめた。その姿は、新しいおもちゃを前にした子供のようでもあり、獲物を前にした猛獣のようでもあった。


「合理的。戦力の増強は急務」

ミオも、静かだが力強く頷く。彼女の視線は、ただ一点、未来を見据えているようだった。


「よし、決まりだな」レオが腕を組んで、ニヤリと笑う。「で、予算はどれくらいで考えるんだ?」


「そうだな…一人50万くらいで、何か良いものはないか、タクマに相談してみようと思う」


『ハルト、一人当たり50万ですか。過去のチーム成長データと照合すると、非常に効果的な投資額です。特に私の生存率向上は最優先事項かと』

プリエスが俺の頭の中で、ちゃっかり自分の安全をアピールしてくる。分かってるよ、お前が一番大事な相棒だってことは。


俺の提案に、皆が顔を見合わせ、そして力強く頷いた。異論のある者など、ここには一人もいない。俺はすぐにタクマに連絡を取り、木曜の訓練後に工房で集まってもらう約束を取り付けた。


## 3. それぞれの未来像


約束の木曜日の夜。河川敷での訓練を終えた俺たちは、心地よい疲労感と高揚感を胸に、レオの工房へとなだれ込んだ。工房の奥、俺たちの作戦司令室と化した小部屋で、タクマがタブレットを片手に待っていた。


「よう、お疲れさん。ハルトから話は聞いてるぜ。一人50万の予算で、俺なりに最高の組み合わせを選んでみた。お前らの成長した姿を想像しながら選んだんだ、感謝しろよな!」


タクマはそう言って、悪戯っぽく笑いながらプレゼンを始めた。


「まずハルト。お前はリーダーで、プリエスとの連携が要だ。だが、直接的な戦闘能力が低いのが致命的な弱点。だからこれだ。『指揮官用防護コート』。軽量防弾・防刃機能に加えて、簡易的なステルス機能と精神防御フィールドまでついてる。これでお前の生存率は格段に上がる。指揮官が真っ先にやられるわけにはいかないからな」


『防御力、現行装備比で320%向上。精神干渉耐性もBクラスまで上昇します。生存戦略上、極めて有効な選択です』と、プリエスが即座に分析結果を告げる。確かに、これはありがたい。


「次にサクラ。お前の攻撃力は申し分ない。だが、防御を疎かにしがちで見ていて危なっかしい。だから、防御を固めるより、その圧倒的な機動力を極限まで高めるべきだと俺は思う。そこで『瞬脚(しゅんきゃく)の具足』だ。短距離の高速移動で、敵の攻撃を完全に回避する。ヒットアンドアウェイを極めれば、お前はもう誰にも止められない」


「おお…!」サクラがゴクリと喉を鳴らす。その目は、既に戦場で新しい力を試す自分の姿を幻視しているかのようだ。


「そしてミオ。お前はチームの『盾』であり、精神戦の要だ。その能力をさらに尖らせるために、『言霊増幅のチョーカー』を提案する。精神魔法の威力と精度を底上げし、エネルギー効率も改善される。それと、万が一のための『護身用魔法短剣"スティンガー"』。これは俺からのおまけだ。兄貴のレオも心配してるからな」


ミオは少し顔を赤らめて俯いたが、その口元には確かな笑みが浮かんでいた。


「最後にレオ。お前は銃のライセンスを取ってる最中だが、それとは別に、チームを守るための物理的な『壁』が必要だ。そこで、軍の払い下げ品『空間固定式 防護盾 "不動の城塞(フォートレス)"』だ。こいつは起動するとその場に空間固定される大型の盾で、自動車の衝突程度なら完全に受け止める。ここぞという時に使えば、チームの生存戦略が根本から変わるはずだ」


タクマの説明は、俺たちの誰もが納得できる、的確で、そして未来の俺たちの姿をありありと想像させる、最高の提案だった。こいつ、ただの商人じゃない。俺たちのことを、誰よりも理解してくれている。


「…決まりだな」

俺が言うと、全員が力強く頷いた。それぞれの新しい力が、もうすぐこの手に掴める。その確かな手応えに、俺たちは静かに興奮していた。


## 4. 最高の仲間へ、最高の贈り物を


装備更新の話で盛り上がり、皆が未来の自分の姿に胸を躍らせていた、その時。レオだけが、少し離れた場所で、工房の片隅に停めてあるフロンティア号をじっと見つめていた。その横顔は、いつになく真剣だった。


「どうした、レオ?」

俺が声をかけると、レオはこちらを振り返り、決意を秘めた目で言った。


「なあ、ハルト。みんなは新しい『武器』や『防具』を手に入れる。だが、俺たちの最高の『頭脳』であるプリエスが、窮屈なQSリーダーの中に閉じ込められたままなのは、技術者として納得がいかねえ」


その言葉に、俺たちはハッとした。俺の肩の上で、ホログラムのプリエスが、きょとんとした顔でレオを見上げている。


「俺は、プリエスに、このフロンティア号の『頭脳』になってもらおうと思ってる」

レオは熱っぽく語り始めた。その声には、職人としての誇りと、仲間への愛情が満ち溢れていた。

「ダッシュボードの古いカーナビはもう取っ払った。あそこに大型のタッチパネルディスプレイと、お前のQSリーダーを接続する専用のドッキングステーションを作る。車のサブバッテリーから直接エネルギーを供給できるようにすれば、もうハルトの負担も、プリエスのエネルギー切れの心配もなくなる」


さらに、レオはポケットから一枚の設計図を取り出した。オイルの染みがついた、手書きの図面。だが、そこに描かれた線は、どんな最新のCADデータよりも力強く、美しかった。

「それだけじゃねえ。こいつが俺の自信作だ」


そこに描かれていたのは、掌サイズの無骨な機械だった。

「外部接続型の物理環境スキャナー、『ミネルヴァの梟』だ。こいつをプリエスに繋げば、赤外線や超音波で、壁の向こうの隠し通路や建物の構造まで、手に取るように分かるようになる。もちろんポータブルだから、遺跡の中を歩き回りながら使えるぜ」


レオの言葉を聞き終えたプリエスは、しばらくの間、何も言わずにただレオを見つめていた。やがて、その小さなホログラムの瞳から、光の粒が一つ、ぽろりとこぼれ落ちた。


『レオ…、ありがとうございます…』

その声は、いつもの冷静な分析官のものではなく、ただ純粋な喜びに満ちた、一人の少女の声だった。

『それがあれば、私はハルトの『目』だけでなく、チームの『触覚』にもなれます。最高の…贈り物です』


「おう。最高の仲間には、最高の道具が必要だからな」

レオは、ぶっきらぼうに、しかし最高に誇らしげな顔でそう言った。


俺は、二人の頼もしい相棒の姿を、ただ微笑ましく見つめていた。プリエスという最高の「頭脳」と、レオという最高の「腕」。この二つが組み合わさった時、俺たちのチームは、きっとどこへでも行ける。


フロンティア号の薄汚れた窓ガラスに、工房の明かりが反射して、まるで星のように輝いて見えた。

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