第33話 歌声の真実を求めて
## 1. 歌声は魔物を呼ぶ?
十月に入り、すっかり秋めいてきた火曜日の昼下がり。乾いた風が街路樹を揺らし、カサカサと音を立てて落ち葉を舞い上げている。そんな穏やかな陽気とは裏腹に、俺の隣を歩くルナは、ずっと俯きがちで落ち着かない様子だった。ぎゅっと握りしめられたスカートの裾が、彼女の緊張を物語っている。
俺たちは今日、桜井博士の研究室のドアを叩いていた。メンバーは俺、サクラ、そして今日の主役であるルナの三人。
「ハルト君たち、それに…あなたがルナさんですね。よく来てくれました。さあ、どうぞ中へ」
博士は、いつもの人の良さそうな笑顔で俺たちを迎え入れてくれた。研究室は相変わらず、床から天井まで届きそうな資料の山で埋め尽くされている。でも、その混沌とした空間が、今はなぜか心強く感じられた。ここなら、どんな難問にも答えが見つかりそうな気がするからだ。
ソファに腰を下ろすと、ルナがおずおずと口を開いた。
「あの、博士…今日は、私のわがままな相談で、お時間をいただいてしまって…」
「いえいえ。ハルト君たちから、あなた方の活躍は伺っていますよ。して、相談とは?」
博士が優しく促すと、ルナは意を決したように顔を上げた。その瞳は潤み、不安に揺れている。
「私の歌が…魔物を生み出しているかもしれないんです」
その衝撃的な告白に、博士は初めて少し驚いたように目を見開いた。
ルナは、赤城山での出来事、そしてそれ以前に榛名山の近くでライブをした際に「鬼になれ!」という曲を歌ったこと、その後に俺たちが鬼と遭遇したことを、途切れ途切れになりながらも懸命に説明した。
話を聞き終えた博士は、腕を組んで深く考え込んでいた。研究室に、沈黙が落ちる。
「ふむ…ルナさんの歌が、直接的に魔物を『創造』する。科学的に言えば、その可能性は極めて低いでしょう。魔物の発生には、もっと複雑で膨大な情報エネルギーの構造化が必要です」
博士の冷静な分析に、ルナの表情がわずかに和らぐ。だよな、やっぱり考えすぎだよな。俺もほっと胸をなでおろす。
「しかし…」
博士は眼鏡の奥の目を鋭く光らせた。その視線に、俺はゴクリと唾をのむ。
「あなたの歌が、周囲の情報エネルギーの流れに干渉し、結果として魔物を『誘引』したり、その場に存在する不安定なエネルギーの『核』となったりする可能性は、完全には否定できません。特に、あなたの歌には人の心を強く惹きつける『力』…一種の強力な共鳴力がある。それが、魔にとっても抗いがたい魅力となっているのかもしれない」
『彼の見解に同意します。ルナさんの歌声は、極めて指向性の高い情報エネルギーの奔流です。無自覚な広域集客魔法、とでも言うべき現象を引き起こしている可能性がありますね』
俺の脳内に、プリエスの冷静な解説が響く。広域集客魔法って、なんだかすごい必殺技みたいだな。
「それじゃあ、やっぱり私のせいで…」
ルナの顔が再び曇り、今にも泣き出しそうだ。
「だとしたら、それを確かめてみませんか?」
その時、博士が、まるで面白い実験を思いついた子供のように、キラリと目を輝かせた。
「実際に、あなたのライブが情報エネルギーにどのような影響を与えるのか、観測してみるのです。ライブの前、最中、そして後。エネルギーの流れを時系列で記録し、分析すれば、必ず何かわかるはずです」
『ハルト、素晴らしい提案です! 私の解析能力と博士の知見を組み合わせれば、極めて精密なデータが取得できます。これは世紀の発見に繋がるかもしれませんよ!』
プリエスが、俺の思考の中で興奮気味に囁きかけてくる。おいおい、お前まで乗り気かよ。
「観測…ですか」
ルナが不安そうに聞き返す。
「ええ。もし、あなたの歌が本当に魔物を誘引するのなら、そのメカニズムを解明することで、逆に対策を立てることも可能になる。これは、私の研究にとっても、そして何より、あなた自身にとっても、非常に有益な実験になると思いませんか?」
博士の熱のこもった提案に、ルナはしばらく俯いて考えていた。彼女にとって、それは自分の力を白日の下に晒す、勇気のいる決断のはずだ。やがて、彼女は顔を上げ、その瞳には強い意志の光が宿っていた。
「…お願いします! 私、自分の力の正体を知りたいんです。もし、それが誰かを危険に晒すものなら、ちゃんと向き合いたい。だから、どうか、調べてください!」
その真っ直ぐな瞳に、俺は胸を打たれた。そうだ、逃げてちゃ何も始まらない。
「分かりました。俺たちも、全面的に協力します」
「ありがとう、ハルト君。報酬は…」
ルナが言いかけると、俺はそれを手で制した。
「報酬なんていいですよ。これは、俺たちの問題でもあるんですから」
「ううん、そういうわけにはいきません!」
ルナは慌てて首を横に振った。「ちゃんと、マネージャーと相談して、正規の依頼としてお支払いします! …えっと、金額は、その…また後で…」
どうやら、具体的なことは何も考えていなかったらしい。その少し抜けたところに、俺とサクラは思わず顔を見合わせて微笑んだ。
## 2. 交渉人タクマ、立つ
話がまとまったところで、俺は一番の懸念を口にした。
「博士、実験はいいんですが、警備はどうしますか? もし、また榛名の鬼クラスの魔物が現れたら、正直、俺たちだけでは対処しきれないかもしれません」
「確かに。それは最も重要な問題だ」
博士も頷く。万全の体制を整えなければ、実験どころの話ではない。
その時だった。研究室のドアが軽くノックされ、「失礼しまーす」という間延びした声と共に、タクマがひょっこり顔を出した。
「やあ、みんな揃ってるね。博士、お邪魔してます」
「タクマ!? なんでここにいるんだよ!」
俺が驚いて叫ぶと、タクマは悪びれもせずにニヤリと笑った。
「いやあ、ハルトから『博士に相談がある』って聞いてさ。なんだか面白そうな話だと思って、つい来ちゃった。商売人として、新しいビジネスチャンスの匂いには敏感なんでね」
こいつ、絶対ドアの外で聞き耳立ててやがったな。
そして、俺たちの会話を完全に把握していたのだろう。タクマは、まるで自分の出番が来たとでも言うように、自信満々に言った。
「警備のことなら、俺に心当たりがあるよ」
タクマはスマホを取り出すと、慣れた手つきで電話をかけ始めた。その手際の良さに、俺たちはただ見守るしかない。
「もしもし、舞さん? 田中商会のタクマですが、覚えてます? ええ、その節はどうも。いやー、あの時の舞さんたちの儀式、本当に素晴らしかったです。で、実はですね、ちょっと面白い『お仕事』の話がありまして…」
タクマは、驚くほど巧みな話術で交渉を進めていく。ルナのライブの趣旨、博士の実験の重要性、そして何より、この依頼が「世のため人のため」になるという大義名分。時折、相手の懐具合を探るような探りも入れながら、最終的な着地点を探っていく。まさにプロの交渉人だ。
「…なるほど、そちらも予算が厳しいと。分かります、分かります。ですが、そこを何とか! こちらとしても、これはほとんど慈善事業のようなものでして…では、こうしましょう。交通費と、ほんの気持ちだけお包みさせていただく、ということで。ええ、10万円で! ありがとうございます! 恩に着ます!」
電話を切ったタクマは、してやったりという表情で俺たちにウィンクした。
「交渉成立。斎チーム、交通費込み10万円で引き受けてくれるってさ」
「じゅ、10万で!?」
俺とサクラが同時に叫んだ。あの実力者チームを、破格にも程がある金額で動かしたのだ。
「まあ、彼女たちも活動資金に困ってるみたいだったし、何より『世のため』になることは彼女たちの信念に合ってるからね。Win-Winってやつだよ」
タクマは得意げに胸を張った。彼の商人としての嗅覚と交渉力には、ただただ脱帽するしかなかった。
## 3. 俺たちの城、爆誕す
ライブは、再来週の土曜日。それまでの間、俺たちはそれぞれの準備を進めることになった。特に、一番張り切っていたのはレオだった。
「よし、お前ら、手伝え! あのバンを、最高の移動拠点に生まれ変わらせるぞ!」
プロメテウスから譲り受けた四駆バンは、レオの工房にドック入りしていた。彼の号令一下、俺たちはバンの改造に取り掛かった。
「まずは、内装を全部ひっぺがす! 防音材と断熱材をきっちり入れれば、車内でも快適に眠れるようになるからな!」
レオの指示で、俺とサクラは後部座席や内張りを次々と取り外していく。ミオは、レオが描いた設計図と睨めっこしながら、配線の取り回しやサブバッテリーの設置場所を計算していた。
「後部シートはフルフラットに改造して、大人二人が足を伸ばして寝られるようにする。床下には収納スペースを作って、テントや食料も積めるようにと…」
レオは、まるで秘密基地を作る子供のように、目を輝かせながら構想を語る。その姿は、本当に楽しそうだった。
埃まみれになりながらの作業は大変だったが、不思議と苦ではなかった。自分たちの手で、自分たちの活動拠点を、自分たちの手で作り上げていく。その実感は、何物にも代えがたい充実感を俺たちに与えてくれた。
『レオ、そのバッテリー配置だとエネルギー効率が7%低下します。こちらのレイアウトを推奨します』
プリエスがホログラムで最適化案を提示すると、レオが「なるほど、そっちの方がいいな!」と唸る。AIと職人の、奇妙で最高のコラボレーションだ。
数日後、基本的な改造を終えたバンは、見違えるように頼もしい姿に生まれ変わっていた。まだ外装はボロボロのままだが、中には俺たちの夢と希望がぎっしりと詰まっている。
「どうだ、俺たちの新しい城だ!」
レオが誇らしげに胸を張る。その言葉に、俺たちは皆、満足げに頷いた。
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