第27話 鬼の再来

音は駐車場の方から聞こえた。多少の魔物なら、舞さんたちで対処できるだろうが、なんか嫌な予感がした。


「ハルト、どうする?」

とレオが真面目な表情で俺に尋ねる。


「舞さんたちもいるし、そうそう大事にはならないと思うが…」

俺が言いかけた時、スタッフの一人が慌てて携帯電話を取り出した。


「駐車場に残っているスタッフと連絡を取ってみます!」

しかし、何度コールしても応答はない。他のスタッフも試すが、結果は同じだった。繋がらない電話が、かえって不安を煽る。


『確認したい。俺は様子を見に行った方が良いと思う。皆はどう思う?』

俺はプリエス経由で、仲間たちの意思を確認した。


『危険はあるかもしれないが、放置するわけにはいかない。行くべきだと思う』

レオの思考は、すでに覚悟を決めている。


サクラは言葉なく、強く頷いた。その瞳には、恐怖よりも仲間を守ろうとする意志が宿っている。


ミオはしばらく目を閉じていたが、やがて静かに『行くべきだと思う』と答えた。


「様子を見てきます」

俺たちはスタッフにそう告げると、駐車場へと続く道を駆け出した。ひんやりとした秋の空気が、やけに肌に突き刺さる。


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山道を半分ほど下ったところで、人影が見えた。スタッフの一人が倒れている。俺たちが駆け寄ると、彼は肩を押さえ、苦痛に顔を歪めていた。


「大丈夫か!?」

俺が声をかけると、彼は俺たちの顔を見て、安堵と恐怖が入り混じった表情を浮かべた。


「鬼が…鬼が出たんだ!」

彼は震える声で叫ぶ。


「鬼だと!?」

俺の脳裏に、あの榛名遺跡での悪夢が蘇る。


「すごく大きくて、頭に角が…。巫女の護衛チームがルナさんを連れて逃げたのを、追いかけて行った…」

彼は駐車場の方向を指さす。


「ありがとう。上のスタッフと連絡を取って助けを呼べますか?」

と俺が尋ねる。


「頼む…加勢に行ってやってくれ!」

彼の悲痛な叫びを背に、俺たちは再び走り出した。胸騒ぎが、どんどん大きくなっていく。


## 2. 絶望的な再会


何度か銃声が響いた後、俺たちがたどり着いた駐車場は、混乱の渦中にあった。数台の車がへこみ、地面には薬莢が散らばっている。そして、その中央で、赤黒い巨体が咆哮を上げていた。


頭には短い二本の角。筋骨隆々の肉体。間違いない。榛名遺跡で遭遇した、あの『鬼』だ。


『プリエス、間違いないか?』

『情報エネルギーのパターンが、以前榛名遺跡で遭遇した個体と99.8%一致します。おそらく同一の個体です』


「マジかよ…」

レオが絶望的に呟く。


『以前よりも強力になっています。特に自己再生能力と、情報エネルギーの出力が向上している模様。注意してください』

プリエスの冷静な警告が、逆に鬼の脅威を際立たせる。あの時でさえ、俺たちは撤退するのがやっとだったんだ。それより強いなんて、どうやって戦えっていうんだ。


駐車場の片隅では、ルナと数人のスタッフが車の陰に隠れて震えている。その前で、舞たち四人が鬼と対峙していた。他にも銃を持った警備員が数人、鬼を囲むように立っているが、そのうちの何人かは地面に倒れ、動かない。


俺たちは、鬼の左後方に位置していた。鬼はこちらの存在に気づき、警戒を強めている。舞が、俺たちの方をじっと見つめている。その瞳は、助けを求めているのか、それとも俺たちの覚悟を試しているのか。


今の状況自体は悪いが最悪ではない。スタッフにけが人は出ているが、舞さんたちも俺達も戦うのに十分な状態で、鬼も一体だけだ。

ここで倒せなければここにいる全員が危ない。勝負をかけるべきだ。

もしかすると舞さんたちは、この状況になるのを待っていたのかもしれない。


「加勢します!」

俺は腹の底から声を張り上げた。


「かたじけない」

舞が短く応じる。


俺は仲間たちに、プリエス経由で簡潔に作戦を伝える。

『各自、精神魔法防御を最大に!鬼が咆哮を使ったら、何が何でも耐えろ!その後、ミオが鬼の動きを阻害し、サクラとレオが攻撃を加える!舞さんたちがどう動くか分からないが、俺たちの基本戦術はこれで行く!』

『『『了解!』』』

三人の力強い返事が、俺の心を支える。


「その鬼は、咆哮で精神干渉魔法を使ってきます!気をつけて!」

俺は舞たちに向かっても叫んだ。彼女たちは静かに頷く。


よし、やれるだけのことはやった。あとは、流れに身を任せるだけだ。


## 3. 巫女と探索者の共闘


俺たちが鬼との距離を詰め始めた、その瞬間。警備員たちが一斉に発砲した。それを合図にしたかのように、死闘の幕が切って落とされる。


銃弾は鬼に命中していたが、多少よろめく程度だった。生物とは構造がまるで違うので、出血したり神経や筋肉が損傷したりすることはない。コアや重要ノードを破壊できれば別だが、体に多少鉛が刺さったところで、たいしたダメージにはならないようだ。


鬼は煩わしげに警備員たちを一瞥すると、そのうちの一人に向かって突進した。あまりの速さに、警備員は反応すらできない。


と思った瞬間、鬼が大きく体勢を崩し、前のめりに倒れ込んだ。


「私じゃない」

ミオが即座に否定する。となると、やったのは…。


舞のチームの、物静かな知性派、詩織さんか。彼女が精神干渉魔法の使い手だとは聞いていたが、これほどの腕前とは。ミオと同等、いや、それ以上かもしれない。


この好機を逃す手はない。俺たちは一気に距離を詰める。

だが、俺たちよりも速く動いた者がいた。


「はあっ!」

気合一閃、葵が倒れている鬼に肉薄し、その鋭い剣閃を鬼の足元に叩き込む。


しかし、鬼は驚異的な反応速度で横に転がり、攻撃を回避。さらに、落ちていた警備員のライフルを拾い上げると、それを槍のように葵に向かって投げつけた。


葵はそれを見てすぐに身を翻し銃をかわし、まだ立つことができない鬼に突進した。今度は鬼の頭をめがけて剣を振り下ろす。


鬼は左腕を振り上げて防御するが、葵の剣はその腕を肘のあたりから切り落とし、鬼の肩に傷を負わせた。


鬼が右足で地面を薙ぐような足払いを葵はバックステップでかわし、さらに斬りかかるが、その瞬間、鬼が咆哮を上げた。


「グオオオオオッ!」


鬼が、怒りと苦痛に満ちた咆哮を上げた。強烈な精神干渉が、嵐のように周囲に吹き荒れる。

至近距離で咆哮を浴びた葵の動きが、一瞬だけ鈍る。その致命的な隙を、鬼は見逃さなかった。


ゴッ!という鈍い音と共に、鬼の右拳が葵の顔面を捉えた。


「あおいっ!」

舞の悲痛な叫びが響く。葵は木の葉のように吹き飛ばされ、地面を数回バウンドして、動かなくなった。


その光景に、俺たちの怒りが爆発した。

「よくもっ!」

葵と入れ替わるように、サクラが鬼に向かって突進する。


鬼は切り落とされた左腕の断面から、赤黒いエネルギーを噴出させながらも、サクラを迎え撃つべく右腕を振り下ろす。だが、サクラはそれを低くかがんでかわし、がら空きになった鬼の右脇腹に、渾身の一撃を叩き込んだ。


「山彦(やまびこ)ッ!」


サクラの拳を中心に、衝撃波が幾重にもなって鬼の体内に伝播する。凄まじい衝撃に、鬼の巨体がくの字に折れ曲がり、後方に数メートルも吹き飛ばされて、駐車してあった車に激突した。


しかし、鬼は倒れない。ゆっくりと、だが確実に立ち上がり、憎悪に満ちた目でこちらを睨みつけた。


「くっ…なんて頑丈なんだ…」

レオが呻く。


「山彦が完全に入ったのに…」

サクラも信じられないといった表情で、自分の拳を見つめている。


(どこかで聞いたセリフだな…)

そんな呑気なことを考えている場合じゃないのは分かっている。


『プリエス!どうすれば倒せる!?』


『情報エネルギーのパターンから推測するに、コアは首の下、胸部上方に位置する可能性が高いです。物理攻撃でも、精神干渉魔法でも、最終的にそのコアを破壊する必要があります』


『サクラの攻撃は効いてないのか?』


『いえ、効いています。一時的に体内の魔法機構を乱し、エネルギーを消費させることには成功しました。しかし、コア自体にはほとんどダメージを与えられていません』


『首の下か…さっきみたいにしゃがんでくれていれば届くんだけど、立っていると単純に届かないんだよね』とサクラが言う。


『ミオ、なんとかできないか?』


『両足同時は無理。片足なら、今なら確実に』

ミオの思考が、鋭く返ってくる。


どうするか。


この距離なら俺も鬼の注意を引けるかもしれない。そうすれば精神干渉魔法を使う条件が整う。ただ、咆哮がくるとむしろ俺が足を引っ張る形になりかねない。何かを確実に仕掛けるなら、咆哮後が一番だが、そういう状況が来るかどうかはわからない。


舞たちの方を見ると、驚くべきことに、葵が立ち上がろうとしていた。頭から血を流し、左腕はだらりと垂れ下がっている。それでも、右手には剣を固く握りしめている。結が必死に治療を施しているが、戦線復帰は絶望的だろう。


その時、舞がこちらに駆け寄ってきた。冷静な表情の奥に闘志の炎が燃えている。


「ハルトさん。先程のような強力な攻撃で、もう一度だけ鬼の動きを止められますか?」


「…確実とは言えませんが、やってみます」


「お願いします。それができれば、後は私たちで鬼を封じます」

舞の言葉には、有無を言わせぬ力がこもっていた。


「わかりました」

俺は頷き、再び仲間たちに作戦を伝えた。

『目標は、もう一度サクラの山彦をクリーンヒットさせるか、俺の精神干渉で動きを止めることだ!』


## 4. 捨て身の陽動


鬼が、ゆっくりとサクラに向かって歩き出す。その一歩一歩が、地面を揺るがす。レオはサクラの隣で、巨大な盾を構えて鬼を睨みつけている。俺とミオは、鬼を挟むようにして、サクラたちの反対側へと回り込んだ。挟撃態勢だ。


鬼がサクラたちに襲いかかれば、ミオの妨害とサクラのカウンターが炸裂する。俺たちに狙いを変えれば、俺の精神干渉魔法の餌食だ。どちらに来ても対応できるように、神経を研ぎ澄ませる。


だが、鬼は俺たちの想像を上回る行動に出た。

突如、方向転換し、誰もいない森の方向へ向かって突進し始めたのだ。


「なっ…!?」

一瞬、その意図が分からなかったが、すぐに理解した。こいつ、逃げるつもりか!


「逃がすな!」

俺の叫びと同時に、ミオの精神干渉魔法が鬼の右足を捉える。鬼はバランスを崩して転倒するが、すぐに片足で立ち上がり、サクラの方に向き直った。その動きには、一切の無駄がない。


サクラは警戒して距離を取る。下手に突っ込めば、カウンターの咆哮を食らう可能性がある。冷静な判断だ。


『サクラ、俺が囮になる。その隙に打ち込め』

レオの覚悟に満ちた思考が飛んでくる。


『…了解。気をつけて』

サクラの短い返信に、レオへの絶対的な信頼が感じられた。


「うおおおおおおっ!」

レオが雄叫びを上げ、盾を構えて鬼の右側面から突進した。完全な陽動だ。


鬼はレオに気づき、その巨腕で薙ぎ払う。レオは盾で防御するが、凄まじい衝撃に数メートルも吹き飛ばされ、地面に転がった。


だが、その犠牲は無駄ではなかった。がら空きになった鬼の側面に、サクラが一気に間合いを詰める。


「山彦ッ!」

再び、サクラの必殺の拳が鬼の脇腹に叩き込まれる。


しかし、鬼はわずかによろめいただけだった。


『不発です』

プリエスの無情な報告。


『みんなごめん!』

サクラが悔しそうに呟く。山彦は、まだ完全にコントロールできる技ではない。むしろ、最初の一発がクリーンヒットしたこと自体が奇跡だったのかもしれない。


「今度はこっちよ!」

ミオが前に出て叫ぶ。彼女の精神干渉が、鬼の左足を狙う。

鬼が左膝を地面につけた、その瞬間。


「グオオオオオッ!」


鬼の咆哮が、再び炸裂した。

鬼は、膝をついたままミオを睨みつける。ミオは咆哮の影響を受けながらも、必死に精神干渉を続けているようだ。鬼は動けない。


鬼が足元の石を拾い上げ、ミオに向かって投げつける。ミオはかろうじてそれを避けるが、集中が途切れ、精神干渉が弱まった。その隙に、鬼が立ち上がる。


もう、後がない。俺は覚悟を決めた。


両手を広げ、鬼とミオの間に割って入る。そして、鬼の憎悪に燃える両目を、まっすぐに見つめ返した。


『プリエス!』

『繋ぎます』


プリエスの声と同時に、世界から色が抜け落ち、音が遠のいていく。鬼の精神世界の深淵に、俺は再びダイブした。


## 5. 憎悪のその先へ


そこは、暴力と破壊の意思が渦巻く、灼熱の溶鉱炉のような空間だった。前回よりも遥かに強い抵抗が、嵐のように俺の精神を打ち据える。


『ハルト、意識を保ってください!敵の自己防衛本能が、あなたを異物として排除しようとしています!』

プリエスの冷静な声が、嵐の中の灯台のように俺の意識を繋ぎ止める。


『分かってる…!コアはどこだ!』


『前回と同じ、中央のピラミッド型構造体です。ですが、防御が格段に厚くなっています。今回は、周囲の雑念を振り払い、最短距離でコアに到達する必要があります』


プリエスのナビゲーションに従い、俺は精神の嵐の中を突き進む。コアに近づくにつれて、「強者」「支配者」「破壊者」という、鬼の自己を形成する概念が、巨大な壁となって俺の前に立ちはだかった。


『プリエス、例のやつを!』


『了解。「無価値」の概念を展開します』


俺は用意していた概念――「お前の力は誰にも届かない」「お前の存在には意味がない」「お前はただの虚無だ」――を、槍のように研ぎ澄まし、目の前の壁に突き立てた。


**『『『我は、強者なり!!!』』』**


鬼の魂が咆哮し、概念の槍を弾き返そうとする。凄まじい精神的な圧力に、俺の意識が押し潰されそうになる。


『ハルト!抵抗されますが、怯まないで!彼の自己肯定は、その暴力性に基づいている。その根源を否定するのです!』


そうだ。こいつの強さは、他者を破壊することでしか成り立たない、空っぽの強さだ。俺は、仲間たちの顔を思い浮かべた。サクラの勇気、レオの覚悟、ミオの覚悟、そして舞さんたちの祈り。俺たちの強さは、誰かを守るためにある。


『お前の力は、誰かを守るためにあるのか!』

俺は、自らの意志を乗せて、概念の槍をさらに強く押し込んだ。

『違うだろ!お前はただ壊したいだけだ!誰のためでもない、お前自身の存在意義のために!そんな力に、何の意味がある!』


**『『『我は、強者なり!!!』』』**


鬼の抵抗が、激しくなる。


『お前はさっき逃げようとしたな?そうだろう?お前は自分が弱いことを知っている!だからこそ、他者を破壊することでしか、自分の存在を証明できない!そんなものに、何の価値がある!』


**『『『黙れぇぇ!!!』』』**


だが、それは最後の断末魔の叫びだった。俺の言葉が、その自己肯定の核心を貫いたのだ。


概念の壁に、亀裂が走る。


『今です!コアに直接、概念を流し込みます!』


俺は残った全ての精神力を振り絞り、「無価値」の概念をコアの中心へと叩き込んだ。


ピラミッド型のコアが、激しく明滅を始める。鬼の精神世界そのものが、メルトダウンを起こしたかのように崩壊していく。渦巻いていた憎悪の嵐は急速に勢いを失い、絶対的な静寂が訪れようとしていた。


「…はっ!」


意識が、現実世界に引き戻される。

目の前では、鬼が苦悶の表情で頭を抱え、ふらふらとよろめいていた。その目は焦点が合っておらず、もはや敵意すら感じられない。ただ、深い混乱の中にいることだけが分かった。


「今です!」


俺は、膝から崩れ落ちそうになるのを必死に堪え、舞たちに叫んだ。

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