第20話 変わらないこと、変えるべきこと

## 1. 夕暮れのキャンパスと重すぎる真実


桜井博士の研究室の扉が、バタン、と重々しい音を立てて閉まった。まるで、現実世界から切り離されたような感覚。俺たちは誰一人、言葉を発することなく、夕暮れのオレンジ色の光が差し込む長い廊下をとぼとぼと歩いていた。


(……マジかよ)


頭の中で、博士の言葉がぐるぐると渦巻いている。大崩壊の真実、今も活動を続ける三大汚染遺跡のAI、そして筑波のAIが企む世界の理の書き換え――。その一つ一つが、現実感を失わせるほどに重く、俺たちの肩にずっしりとのしかかっていた。SF映画でも、もうちょっとマシな設定を考えるぜ。


大学の正門を出ると、じりじりと肌を焼くような熱気は幾分和らぎ、代わりにツクツクボウシの鳴き声がシャワーのように降り注いでいた。夏の終わりを告げる蝉時雨が、やけに感傷的な気分にさせる。


「…なあ」


並木道に差しかかったところで、俺は耐えきれずに口火を切った。黙ったままじゃ、この重い空気に押し潰されてしまいそうだった。


「今の話、みんな、どう思う?」


我ながら、あまりに漠然とした質問だ。だが、そうとしか聞けなかった。一番に反応したのは、やはり俺の頼れる相棒だった。肩の上で小さなホログラムの姿を揺らしながら、冷静な声で思考を直接送ってくる。


『桜井博士の話の信憑性ですが、状況証拠から判断するに、少なくとも70%は真実であると推測されます。特に、三大汚染遺跡のAIの存在と、筑波のAIが特殊な活動を行っているという点は、私が収集した断片的な情報とも一致します』


「70%か…」

思ったより高いな、おい。


『残りの30%は、博士自身の解釈や、我々を特定の方向に誘導しようとする意図が含まれる可能性を否定できません。全面的に信頼するのは危険です』


プリエスの冷静な分析は、沸騰しそうな頭を少しだけ冷ましてくれた。そうだ、まずは落ち着け、俺。


「よくわかんないけど…」

隣を歩いていたサクラが、むんっと腕を組んで唸る。彼女の表情は、難しいパズルを前にした子供のようだ。

「つまり、世界を壊した悪いAIがまだ残ってて、そいつらがまた何か企んでるってことでしょ?だったら、話は簡単じゃん!やっつけに行くだけじゃない!」


そのあまりに単純明快な答えに、俺は思わず苦笑した。ああ、なんてサクラらしいんだ。そのストレートさが、今は少しだけ羨ましかった。ある意味、最強の思考かもしれない。


「サクラは単純すぎる」

ミオが、やれやれといった様子でため息をつく。その目は「この脳筋お姫様は…」と語っていた。

「博士の話が全て真実とは限らない。それに、相手は鬼一匹とはわけが違う。国家レベルでも手が出せない存在なんでしょ?私たちだけでどうこうできる問題じゃない」


「じゃあ、どうしろって言うのよ!黙って見てろってこと!?」

サクラがカチンときたのか、少しムキになって言い返す。


「だから、まずは情報収集。博士の言う『脅威か希望かを見極める』っていうのは、そういうことでしょう」

ミオは冷静に、しかしその瞳の奥には強い意志を込めて言った。二人の間に、バチバチと見えない火花が散る。


## 2. レオの答えはいつもシンプル


やばい、仲間割れは勘弁してくれ。俺が仲裁に入ろうかと思った、その時だった。


「まあ、待てよお前ら」


これまで黙って話を聞いていたレオが、ガシガシと頭を掻きながら、少し呆れたように言った。その声には、妙な落ち着きがあった。


「博士の話が本当だろうが嘘だろうが、筑波のAIが脅威だろうが希望だろうが…結局、俺たちが今やるべきことって、何か変わるのか?」


「え?」


俺、サクラ、ミオ、三人の声が綺麗にハモった。全員の視線が、レオに突き刺さる。


「だってそうだろ?」

レオは、まるで「1+1=2」だとでも言うように、当たり前の顔で続けた。

「もっと強くならないと、話にならない。もっと情報を集めないと、何も判断できない。つまり、今まで通り、訓練して、探索して、腕を磨いて、金を稼ぐ。結局、やることは何も変わってないんじゃないか?」


その言葉は、頭をガツンと殴られたような衝撃だった。

そうだ。世界の真実なんていうクソでかいものを知ったからといって、俺たちが明日から急にスーパーマンになるわけじゃない。やるべきことは、いつだって足元にあるんだ。目の前のダンジョンをクリアして、レベルを上げて、装備を整える。RPGの基本じゃねえか。


「…お兄ちゃんは、脳天気なんだから」

ミオが呆れたように呟いた。でも、その口元は少しだけ緩んでいる。俺には分かったぞ、ミオ。お前も納得したんだろ。


「なんだと?」

レオがミオの頭をわしゃわしゃと撫でるように小突く。


「でも…」

サクラが、何かを吹っ切ったように大きく頷いた。

「レオの言う通りかも!うじうじ悩んでたって仕方ないもんね!よし、決めた!明日からの訓練、もっと厳しくするから覚悟してよね!」


「げっ、マジで!?」

「それは勘弁してくれ…」

俺とレオの情けない悲鳴が重なった。サクラのやる気スイッチは、時々あらぬ方向へと暴走するから困る。


駐車場に停めてあった車に乗り込む頃には、俺たちの間に漂っていた重苦しい空気は、すっかり夏の終わりの夜風に流されて消えていた。


## 3. 変わらないこと、変えていくこと


「まあでも、結局はそうだよね」

帰りの車中、心地よいエンジン音を聞きながら、俺は改めて呟いた。

「やることは変わらない。強くなって、情報を集める。その先に、博士の依頼の答えがある」


「そういうことだ」

レオがハンドルを握りながら、ニヤリと笑う。その横顔が、やけに頼もしく見えた。


「なんだか、すっきりした!」

後部座席でサクラが大きく伸びをした。その能天気さが、今は本当にありがたい。


『目標が明確になったのは、良いことです。思考のリソースを、具体的な行動計画の立案に集中できます』

プリエスも肯定的な意見を返してくれた。


そうだ。俺たちは、とてつもなく大きな問題に直面しているのかもしれない。世界の運命とか、人類の未来とか、そんなもんを背負わされちまったのかもしれない。


でも、やるべきことはシンプルだ。一歩ずつ、着実に前に進むだけ。


「よし、じゃあ明日からまた頑張ろうぜ!」


俺の言葉に、車内の全員が力強く頷いた。

夕暮れの街の明かりが、フロントガラスを流れていく。世界の真実を知って、俺たちの日常は、もう昨日までと同じではないのかもしれない。


それでも、こうして仲間たちと交わす何気ない会話があって、明日への漠然とした希望があって、帰るべき場所がある。そういう変わらないものが、きっと俺たちを強くしてくれる。


世界の真実なんていうクソでかい荷物は、今は一旦、トランクの隅にでも放り込んでおこう。まずは明日の訓練と、次の探索だ。


俺たちの新しい日常は、そんな風に、やっぱり何も変わらずに続いていく。

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