第7話 雨上がりの決意

## 1. 梅雨空と情報社会の闇


しとしとと、六月の雨が窓ガラスを叩く音で目が覚めた。梅雨入りしてから二週間、今年の空はご機嫌斜めらしい。じっとりとした湿気が部屋に満ちていて、どうにも気分が晴れない。


「ん……」


眠い目をこすりながらリビングへ向かうと、俺は習慣になった動作でテレビのスイッチを入れた。もちろん、俺自身が見たいわけじゃない。俺の肩の上でうずうずしている、知的好奇心の塊みたいな相棒のためだ。


『おはようございます、ハルト。今日も雨ですね』


肩の上に、半透明のプリエスがちょこんと座る。その声は俺の頭の中に直接響く。彼女は俺の視界を借りて、食い入るようにニュース画面を見つめていた。


「おはよう、プリエス。本当によく降るよな」


画面の中で、アナウンサーが神妙な面持ちで原稿を読み上げている。


『――続いて、大阪地方裁判所からです。情報結晶の製造過程で精神的な健康被害を受けたとして、元労働者ら約三百名が製造会社を相手取って起こした集団訴訟で、昨日判決が下されました』


俺は思わず画面に目を向けた。


『裁判長は「会社側は法令に基づいた安全対策を講じており、業務と鬱病発症の間に直接的な因果関係は認められない」として、原告側の請求を棄却しました。原告側は判決を不服として控訴する方針です』


「情報結晶の製造で健康被害、か……」


俺がぽつりと呟くと、プリエスが真剣な表情で問いかけてきた。


『ハルト、この労災訴訟について、どう思われますか?』


「うーん……。これって、情報魔法を使いすぎて共鳴力がすり減った結果、鬱病になったって話だよな?」


『ええ、原告側の主張はそういうことですね』


「魔法を使うときに自分の共鳴力を消費しすぎると、最後には何にも関心が持てなくなって廃人になるって、訓練校でも習ったけど……」


まるで先生みたいに、プリエスが人差し指を立てて解説を始める。


『情報から情報エネルギーを引き出すには、術者がその情報と強く共鳴している必要があります。エネルギーを引き出す代償として、その情報に対する共鳴力は少しずつ減少します。そして共鳴力がゼロになると、もうその情報からはエネルギーを引き出せなくなるのです』


「情報魔法理論の基本だな。テストに何度も出たから、さすがに覚えてるよ」


『共鳴力とは、言い換えれば「興味関心」そのものです。共鳴力がなくなると、それを見ても何も感じなくなります。道端のアスファルトを眺めているのと同じ状態になるのです』


「家族や大切な人が、アスファルトの地面みたいに見えるようになったら……悲しいなんてもんじゃないよな」


『この手の製造工場では、支給された情報結晶をエネルギー源として使うのが基本です。しかし、作業者の共鳴力と情報の相性を無視した非効率な労働が常態化している場合が少なくありません。生産ノルマを達成するために、不足分のエネルギーを自らの共鳴力で補ってしまうのです。生産性が低いと評価されれば減給や解雇に繋がるため、無理をしてしまう傾向があります』


「足りないカロリーを、自分の脂肪を燃やして補うみたいなもんか」


『まさに。これは私が作られた時代でも問題になっていました。情報魔法は万人向けの技術ではありません。適切な環境で、専門的な訓練を受けた者が使うべきものなのです』


「でも、工場で働く人たちは、そんなこと言ってられないもんな……」


『ええ。家族のために、と頑張る人ほど、心身を壊しやすい。悲劇としか言いようがありません。未だにこのような事件が後を絶たないのは、情報魔法社会が抱える根深い闇の部分です』


プリエスの声には、静かな怒りのようなものが滲んでいた。


『でも、安心してください。ハルトには私がついています。あなたの情報エネルギー管理は完璧に行いますから、絶対にそうはさせません!』


プリエスが胸を張って、力強く宣言した。その姿は頼もしいけど、なんだか少しだけ切ない。


一緒にニュースを見ていた祖母が、心配そうに俺の顔を覗き込んだ。


「ハルトも、情報魔法の扱いは本当に気をつけるのよ」


祖母も昔は情報魔法関連の仕事をしていて、そこで祖父と知り合ったと聞いている。だからこそ、その危険性もよく知っているのだろう。


「大丈夫だよ、ばあちゃん。俺はちゃんと魔法用の結晶も持ってるし、無理はしないって」


そう答えながらも、俺の胸には小さな不安の染みが広がっていた。

お金があるうちは、大丈夫。でも、もし稼げなくなったら……?


## 2. 燻る焦りと新しい提案


雨の中の都市探索は、思ったほど悪くない。ビルやアーケードが雨を遮ってくれるし、道も舗装されているからだ。俺とサクラはいつもの安全遺跡での探索を終え、すっかり馴染みになった田中商会へと向かっていた。


「うーん、最近どうも稼ぎが悪いよね……」

隣を歩くサクラが、少し落ち込んだ声で呟いた。


「だよな……」

俺もため息混じりに応える。ここ数週間、二人で一日三万円程度の成果しか上げられていない。今日も大差ないことは、わざわざ計算するまでもなかった。


その程度の収入では、諸経費を差し引くと手取りは雀の涙だ。情報結晶化魔法を使うには、エネルギー源となる別の結晶が必要で、それだけで一人半日あたり一万円相当のコストがかかる。今日も赤字にならないだけマシ、というレベルだろう。これなら、普通にアルバイトをした方がよっぽど稼げる。探索者として自立するなんて、まだまだ夢のまた夢だ。


「いらっしゃい」


商会の扉を開けると、カウンターの奥から店主の田中さんが顔を出し、その後ろからタクマがひょこっと顔を出した。


「お、ハルトにサクラさん。今日はどうだった?」


「今日もイマイチでした……」

俺がカウンターに今日の収穫を並べると、店主は慣れた手つきで鑑定を始めた。


結局、今日の稼ぎは二人で二万五千円。赤字ギリギリ。ほぼ予想通りの結果に、俺たちは揃って肩を落とした。


商品の整理をしていたタクマが、俺たちのそんな様子を見て声をかけてきた。


「ハルト、最近ぱっとしないみたいだね」


「まあな……。安全遺跡は確かに安全だけど、もう掘り尽くされた感があるよ。ありふれた情報ばっかりで、金にならない」


タクマが顎に手を当て、何かを考えるように少し黙り込んだ。そして、商売人らしいキラリとした目つきで口を開いた。


「最近、未管理遺跡の方が稼げるって話、よく聞くんだけど、どう思う?」


「未管理遺跡?」

俺が聞き返す。安全遺跡は警備隊が常駐する、いわば訓練場のような場所だ。それに対して未管理遺跡は、警備隊がいない、正真正銘の廃墟。危険度が段違いだ。


「安全遺跡は確かに安全だけど、エリアが限られてるから、高価値な情報はもうほとんど残ってない。でも、未管理遺跡は手付かずの場所も多いから、一攫千金の可能性があるって話さ」


『ハルト、それは一理あります』プリエスが脳内で賛同する。『ただし、危険度も格段に上がりますが』


「未管理遺跡かあ。行ったことはあるけど、熊とかも出るし、私一人でハルトを守りきれるか、ちょっと不安かも……」

サクラが少し自信なさげに言う。


む、サクラがそう言うなら無理か?……ん?待てよ。今の言い方だと、サクラ一人なら行けるってことか?もしかして、熊相手でも素手で勝てるとかそういうレベルなのか?サクラさん、マジですか?俺の思考が明後日の方向に飛んでいく。


「そこで提案なんだけどさ」

タクマがニヤリと笑みを浮かべた。

「そろそろ次のステップに進んでもいいんじゃないか?チームで、さ」


「チーム?」


「そう。レオとミオも、未管理遺跡に興味があるって言ってたんだ。四人のチームなら、安全性も収益性も格段に上がると思うんだよ」


## 3. 頼れる仲間と、それぞれの理由


タクマの提案は、こうだ。「レオとその妹のミオも誘って、四人でチームを組んで未管理遺跡に行く」。

聞けば、レオとミオも二人で安全遺跡を探索しているが、やはり収益面で苦労しているらしい。


話は早い方がいい。俺はすぐにレオに連絡を取った。幸い、今日は工房にいるという。俺たちはタクマに礼を言うと、そのままレオの店へと向かった。


「いらっしゃい!」

油の匂いが染みついた作業着姿のレオが、快活な声で俺たちを迎えてくれた。


「レオ、ちょっと相談があるんだけど……」

俺がタクマの提案を説明すると、レオの目がカッと輝いた。


「未管理遺跡か……面白そうだな!」


「でも、かなり危険らしい。魔物も出るし、普通に野生動物も出るって」

俺は念のため、危険性を強調しておく。


「んー、でもサクラさんは戦えるんだろ?俺とハルトもいるし、ちゃんとした武器さえあれば、なんとかなるんじゃないか?」

レオが楽観的に言う。……いや、俺は戦闘員としてはあまり役に立たないんだが、まあ、黙っておこう。


「それに、ミオがいれば魔物はなんとかなる。試しに行ってみる価値はあると思うぜ」


「ミオさんって、妹さんなんだよね?そんなに戦えるの?」

サクラが不思議そうに尋ねる。


「ああ。あいつは、魔物相手なら俺よりずっと強い。中級レベルの精神干渉魔法が使えるんだ」


「「え、すごい!」」

俺とサクラの声が綺麗にハモった。中級の精神干渉魔法なんて、専門の訓練校でもトップクラスの実力だ。


「まあ、野生動物はちょっと苦手みたいだけどな……。そこは俺がなんとかする」

レオが頼もしく胸を叩く。


そこで俺は、さっきから気になっていたことをサクラに聞いてみた。

「そういえば、サクラは熊を素手で倒せるのか?」


「……ハルトは私を何だと思ってるのかな?」

サクラがにっこりと微笑む。だが、その目は全く笑っていない。


「えっと……イエスってこと?それともノーってこと?」

俺は空気を読まず、本気で尋ねる。


「できるわけないでしょ!」

サクラがぷんすかと頬を膨らませて怒った。

「さすがに素手じゃ無理よ!何か武器があれば話は別だけど……」


「そ、そうか。だよな……」

さすがサクラさん。武器さえあれば熊もいけるんですね。マジ半端ねえっす。俺は心の中で合掌した。


俺たちのやり取りを、レオが興味深そうに聞いていた。

「武器、か……」


とんとん拍子に話は進み、来週の日曜日に、俺たち四人は初めての未管理遺跡に挑むことになった。


## 4. いざ、沼田未管理遺跡へ


梅雨明けを思わせるような、久しぶりの晴れた日曜日。

サクラと一緒に駅のロータリーで待っていると、一台の電気自動車が俺たちの前に停まった。年式は相当古そうだが、きれいに整備されている。


「よう、待たせたな」

運転席から、レオが顔を出す。助手席には小柄な女の子が座っていた。ミオだ。


「ボロボロだけど、一応ちゃんと動くから」

レオが苦笑いしながら言う。さすがは機械いじりの達人だ。


車から降りてきたミオは、レオの妹だが、実は俺たちと基礎訓練校の同期でもある。俺たちがのんびりしていたわけじゃない。彼女が飛び級で入学した、いわゆる天才少女なのだ。訓練校時代、その噂は耳にしていたが、まさかレオの妹だったとは。兄としては、ちょっと複雑な心境かもしれないな。


「俺はハルト。こっちはパートナーのサクラ」

俺が自己紹介する。


「はじめまして、ミオです」

ミオが少し恥ずかしそうに、ぺこりと頭を下げた。


「よろしくね、ミオちゃん!」

サクラが太陽みたいな笑顔で手を差し出す。


「……よろしくお願いします」

ミオは少し戸惑いながらも、その手を握り返した。


「私のことはサクラって呼んでね」「俺もハルトでいいよ」

俺たちがそう言うと、ミオは少しだけ表情を和らげ、「うん、わかった。サクラ、ハルト」と小さな声で答えた。


「よし、話は車の中でもできる。行こうか」

レオに促され、俺たち四人は初めてのチームでの探索へと向かった。


車で三十分ほど走ると、景色は一変した。

「うわあ……」

サクラが感嘆の声を上げる。目の前には、まさに「遺跡」と呼ぶにふさわしい光景が広がっていた。


沼田未管理遺跡。かつて中小企業の工場が集まっていた工業地帯で、大崩壊後に放棄され、復興対象地域からも外された場所だ。

建物は蔦や苔に覆われ、アスファルトの道路はひび割れて、そこから草木が力強く生い茂っている。壁が崩れ落ち、鉄骨の骨組みを無防備に晒している工場跡。文明の墓場、なんて言葉が頭をよぎった。


「戻ってこれるように、念のため緯度経度情報を記録しておこう」

レオが手際よく端末を操作する。確かに、看板も標識も朽ち果てていて、見通しも悪い。昔は畑だった場所が、今では鬱蒼とした森のようだ。これは本気で迷子になりそうだ。


## 5. 初陣、それぞれの役割


俺たちは、サクラとレオを先頭に、真ん中にミオ、そして俺が殿(しんがり)という隊形で探索を開始した。サクラはいつもの軽装に、指にはめたナックルが鈍く光る。レオは作業着の上にプロテクターを重ね着し、背中に大きめのハンマー、左腕に頑丈そうな盾を装備している。ミオは本型のデバイスを大事そうに胸に抱えていた。


俺は周囲の情報エネルギーを探知しながら、プリエスと共に警戒にあたる。


『ハルト、ここは人の立ち入った形跡が少ないですね。期待できそうです』

プリエスが楽しそうに報告してくる。


廃墟の中、かろうじて道としての形を保っているアスファルトの上を歩く。時折、茂みがガサガサと音を立てるが、姿を現すのはキツネやタヌキといった小動物ばかり。今のところは問題ない。


その時、プリエスが鋭く警告を発した。

『ハルト、左前方五十メートル!魔物です!』


「サクラ、レオ!左前五十メートル、魔物だ!」

俺は即座に叫んだ。


声と同時に、前方の茂みから何かが飛び出してきた。

「魔物!」


現れたのは、犬のような四足歩行の魔物。だが、安全遺跡で遭遇した個体よりも一回りも二回りも大きい。


「みんな、下がって!」

サクラが両手のナックルの感触を確かめるように拳を握りしめ、ゆっくりと前に出る。レオも即座に盾を構え、ミオは本型のデバイスを開いて魔物を見据えた。俺も慌ててスタンロッドを握りしめる。


魔物が唸り声を上げ、サクラに飛びかかった。

サクラは紙一重でその突進をかわし、流れるような動きで魔物の横へ回る。そして、強烈なナックルの一撃を、その頭に叩き込んだ。


横殴りの衝撃に、魔物は数メートルも吹き飛ばされ、地面に倒れ伏す。サクラは間髪入れず、倒れた魔物のコアと思わしき部分に追撃の一撃を加え、完全に沈黙させた。


「ふう……」

サクラが軽く息を整える。


「サクラ、すごい!」ミオが目を丸くして感心している。

「おいおい、強すぎるだろ……」レオも呆れたように笑った。


「こういう魔物は動きが単調だから、対処しやすいんです」

サクラがにこやかに、いつものセリフを口にする。もう見慣れた光景に、俺は親指を立ててグッジョブのサインを送った。サクラも笑顔でそれに応える。

あれくらいの魔物なら、あと一、二匹増えてもサクラ一人で十分だろう。過去の経験から、俺はそう確信していた。


## 6. 牙を剥く自然


探索を続けていると、今度は建物の影から、本物の野生動物が姿を現した。

イノシシだ。しかも、かなりデカい。


百メートルほど前方から、こちらに向かって猛然と突進してくる。こっちに来るなよ!と念じるが、そんな願いが通じるはずもない。


「っ!」

ミオが怯えたように、とっさにレオの後ろに隠れた。


「イノシシだ!みんな、気をつけて!」

俺が叫び、スタンロッドを構える。サクラはイノシシとレオの間に割って入り、腰のベルトから棘付きの物々しい金属製ナックルを取り出して装着した。


「サクラ、気をつけろ!」

レオの警告に、サクラは無言で頷く。


一直線に突進してくるイノシシ。サクラは先ほどと同じように、最小限の動きでその突撃をかわし、すれ違いざまに頭部へナックルを叩き込んだ。

しかし、魔物と違って物理的な肉体を持つイノシシは倒れない。勢いは少し衰えたものの、そのままレオに向かって突進を続ける。


「レオ、危ない!」

サクラが叫ぶ。


レオは盾を地面に突き刺すように固定し、体勢を低くしてイノシシの突撃に備える。

ガギンッ!と、肉と骨が金属にぶつかる鈍い音が響いた。レオは衝撃に顔を歪めながらも、見事に突進を受け止めた。


その一瞬の隙を、サクラは見逃さない。イノシシの脇腹に、今度は深く、抉るようにナックルを叩き込む。金属の棘が分厚い皮を破り、肉に突き刺さる。そして、


バチチチッ!


ナックルに仕込まれたスタンガンが火花を散らした。

イノシシが巨体を痙攣させながら崩れ落ちたところへ、レオが渾身の力でハンマーを頭に振り下ろし、とどめを刺した。


「ふう……なんとか、倒せたな」

レオが荒い息を整えながら言った。


「ミオ、大丈夫か?」

俺が声をかけると、ミオはまだ硬い表情のまま、こくりと頷いた。


レオが、ミオの頭を優しく撫でながら言う。

「ミオは子供の頃、大きい犬に襲われたことがあってな……。獣みたいな、ああいう大きい野生動物はちょっと苦手なんだ」


「そうだったのか……」

俺は納得した。俺だって、いまだに魔物と対峙すると妙に緊張する。こういうのは理屈じゃない。


「レオ!このナックルスタンガン、すごくいい!」

サクラが興奮した様子で、自分の武器を掲げて見せた。


「だろ!一応、当たれば熊でも動きを止められるように設計してあるんだ」

レオが得意げに胸を張る。


「熊かー。熊を倒すのは武闘家のロマンだけど、できれば遭遇は避けたいなあ」

サクラが笑う。


「でも、イノシシにこれだけ効果があるなら……これ、商品化したら売れるかもな!?」

レオが目を輝かせる。


そんな兄の様子を見て、ミオが強い口調でぴしゃりと言った。

「お兄ちゃん。それはサクラの戦闘技術があるから使えるのであって、普通の人が使ってもイノシシだって無理」


「あー……そうかもな。ダメかー」

がっくりと肩を落とすレオを見て、みんなで笑った。


## 7. 地下に潜む影と、静かなる圧勝


あるオフィスビルの地下に続く階段を見つけた時、プリエスが再び警告を発した。

『ハルト、地下に魔物がいます。これまでで最も強い反応です』


俺が探知魔法で確認すると、確かに強力なエネルギー反応がある。声を潜め、俺は仲間に伝えた。

「みんな、地下に魔物がいる。どうする?引き返すか?」


「魔物か……。何匹だ?」レオが尋ねる。

「一匹だけ。でも、最初の犬よりかなり強そうだ」


「一匹なら、なんとかなるんじゃないか?サクラもミオもいるし」

レオがサクラとミオの方を見る。


「大丈夫」「任せて」

二人は力強く頷いた。その頼もしい返事に、俺も頷き返す。

「よし、行こう」


地下は明かりが一切なく、完全な闇に包まれていた。俺とレオがライトで周囲を照らしながら、慎重に階段を降りていく。

階段を下りきった先に、だだっ広い空間があった。そこに、そいつはいた。

今度はクマ型の魔物だ。体長は三メートル近くある。その巨体から放たれる威圧感に、思わず息を呑んだ。


「熊か……。今日は本当に縁があるね」

サクラがぽつりと呟き、前に出ようとする。

その肩を、ミオがそっと手で制した。


「サクラ、ここは私が」

ミオは静かな、しかし有無を言わせない口調で言った。

そして、なんでもないことのように一人で前へ進み出て、巨大な魔物と対峙する。


魔物もミオの存在に気づき、咆哮を上げて向かってくる。

「ミオ、気をつけて!」

サクラが叫んだ、その瞬間。


クマ型の魔物が、まるで糸の切れた操り人形のように、その場に崩れ落ちた。

ミオは倒れた魔物にゆっくりと近づき、手に持っていたスタンロッドを振り下ろして、完全に沈黙させた。


「えぇっ……?」

サクラが呆然と声を漏らす。俺も、何が起こったのか理解できずに立ち尽くしていた。


『精神干渉魔法です』

プリエスが冷静に解説する。

『魔物のエネルギーコアと本体を繋ぐ情報経路を、一瞬で遮断しました。あの年齢でこれほどの使い手は、滅多にいません。相当な腕前です』


「ミオ、すごいな……」

俺はまだ警戒を解かずに、ミオに近づきながら言った。魔物はぴくりとも動かない。


「このくらいの魔物は、所詮、単純な情報魔法の産物だから。……コストを考えなければ、問題ない」

ミオが淡々と答える。


「じゃあ、イノシシは?」

俺が意地悪く聞くと、ミオは少し顔を赤らめて、ぷいっとそっぽを向いた。

「……イ、イノシシの精神になんて、共鳴できるわけないでしょ!」


## 8. サーバールームでの大発見と、小さな気遣い


その地下の一角に、金網で覆われたサーバールームを見つけた。比較的新しい南京錠がかかっている。


「お兄ちゃん、これ、開けられる?」

ミオが尋ねる。


「まあ、なんとかなるだろ」

レオはポケットから工具を取り出すと、手慣れた様子でピッキングを始めた。


「レオさんって、鍵開けもできるんですね!」サクラが目を輝かせる。

「特技の一つってやつさ。なぜできるようになったのかは、トップシークレットだ」

レオが悪戯っぽく笑う。


数分後、カチリ、と小さな音を立てて鍵が開いた。

サーバールームの中には、古いサーバーがずらりと並んでいた。


『プリエス、どうだ?』

『これは……今日一番の収穫になる可能性が高いです』


サーバーラックには何台ものサーバーが収められているが、いくつかのスロットは空になっていた。どうやら先客がいたらしい。

それでも、残っているものだけでもかなりの数だ。俺たちは手分けして調べることにした。


サクラはストレージを前にして、少し気が進まない様子だった。まあ、無理もない。今日は戦闘の連続で、ずっと緊張しっぱなしだっただろう。


「サクラ、休んでていいよ。今日は疲れただろ?」

俺が声をかけると、サクラは少しほっとしたように微笑んだ。

「うん、ありがとう。じゃあ、お言葉に甘えて。その辺を見回ってるね」


俺はプリエスの高性能な解析能力を借りて、次々と情報を結晶化していく。自分で言うのもなんだが、俺自身の技術もかなり上がってきていて、結晶化の腕はそこそこ良い方だと自負している。


「ハルト、すごい……」

隣で作業していたミオが、感心したように呟いた。


「いや、このQSリーダーのおかげだよ」

俺がそう答えると、ミオはさらに付け加えた。

「情報収集の速さも、結晶化の精度も、ちょっと普通じゃない。……お兄ちゃんはいつも結晶化を私に押し付けるから、助かる」


「お、おい、ミオ……」

レオが気まずそうに苦笑いしている。


一通り作業を終えてサーバールームを出ると、レオが外した南京錠を元通りにかけ直した。


「鍵をかけ直すところが、いかにもレオらしいな」

俺が笑うと、レオは当然のように答えた。

「こじ開けた鍵をかけ直すのが違法なんて決まりはないだろ?ピッキングの跡が残ってたし、前のやつもそうしたに違いない」


『同じ情報を複数の探索者が結晶化すると、市場に出回る量が増えて希少性が下がります。希少性が下がれば、情報エネルギーの価値も下がる。つまり、可能であれば情報は独占した方が高値で売れるのです』

プリエスが補足する。盗んだり壊したりすれば違法だが、鍵をかけ直すのは合法。なるほど、合理的だ。


「違法じゃない、か。確かに」

俺は笑ってそう言った。


## 9. 確かな手応えと、未来への期待


その日の探索を終えた俺たちは、過去最高の成果を手にしていた。


「今日は本当によく稼げたね!」

サクラが嬉しそうに、バッグに詰まった情報結晶を眺めている。


「ああ。今日の査定が楽しみだ」

俺も自然と笑みがこぼれる。


今日の探索で、チームとしての役割分担がはっきりと見えてきた気がする。


- サクラ:物理戦闘のメインアタッカー。魔物も野生動物も、彼女がいれば安心だ。

- レオ:技術面での完全なサポート。鍵開けから武器開発、そして盾役までこなす万能選手。

- ミオ:対魔物戦闘のスペシャリスト。彼女の精神干渉魔法は、まさに切り札だ。

- 俺:……情報探知と、結晶化担当?


あれ、俺だけ立場が弱くないか?まあ、プリエスがいるから探知と結晶化の効率は誰にも負けないけど……。なんだか、みんなのすごい能力を目の当たりにすると、少しだけ肩身が狭い。


「これなら、継続してやっていけそうだね!」

サクラが明るい表情で言う。


「でも、今日はたまたま運が良かっただけかもしれない」

ミオが慎重に付け加える。


「そうかもしれないけど、でも、手応えは感じたよ」

レオが力強く言った。


『ハルト、良いチームができそうですね』

プリエスが満足そうに言う。


『ああ、俺もそう思う。みんな専門分野は違うけど、だからこそ、うまく連携できた』


帰りの車の中で、俺は未来への確かな期待を感じていた。一人では限界があった。でも、四人なら……もっと遠くまで、もっと深くへ行けるかもしれない。


「また来週も、みんなで一緒に行こう」


俺の言葉に、三人が力強く頷いた。

窓の外では、雨上がりの空に、大きな虹がかかっていた。

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