第8話 生理前のカオスカーニバル(PMS編)

「……あーーもう!!」

柚葉は自室の机の前で両手を広げた。

夜の十一時。締め切り前のレポートはWordの白紙画面のまま。カップラーメンのフタは半分開いたまま。

目の前には、食べかけのポテトチップスと、何度も温め直したホットミルク。


「いや、なんで今日に限ってやる気ゼロ? 頭はモヤモヤ、胸はズーン、顔はパンパン……なんかもう、全パラメータが下がってない?」


部屋の中は湿度60%。加湿器がぽこぽこと音を立てているのに、気分は乾いて重い。

しかも、夕方から謎のイライラが止まらない。


スマホの通知音が鳴るたびに心臓がドクッと反応する。

「え、なに? 返信遅いって思われてる? ……いやいや、そんなこと考えてる時点でめんどくさい女では?」

頭の中で自分にツッコミを入れるが、虚しく響くだけだった。


(これ……生理前ってやつだよね。理屈では分かってても、感情が全部バグってる……)


柚葉はベッドに突っ伏した。

「……脳内、カーニバル開催中。司会は“イライラ”で、ゲストは“涙腺崩壊”と“自己否定”って感じ……」


目を閉じた瞬間、世界がぐにゃりと揺れた。

気づけば彼女は、巨大なサーカス会場のど真ん中に立っていた。


頭上にはカラフルなライト。けれど音楽はどこか不協和音。

観客席には、同じ顔をした柚葉が何十人も座っている。それぞれが「ムカつく!」「悲しい!」「やる気出ない!」と叫んでいた。


「うわ……脳内フェス、まさかの私ソロ出演?」


中央のステージに、真っ赤な髪を振り乱した女性が立っていた。

鋭い眼差しとしなやかな動き。彼女は剣を抜き、空気を切り裂くように叫ぶ。


「私は“肝”。気を巡らせるのが役目。でも今は滞ってる。気が上がって、怒りが爆発しそうだ!」


ステージの照明が強くなり、会場の空気がピリピリと緊張する。

柚葉はおそるおそる尋ねた。

「え、それPMSの原因ってこと?」


肝はうなずく。

「そうだ。気がうまく巡らないと、情緒も血も停滞する。だから胸が張り、心も重くなる」


その時、頭上からピエロのような声が響いた。


「はっはっは〜〜!! カーニバルの主役はこの俺様だ〜〜!!」


ステージ上に飛び込んできたのは、カラフルな服を着た男。

顔は真っ赤で、口だけやたら大きい。

「俺様は“血熱(けつねつ)”! お前らの中でドロドロ煮えたぎる情熱の化身! イライラ、のぼせ、吹き出物――全部俺のステージ演出だ!」


「……いや、そんな演出いらないんだけど!!」

柚葉は思わず突っ込んだ。


肝が剣を構える。

「血が熱を持つと、私の剣も暴れる。巡らせたいのに、炎が邪魔をするんだ!」


火花が散り、サーカスの照明が暴走しはじめた。

観客席の柚葉たちは混乱し、泣き出す者や怒鳴る者もいる。

まるで自分の感情のバグが、舞台化して暴走しているようだった。


その時、幕の後ろから白い衣をまとった女性が現れた。

柔らかな笑みを浮かべた彼女――脾だ。


「落ち着いて。暴れた気は、甘みと温かさで鎮められるの」


彼女の手から、ふわりと香ばしい香りが広がった。

淡い茶色の液体が入ったマグカップが柚葉の目の前に差し出される。


「これ……? カモミール?」


脾は頷いた。

「そう。手軽に飲めるけれど、立派な薬膳。胃を休めて、気をなだめる。夜の甘いハーブティーは“巡り”を整えてくれるわ」


香りを吸い込んだ瞬間、柚葉の肩の力が少し抜けた。

「……確かに、なんかホッとする……」


すると、青い衣をまとった人物が歩み出てきた。

「私は“肝”を支える“友”だ。ハーブなら“レモンバーム”や“ラベンダー”も良い。気を巡らせ、心を静める」


ステージの照明が少しずつ落ち着いていく。

血熱の男は舌を鳴らした。

「チッ……そんなもんで、この俺様が静まるかよ!」


だが、その時。

甘い香りとともに赤い果実が宙を舞った。


「棗(なつめ)……?」柚葉が呟く。


脾が微笑む。

「そう。棗は血を補い、心を穏やかにする。手に入るならドライフルーツでもいい。甘みは“安心”を呼ぶの」


棗の香りが空気を包み、赤い光が血熱の周りを覆う。

「うぬぬ……! 甘すぎて……力が……抜けるぅぅ!」

男はぐにゃりと崩れ、カーニバルの照明が静かに消えていった。


舞台の中央で、肝が剣を鞘に戻す。

「……巡りが戻った。これで血も気も落ち着く」


柚葉は深呼吸をして、胸の詰まりが少し和らぐのを感じた。

「そっか……イライラって、気の渋滞だったのか」


脾が微笑む。

「そう。甘いものを少しだけ、そして休息を。自分を責める代わりに、体をいたわって」


ふっと景色が揺れ、気づけば柚葉は自分の部屋のベッドに座っていた。


机の上には、昨日スーパーで買ったカモミールティーのティーバッグ。

湯気を立てながら、優しい香りを漂わせている。


柚葉は一口飲み、ほっと笑った。

「……高級漢方はなくても、これで十分効く気がする」


レポートの進捗は相変わらずゼロ。

けれど、胸の奥のイライラは不思議と軽くなっていた。


「よし。次のレポートタイトル、“情緒の渋滞とその解消法”にしよっかな……」


夜のカーニバルは終わり、柚葉の部屋には静かな香りだけが残った。

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