第28章 喪失

 【読者の皆さまへ】

 お読みいただき、誠にありがとうございます。


 ・一部[残酷描写][暴力描写]があります。


 ・この作品は過去作「私立あかつき学園 命と絆とスパイ The Spy Who Forgot the Bonds」のリメイクです。

 ・前日譚である「私立あかつき学園  旋律の果て lost of symphony」の設定も一部統合されています。 https://kakuyomu.jp/works/16818622177401435761 

https://kakuyomu.jp/works/16818792437397739792


 ・あえてテンプレを外している物語です(学園+スパイ映画)


 以上よろしくお願いいたします。



【本編】

 ――理事長室。

 

 雨音が窓を叩き、赤いモニターランプが規則正しく瞬いていた。


 ストレッチャーの上で、かすかに佑梨の指が動く。

「……んん……」

 渡瀬が息を呑み、すぐに駆け寄る。

「佑梨ちゃん……!」


 瞼が開き、ツインテールが揺れる。

 佑梨は体を起こすと――。

「あー!よく寝た!」

 両腕を大きく伸ばして、元気いっぱいに飛び跳ねた。


「……っ!?」

 天美と志牟螺、そして渡瀬までもが言葉を失う。

「な、なに……?」

 志牟螺の目が細まり、天美の眉がぴくりと動く。

 

 渡瀬が恐る恐る声をかける。

「佑梨ちゃん……大丈夫なの?」

「ん?」

 佑梨は首をかしげ、周囲を見回す。

「……ここは?それに――おばさん誰?」

 その視線は天美に向けられていた。


「……なっ!」

 天美の顔に怒気が走る。

 渡瀬は愕然とした表情を浮かべる。

「……記憶が……ない?」

 志牟螺が低くつぶやいた。

「ふむ……どうやら“記憶喪失”のようですな」


 天美の拳が震えた。

「ふざけるな……!こんな時に!」

 渡瀬は困惑の中で、佑梨の笑顔を見つめる。

「佑梨ちゃん……本当に……?」


 佑梨は屈託のない笑顔を向ける。

「佑梨――バイオリンの練習しないと!」


 一同の視線が佑梨に注目する。

「バイオリン……?」

「まさか――」

「その記憶は……あるの?」


 佑梨が不思議そうな顔を浮かべる。

「佑梨のバイオリン知らない?」

 そして、一同を見回した。


 そこで天美の口角が跳ねた。

 邪悪な視線を向け、小さくつぶやく。

「ほう……これはケガの功名かもしれんな」

 そして、ゆっくりと佑梨に歩み寄る。


「おばさん?」

 佑梨は目の前に立った天美を見上げた。

 疑問を抱く事のない、無垢な少女の顔を浮かべていた。


 天美は膝を突き、笑顔を作った。

 そして、佑梨と目を合わせ、ゆっくりと口を開く。

「そうね。練習をしないとね」

 だが、その眼は笑っていなかった。

 そこで、渡瀬に視線を向ける。

「渡瀬先生?指導をお願いできるかしら?」


 渡瀬の顔に恐怖が浮かんだ。

 うっすらと顔が汗ばみ、冷や汗が伝う。

「は……はい――」


 天美は笑顔のままうなづくと、佑梨に視線を戻した。

「ふふふ、あの先生があなたに教えてくれるわ」

 佑梨が笑顔で天美に問いかける。

「お願いします!バイオリンは?どこで練習するの?」


 すると、志牟螺も作り笑顔を佑梨に向ける。

「そうだね。誰にも邪魔されない所を用意しているよ。バイオリンもね……」

 天美はうなづき、懐からスマホを取り出した。

 そして、指を滑らせる。


 ――ゴゴゴゴゴ……。


 すると、理事長室の壁が重い音を立ててスライドした。

 その奥にはエレベータの扉が出現した。


 佑梨が笑顔で応じる。

「あの部屋?」

 天美がうなづく。

「そうよ、そこにバイオリンもあるわ……一緒に行きましょう」

「はい!」


 そして、4人はエレベータに乗り込む。

 ほどなくエレベータが動き出す。

 

 その室内で、渡瀬は呆然としていた。

「佑梨ちゃん……どうして――」

 志牟螺が天美に耳打ちをした。

「症状から見て――記憶喪失と……事故のショックによる幼児退行かと思われます」

 天美が冷静な顔で応じた。

「なるほど――だが、演奏はできるのか?」

 志牟螺が目を細めてうなづく。

「記憶喪失でも、長年行ってきた行為は――本能的に残存しているケースが多いです」

 天美がうなづいた。

「ならば……ちょうど良い――ダメなら切り捨てるまでだ」


「……」

 渡瀬はただ黙ってそのやり取りを聞いていた。

 顔には焦りと迷いがにじみ出ていた。


 佑梨は無邪気な笑顔で問いかける。

「どこに行くの?」

 天美が作り笑顔で応える。

「地下研究所よ。あなたの演奏をゆっくり聞くためのね」


 佑梨は満足そうな笑みを浮かべた。

「ケンキュウショ?良くわからないけど楽しみ!」

 

「……やはり、精神に障害が起きているな――」

 志牟螺が小声でそうつぶやいた。


 佑梨は屈託のない笑顔で応じる。

「楽しみだなー!早く練習したーい!」


 渡瀬は佑梨に視線を向けたまま、無力感を感じ始めていた。

「こんなことになるなんて――私……」



 ――ギュルルルルル……。



 降下を続けるエレベータ内――異様な沈黙が流れていた。


 ――エレベータが降下する重い音。そして、佑梨の無邪気な笑い声だけがこだましていた。


【後書き】

 お読みいただきありがとうございました。

 是非感想やコメントをいただけると、今後の励みになります。

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