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食堂の中は、ひんやりした空気に包まれていた。志保が庭に面した大きな窓の前に立ち、壁にある解錠ボタンを押す。電子錠がモーター音を立て、ガラス戸がゆっくりと横に滑るように開いた。軽井沢の秋の風が吹き込み、乾いた葉の匂いが鼻をかすめる。
エラがその窓へ近づき、腕に抱えたワトソンのぬいぐるみをぎゅっと握る。金とピンクのツインテールの髪先が風にそよんでいる。
「風が冷たくてキモチい~~やっぱ寒いな」
そう言って小さく身震いし、勢いよく窓を閉めた。バン、と音が響き、電子錠が自動で施錠される。
彼女が振り返った先には、壁際に立っていた僕の姿があった。
「あれ? 神谷っち、なんでまだいんの?」
「別に……一日で犯人の証拠をつかむなんて言われたら」
僕はできるだけ平然を装って答える。
僕たち――僕こと神谷と、志保、明日香、エラ、そしてワトソンはキッチンから再び食堂に戻っていた。
この別荘のセキュリティについて確認したいとワトソンが言ったのだ。
エラが僕を横目にふふんと笑う。
「手柄横取りしようとしてる?」
「しないよ! できるわけないからね! そしてそのとき、君がどういう顔するのか、見てやる。刑事さん助けてくださいって頼んでも教えないから」
「大人げな~い」
むっ。今のは完全に図星を突かれた気分だ。
……カッとなってついてきちゃったけど、僕は何をやってるんだ? 本当に大人げないかもしれない。
「セキュリティは電子錠。おそらく開閉センサーもついているだろう」
ワトソンが唐突に分析を口にする。
「そうです。この別荘はセキュリティを売りにしていたそうです。あとはスマート……忘れてしまいましたが、他にも売りがあったような」
志保が記憶を探るように答える。
僕は腕を組んで壁にもたれたが、落ち着いているように見せかけて足先はせわしなく動いていた。
「まず、堂島康介氏の遺体が発見された時の状況を確認したい」
ワトソンが続けるが、志保は頬に手を当てながら明らかに戸惑っている。
「あ、え、ごめんなさい……詳しい事は覚えてなくて」
「まじ? 志保っち、この別荘自体来たことない?」
「今日が2回目で……。1回目は警察の現場検証のときに、関係者みんなで集まったのよ。そのとき確かに説明を聞いたんだけど……ごめんなさい、詳しくは」
やれやれ……やっぱり僕の力が必要そうだね。ここは刑事として説明してあげてもいい。でも、その前に江野良エラ、君が僕に頭を下げるなら、だ!
心の中で叫びながら、僕は無言で彼女を指さした。が、エラも志保もまったく気づかない。
「ワトソン!」
「ニュース記事を検索している……ふむ、では説明しよう」
「うっそ!?」思わず僕は叫んだ。
「なんか言った?」
「なにも!」
エラから慌てて視線をそらし、僕は背中を向ける。何をやってるんだ? こんなことに付き合ってないで、とっとと署に戻ればいいものを……自分でも、なぜこの場にとどまっているのかわからない。別にエラの泣きっ面を本当に見たいわけではないと思う。かといって一日でこの事件が解決するなんて……まさか。僕は力なく、食堂の椅子の一つに腰かけた。
「警察発表によれば、この別荘は十年ほど前にリゾート開発の会社が売り出したものだ。そのうちの一棟を堂島康介氏が購入したと思われる」
「あ、そうです。思い出しました。確かにそう仰ってました、あの方が」
志保が頷き、ちらりとこちらを見た。僕は椅子に深く座って、指先だけで机をとんとん叩いていた。
「確認感謝する。この別荘は新しい建物で、売りは最新のスマートホーム技術だったようだ」
「そう、それです!」
「スマートホームってなんなん?」
「別荘内の家電の動作状況、水の使用、玄関や窓など全ての電子鍵の施錠状況をリモートで把握することができるようだ。もちろん、セキュリティに異常があれば警備会社に連絡がいく。オンラインで完全管理された新時代の別荘……と開発会社は謡っている」
さすがワトソン君は優秀だなあ。僕に謝った上で聞いてくれたら説明ぐらいはするのに、全部答えちゃう。
「すっげー! それって全部スマホでわかるってこと?」
「エラちゃん、スマートホームはスマートフォンとは異なるんだよ。もっとも、リモート用のスマホアプリはあるようだが」
「よくわかりますねえ」
手の平の上のぬいぐるみをエラと志保と明日香が見つめている。志保は感心しきりといった様子だ。
なんだろう、この一人だけ輪に入れていない感じは。
「ホームページに記載があるし、スマホアプリのオンラインストアにアプリが公開されている。エラちゃん、これだよ」
「お、すご~い!よくわかんないけど」
エラのスマホ画面に映っているのは、電気使用量やエアコンの稼働状況を示すアプリの広告画像だろう。
「リモート監視の最大のメリットは、普段は利用しない別荘の状況を知られることにある。電源の消し忘れ確認、凍結防止の水放出、事前の暖房操作なども可能だ」
「いいなー。うちの事務所にも欲しい。お兄、いっつもエアコン消し忘れるから」
「そうだな。今年のエアコン消し忘れは13回あった」
「そんなに? うっかりさんだなあ、お兄」
「ちなみにその内の10回はエラちゃんだ」
「うそ!? うそだよー!」
「そうだな。カウントを間違えたかもしれない」
ワトソンはあっさりと引き下がった、というよりこれがAIの寄り添いってやつか。データに厳しいと思ったら、こういう事実関係はあっさり曲げるのか。エラはエラで納得して笑っているし。
「先ほどの窓の様子から見ても、セキュリティはしっかり機能しているようだな」
「そうですね。別荘の管理会社の方、康介さんの遺体が発見されるまで異常はなかったと言っていた記憶があります」
僕は二人の会話を盗み聞きしながら考える。ここまでの情報は正確だ。新聞の記事や、別荘の管理会社のホームページでわかる情報。問題はここからだ。そう、この事件はここからが問題なのだ。
「事件が発覚したのはおよそ二か月前、九月十一日の昼だ。管理会社の社員が訪問し、浴室でミイラ化した遺体を発見したとある。これは後に堂島康介氏の遺体と警察が断定し、発表している。……最初の発表では事件事故の両面から捜査中となっているが、堂島康介氏の遺体と断定されたというニュースでは殺人の疑いが強いとなっている。検死解剖の結果で何かわかったのかもしれない」
ふむふむ。その通りだよワトソン君。ただ記者発表用の情報は一般向けに薄められている。
「えー?志保っち覚えてる?」
「えっと……確か……浴室で見つかったとか」
「ミイラ化していたというが、どのような状態だった?」
「それは……ううん……聞いた記憶はあるんですけど、難しい用語が多くて」
「ちゃんと説明しなかったんじゃない?神谷っちが」
ちょっと待て。なぜ僕のせいになる。
「遺体は浴室で、ビニールシートにくるまれた状態で発見されました」
僕は思わず声を出した。二人の視線が一斉に僕へ向く。だが、僕は目を背ける。
「説明はしましたよ。黒瀬さんはじめ全員に」
「ごめんなさい……」
「別に黒瀬さんを責めてません。僕のせいにされると困るだけです」
「ミイラ化していたというが、死亡時期は?」
ワトソンは僕に話を聞く方針に切り替えたようだ。やれやれ、志保に説明させるのも忍びないし、代わりを務めるか。
「乾燥のせいで一部がミイラ化し、一方では一部が蝋化していて……これのせいで時期の判断が難しい。浴室のドアは開きっぱなしで、エアコンは内部、遠隔どちらからも操作できる……最低でも半年以上は経過した遺体、というのが警察の判断。何年前かまではわからない」
エラが真顔で僕に近づく。思わず身構えた。
「な、なんだよ。文句あんの?」
「神谷っち、いいじゃん。あんがと」
ぱしん、と音を立ててハイタッチ。……え? 何これ。僕は思わず右手のひらを見下ろしてしまった。
「べ、別に……君のために言ったわけじゃ……」
「ありがとうございます。助かります」
志保が微笑みを添える。僕はブスっとしながら小さくうなずいた。……こんなとき、どういう顔していいかわからない。
「疑問がある。神谷刑事は今、『何年前かまではわからない』と言った。被害者の遺体は年単位で放置されていたということか?」
ああ。ついに来たか。志保が眉根を寄せている。
「あ……そうですね……何と言ったらいいんでしょう? これがこの事件の不思議というか、おかしなところで……」
志保とエラが同時に僕を見た。僕は大きくため息をつく。
やはりこの事件を調べる以上、この事実は避けて通れない。警察がなぜ二か月も犯人を示す証拠すらあげられないのか、その理由、この事件の最大の問題。
「はあ……わかりましたよ」
僕は椅子から立ち上がり、ずんずんと歩いてエラの前に立つ。
「さっきそこのワトソン君が説明したように、この別荘はリモートでドアや窓の出入り、家電の動作状況は常に監視されていて、管理会社に記録も保管されていた。そして、堂島康介氏がこの別荘に入った……いや、こもった日は、死体が発見される前から数えて何日あったと思う?」
「え?クイズ?」
「まあそうなるかな」
僕は腕組みしてエラを見下ろす。このクイズに正解できたら大したものだ。
「ピンポーン! 一万日!」
「30年ぐらいあるよ! 別荘すら建ってない!」
「ワトソン、ぶっぶーだった」
「残念だったな、エラちゃん」
少しでも茶目っ気を出したのが間違いだった。このコンビといると、どうも調子が狂う。
「1351日」
「え?」
エラの金とピンクの混ざったツインテールが小刻みに揺れる。さすがに飲み込めないようだ。
「堂島康介氏が別荘に入ってから遺体が発見されるまで、1351日間もあった。その間、ドアや窓が開けられた記録は一切ない。信じられるかい? つまり、そんな長期間、康介氏は一歩も別荘を出ていないし、外部から誰も入っていないことになる。だから死亡推定時期は、半年以上前から事件発覚の1351日前……享年は65歳から68歳で揺れている」
「1351日って……何日?」
1351日です。
「1351日間。年に直すと三年半を超えるな」
「うちが高校行ってたときからじゃん! そんなに引きこもってたの、あのおじさん?」
「君、そんなに若いの!?」
思わず口をついて出る。
「十九っす~」
彼女はギャルピースを決めて見せる。……まじか、若いとはいえ、まさか十代だったとは。これではバイトの大学生だ。
「いわゆる密室……それも超長期間の密室だったということか」
ワトソンが尋ねる。僕は腕を組んで深く頷く。
「そう……超長期密室……これがこの事件の一番の謎なんだ……」
僕が腕を組むと、エラがワトソンを小突いた。
「あ、出た~。ワトソンさ、密室とかいきなり言い出すの、ミステリー小説の読み過ぎね。うちら使わんから、そんなん。やっぱお兄がミステリオタクだから?」
「え」
今、俺も巻き添えでオタクって言われた? 確かにミステリー小説とか、子供の頃はよく読んでたけど。刑事になって密室とか担当したことはない。でも探せば実際にどこかにあったりするんじゃないか……とひそかに期待していた。いざ自分の担当になったら泣きそうな僕がいる。
『そうだね。私は所長が開発したAIだから、実際の犯罪記録や捜査手法だけでなく、ミステリー作品の情報も多く学習している。気を付けるよ』
「でもそういうとこ、AIっぽくなくて好き」
『ありがとうエラ。私もそのままの君が好きだよ』
「や~ん♡」
エラはぬいぐるみにほおずりして甘えている。……男女のカップルなら……あまり品は良くないが、乳繰り合っているという言葉がぴったりだ。
「仲が良いのね」
志保が柔らかく微笑む。
「うん♡」
エラが即答する。
「神谷刑事。殺人と警察が断定しているということは、自殺の可能性はないのだな」
「いい質問だねワトソン君。警察はそう判断している。理由は二つ」
僕は指を二本立てた。次の瞬間、エラが腕を出してきて、僕の指を握りつぶす。人差し指と中指の関節をすりつぶすような鈍い痛みが走り、僕は声も挙げられず飛び上がった。
「いっ……だっ……!!! あんで?」
「ワトソンを君付けしないでくんない? なんかうちのお兄っぽくてやだ」
僕は指をさすりながら歯噛みした。どういう理由だ。それで指を握りつぶす理由になるのか?でも彼女のお兄さん、江野良探偵事務所の所長……気が合いそうな気がしてきた。
ワトソンが一連のやり取りなどなかったかのように話を進める。
「理由を聞きたい。続けてくれ」
「わかった。もうここまできたら乗りかかった船だ。言えることは言う。一日で犯人が堂島翔だと証明できるならしてみなよ」
「いいじゃ~~ん。見てろよ~」
エラは突然シャドーボクシングを始めた。
「シュッシュッ」
口で言うのか。
「エラちゃん、脇が甘いぞ」
志保が安堵のため息をつき、僕は頭をかいた。
「じゃあ」
そう言いつつ、僕は食堂のドアを振り向く。
「遺体発見現場に行くか」
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