第21話 再会と異形

野営の跡を見つけてから、三時間ほど進んだ。


ルシアンの左目の魔眼は危機に対して自動で発動するが、魔眼に力を注ぎこむようなイメージを意識した。


ベニード司教が言っていた『魔眼の進化』、すなわち自分以外の対象の危機察知と、未来視ができるようになる方法を常に考えていた。


前者は、そのベニード司教の命の危機を見るという形で一度体験している。あとは方法を確実にしたいところだ。後者は本当に出来るのかも含めて分からない。


ただ、イリス・クレナと戦った時、あの女は戦いの最中に自分の魔眼に魔力が集まっていると言っていた。


あの女の言葉という点は腹立たしいが、自分が魔眼に力を注ぐイメージは魔力を集約することに繋がっているのかもしれない。他に方法を知らないのでやるしかないのだった。


とにかく魔眼で危険を避けながら進む。


クレアたちは、周囲に最大限の警戒を払いながら慎重に進んでいるはずだ。

魔眼で無駄な警戒を省ける自分の方が早いからこそ、数日のアドバンテージを縮めた理由に違いなかった。


ノクスラントの奥地は、荒野から一転して鬱蒼とした森林地帯に変わっていた。背の高い木々が密集し、陽の光がほとんど差し込まない。湿った空気と、腐葉土の匂い。


毒々しい紫のまだら模様の花が、花弁に開いた口で小さな蛇のような生き物を消化している。食虫植物のようなものだろうか……。


(グロテスクだな)


魔物や魔獣だけではなく、植物すら危険な場所。

人という種族を忌避しているように思えてくる。


ルシアンは右手でダガーを構え、枝や背の高い植物を切りながら進む。

障害物を排して視界を確保することと、帰り道を見失わないための工夫だ。


丁度胸の高さにある太い枝を屈んでくぐった瞬間――魔眼が警告を告げた。

赤い死の軌跡が、喉元に迫る。


咄嗟に右手のダガーを縦に構え、喉を守る。


『ギィン!』という金属音と共に、ルシアンはダガーで受けた衝撃を殺せずに後方に倒れ込んだ。


(まずい、早く立ち上がらないと!)


焦るルシアンが立ち上がるより先に、攻撃者が、太い枝を足場に中空からルシアンに止めを刺そうと迫る。

その瞬間、相手の動きが止まった。


「……ルシアン?」


薄暗い木々の中でも間違えようがない顔、それに聞き覚えのある声。


クレアだった。

剣を構えたまま、彼女の琥珀色の瞳が、信じられないというように見開かれている。


「や、やあ、クレア。久しぶり」

もっと気の利いたことが言えない自分が情けない。


手紙を読んで、衝動的に追いかけてきた。それは事実だ。

でも、こうして面と向かうと、改めて気恥ずかしいことを自覚するしかない。


クレアは剣を下ろし、複雑な表情でルシアンを見た。

「……どうして、ここにいるの」

張りつめていた緊張が、少し緩んだようだった。驚きと、困惑と、かすかな安堵。


「クレアの手紙を読んだから」


「手紙を読んだからって……」


クレアは言葉を詰まらせた。そして、顔を背けた。


「その……団も違うし、無茶するのは、私たちだけで十分でしょう」

その声は、少し震えていた。


「だから、来たんだ」

ルシアンは立ち上がりながら言った。


「うちの団長には怒られるだろうけど、無茶をする時は、せめて俺も一緒にいたいなって」


クレアは何も答えなかった。ただ、少しだけ頬を染めて、髪を掻き上げた。そばかすの散る頬が、わずかに赤くなっている。


「クレア、後ろに誰かいたのか?」


前方から、低い男の声が聞こえた。


「副団長、大丈夫。知っている人だから」

クレアが答えると、木々の間から四人の男たちが現れた。


先頭にいるのは、片目に包帯を巻いた細身の男。ゴリアテやゲイルと同じく、長く戦場で生きてきた強者の風格がある。彼が副団長のギルフォードだろう。その後ろにも三人の男たち。


「知っている人、こんな場所でか?」

ギルフォードが、ルシアンを見た。鋭い眼光。片目を失っても、その威圧感は変わらない。


「サルタニアから王都への護衛依頼で一緒だった、ガーゴイル団のルシアン」

クレアが、ルシアンを手短に紹介した。


「その、はじめまして、ルシアンです」

ギルフォードは、しばらくルシアンを見つめた後、小さく頷いた。


「とりあえず、人間なのは間違いなさそうだ。俺はギルフォード、サイクロプス団の副団長をしている。お前さん、サルタニアからここまで、どうやって来た?」


「馬車と、徒歩で」


「一人で?」


「はい」


ギルフォードの隻眼が、鋭くルシアンを見つめる。

「……とりあえず、小休憩を取る。お前たちも少し休め」

ギルフォードの合図で、全員がその場に腰を下ろした。


「俺はアレン。よろしくな」

「ジムだ」

「フォードって呼んでくれ」


「あらためて、ルシアンです。ハイドさんに聞きました。皆さんがサイクロプス団の精鋭だって」

一人一人と軽い握手をする。


アレンは若く顔立ちの整った男だ。長髪をバンダナでとめている。ブロードソードとショートソードを二振り腰に帯びている。


ジムは頭髪がなく、顎髭が伸びているせいでかなり年長に見えた。両手持ちのバスタードソードを背中に背負っている。


フォードは休憩中も腰を下ろさず周囲を警戒していた。ショートソードに、投擲斧、投擲ナイフ、背中にはクロスボウを背負っている。


「それで、一応聞くが、ルシアンはクレアが呼んだのか?」

ギルフォードがクレアに揶揄うような目をむける


「そんな訳ないでしょ!手紙に書いただけよ」


「そうです、手紙を読んで、大変なことが起きてるのを知って、俺が勝手に追いかけてきました……もちろん実力が劣るのは分かっていますが、その待っていられなくて」


「…だ、そうだ。クレア、良かったな」


「そんなつもりで書いたんじゃなかったのに、もう…」


「そういえば…」


ルシアンは荷物から水袋を取り出した。二つ持ってきた水袋は、ルシアンが節約してきたので一が丸々残っていた。

「水、足りていますか?必要ならどうぞ」


ルシアンの言葉に、アレンが目を輝かせた。


「本当か!助かる!先の戦闘で、水袋が裂かれちまったんだ」


「破れた革袋、途中で見ました。遠慮なく飲んでください」


ジムが、苦笑しながら言った。ルシアンは、ジムの腕に包帯が巻かれているのに気づいた。包帯の隙間から、血が滲んでいる。


「その傷……血痕もありましたけど、負傷したのはジムさんだったんですね」


「ああ、不覚にもな。剣は触れるから心配しないでくれ」

ジムは笑ったが、表情に痛みが浮かんでいた。


ルシアンは荷物から小瓶を取り出した。


「ミドル・ポーションがあります。よければ使ってください」


「ミドル…いいのか?」


「ええ、ハイ・ポーションでなくて申し訳ないのですが」


「いや、ありがたく使わせてもらうぜ」


ジムは礼を言って、ミドル・ポーションの小瓶を受け取った。栓を開け、半分ほど傷口に垂らすと傷が、みるみる塞がっていく。残りの半分は飲み干した。


「おお、効いてる。ありがとうな、坊主」


ギルフォードが、ルシアンに尋ねた。

「ルシアン、どうやって俺たちに追いついた?俺たちは十日は前にカーレストからノクスラントに入った。お前がどんなに急いできたとしても、数日は遅れて入ったはずだ。悪いが、お前がそこまで熟練のレンジャーには見えん」


鋭い指摘だ。


ルシアンは、精鋭たちの前では自分がまだ未熟だと見抜かれている。


クレアが、心配する様にルシアンを見た。彼女は、ルシアンの魔眼のことを知っている。そして、それを隠していることも知っている。


だが、ルシアンは決めていた。ここまで来て、隠しても意味がない。


「俺には、特別な眼、魔眼があります」

全員の視線が、ルシアンに集中した。


「危険を察知できるんです。死につながる事象、自分に向けられた殺意や、致命的な攻撃の軌道が、赤い光として見えます。危険の度合は赤の濃淡で分かります」


「……おまえ、魔眼持ちか」

ギルフォードが、低く呟いた。


「それで、無駄な戦闘を避けながら進んできました。だから、追いつけました」


「なるほどな、余計な警戒をしなくていいのは便利だな」

ギルフォードは納得したように頷いた。


「あと、最近、もう一つ変化があって、他人の危機も察知できる……かもしれません」


「かもしれない?」


「一度だけ、護衛対象の危機を察知できたんです。でも、他の人で再現できるかは分からなくて。あとは複数人を同時に対象にできるかも、まだ分かりません」


「自分の命の危機が見えるのは間違いないんだな」


「はい、それは間違いありません。先ほども魔眼がなければ俺の首は飛んでました」


「な!こんなところに人がいるなんて思わなかったし…でもごめん。謝ってなかったね」


「こちらこそごめん、無事だから気にしないで」


うなだれるクレアに苦笑するルシアン、その二人をみてギルフォードは、しばらく考え込んだ。


「なら、ルシアン、頼みがある」

ギルフォードが改まってルシアンに向き合う。


「俺と一緒に、前方を警戒して進んでくれないか?本当に危険を察知できるなら、かなり時間を短縮できる。無事にカーレストに戻れたら金貨十枚を払う。どうだ?」

ギルフォードは、片目でルシアンを見つめた。


「先頭を歩くのは承知しました。でも金は要りません、俺が、勝手に来ただけなので」


「お前は傭兵だろう?報酬は働きへの期待であり、信頼の形だ。金は要らないなんてやつは信用されんぞ」

クレアや他の面々がギルフォードの言葉に頷く。


「分かりました、報酬の分、全力で働きます」


―――――――――――

休憩を終え、一行は再び進み始めた。


今度は、ルシアンとギルフォードが最前列を歩く。その後ろに、アレン、ジム、フォード、最後尾にはクレアと続く。


ルシアンは先ほど同様、左眼の魔眼に力を集中するイメージを強める。正しく発揮されるかわからないが、『身に降りかかる危険を全て察知してやる』そんな気持ちを魔眼に込めた。


三十分ほど進んだ時、魔眼が赤い光を捕らえた。


「左前方、何かいます」


ルシアンが小声で言うと、ギルフォードが手を上げて全員を止めた。

森の木陰から、ワーグが三頭現れた。しかし、ルシアンたちには気づいていない。


「回り込むぞ」


ギルフォードの指示で、一行は静かに迂回した。ワーグたちは、気づかずに去っていった。


「なるほど、これは便利だな。風向きに気を付ければ魔獣の類との交戦は避けられそうだ」

ギルフォードが、小さく笑った。


さらに一時間ほど進んだ時、再び魔眼が反応した。


「右、二時の方向、肉眼でも辛うじて見えますが……恐らくオーガです」


「数は?」


「光の数から一体です」


「はぐれか?避けるぞ」

またも、戦闘を避けることができた。


ギルフォードが、感心したように言った。

「この短時間で二度戦いを避けられた、凄いなお前の魔眼は」


ルシアンは、ギルフォードの包帯を巻いた目を見た。

「ギルフォードさん、その右目……治す方法は、ないんですか?」


ギルフォードは、少し苦笑した。

「薬や治癒魔術ってのは、基本的に人の治癒力を促進するもんだ。自然治癒しないもんは、どうしようもない。団長の左腕と一緒でな」


「ゴリアテさんも隻腕ですね…」


「ああ。ゴリアテ団長も、昔の戦いで左腕の肘から先を失ってる。それでも大陸最強の傭兵と言われてる。俺も、片目くらいで弱音は吐かんさ」

ギルフォードは、力強く笑った。


和やかな行軍ではない。だが、ルシアンがいることで、確実に歩みが早くなっている。


「お前がいてくれて、本当に助かってるぜ」

アレンが、後ろから声をかけてきた。


「無駄な戦闘を避けられるってのは、こんなにも楽なのか」

ジムとフォードも頷いた。


クレアは、何も言わなかったが、時折ルシアンの背中を見つめていた。その琥珀色の瞳には、複雑な感情が浮かんでいる。


不気味な植物も群生している鬱蒼とした茂みを抜けると、一気に視界が開けた。

直径二十メートル程度の濁った水場だ。

灰色の水が、静かに淀んでいる。周囲には、枯れた木々が立ち並んでいる。不吉な静寂が、辺りを支配している。


ルシアンの魔眼に濃い赤が映りこむ。

「正面、水場を挟んで向こう…何かいます―!」


ギルフォードが、緊張を帯びた声で全員に告げた。

「全員、かがめ、腰を低くしろ。あいつだ……」


水場の向こう側に、それはいた。


黒い皮膚。金色の目。

大型の犬のようにも見えるが、足が八本ある。何より頭がない。

器用に足を折りたたんで、座っている。


その代わり、体のいたるところに、目がついている。まるで無数の宝石が埋め込まれているように、金色の目が体中に散らばっている。


異形の生物。


ルシアンは、息を呑んだ。

これが異形。


化け物は、ゆっくりとこちらを向いた。

気付かれていないだろうが、体中の目が一斉にルシアンたちを見ているように思える


そして――

体の中央、腹の辺りが、縦に裂けた。


口だ。


無数の牙が並ぶ、巨大な口。

それが、笑ったように見えた。

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