第12話 サルタン教

王都に滞在して五日目。


ルシアンとクレアが『陽だまり亭』でシチューを食べた翌日。


朝早くから、ガーゴイル団が滞在している宿屋の中庭では、キンッ、キンッと金属同士がぶつかり合う、激しい音が鳴り続けていた。幸い、宿に逗留しているのはガーゴイル団のみだが、他の客がいれば苦情は必至だろう。


「もう一度!」


クレアの凛とした声が中庭に響く。

左右の手には、愛用のショートソードではなく、訓練用の『刃を潰したショートソード』を構えている。

薄い汗が額に浮かび、それが朝日を受けて真珠のように輝いていた。


「お願いします!」

ルシアンも同じく『刃を潰したロングソード』と実戦で使用しているラウンドシールドを構えて向かっていく。


しかし——


「甘い!」


袈裟懸けに振り下ろした剣は片手で易々と跳ね上げられた。


いなすでもなく、受けるでもなく、跳ね上げられたのは膂力の差だろう。

(神メイスとの共鳴…、あの細腕で反則みたいな腕力だよな)


「まだだっ!」


二刀のもう一方の攻撃を防ごうと重心を落として盾を構える。

だが、反撃は剣ではなかった。左側頭を狙った蹴りはルシアンを盾ごと弾き飛ばした。


地面を転がって立ち上がろうとした時、喉元に突きつけられる剣。


「負けだ……」


クレアに剣の稽古をお願いしてからもう一刻が経つが、今ので二十七戦・二十七敗。

一度もクレアに勝つことはできない。それどころか、剣をかすらせる事すらできずにいた。


「少し休憩しよっか。分かった気がするよ。思った以上にルシアンは魔眼に頼り切ってるね」


剣をおろし、クレアが髪を手で軽くかき上げる。その仕草で薄い肌着の上からでも分かるしなやかな腕のラインが露わになった。しっかりと鍛えられているが、男を凌ぐ膂力があるようには見えない。


「魔眼に頼り切る、ってどういう意味?」


「そうね、例えば敵に殺す気がなければ、反応鈍いかな。多分だけど、この訓練中私の攻撃は赤く見えなかったでしょう?」


クレアに殺意がないから魔眼が働かない。

素のポテンシャルだけで戦う中、それはルシアン自身も感じていたことだった。


「あと、すごく素直な剣かな。実戦だったら、相手は剣以外でも攻撃してくるでしょう?殴る、蹴る、目つぶし、近距離なら頭突きや噛みつき、遠距離なら石つぶてを投げてくることもあるかもしれない。持ってる得物で攻撃してくる事を前提にし過ぎているの……分かるよね?」


話しながらクレアは無意識に首や胸元の汗を拭う。汗はかいているがクレアに疲労の色はない。対して、ルシアンは呼吸も乱れ、汗だくだった。身体が重くなりはじめている。


「確かにそうかもしれない」

二刀の剣ばかりに目がいって、蹴り飛ばされた直前の失態を思い出す。


「あと、私やメリダさんみたいな女も、それなりに戦場にいるでしょ。ほらっ」

そういうと、左手で胸を持ち上げて谷間を強調する。


「なっ!」


どうしても、視線が吸い寄せられる。

その瞬間、右手の剣が首元にピタッとつけられていた。


「ほーら、分かり易い」

いたずらっぽい笑みを浮かべるクレア。


「それはズルいよ……いや、そういう事も気を付けなきゃいけない事は分かったけどさ」

気恥ずかしさも手伝って、顔をそむける。


これまでも、団でドノヴァン達に稽古をつけてもらう時も、戦い方が綺麗すぎると言われていた。


(弱いくせに、実力差を埋めるための必死さが足りないって事か)


「あとは、避け方が大きいね。魔眼が反応している時、危険な『赤』から安全な距離を大きく取り過ぎるから、反撃のテンポがどうしても遅いんだと思う。紙一重とまでは言わないけど、体勢を崩しすぎ」


「課題が山積みだな……」


あからさまに落ち込んだルシアンに『でも』と言葉を続けるクレア。


「悪いところばかりじゃないと思うよ。ルシアンはフェイントに引っかかりにくいと思う。私とサルタニアの闘技場で戦ったのをちゃんと思い出せる?」


「一生忘れないと思うよ。あの時のクレアは『深紅』に見えたんだけど、もしかして俺のこと殺すつもりだった?」


「あはは……大衆の見世物になるのにイライラしてたんだよね。私も力の半分しか、メイスとの共鳴しか使ってなかったんだよ。それに、素手だったじゃない?だから、もし相手が弱すぎて、運悪く死んじゃっても仕方ないかな……くらいは思ってた。その……ごめん!」


手を合わせて謝るクレア。


「笑えないなぁ……」


といいつつも、苦笑するしかないルシアン。


野営中、クレアがメイスの力を使って、片手で石を握りつぶすほどの力を見せてくれた。

あの力をもってすれば、拳打も立派な武器だったわけだ。


「でも、仕方ないじゃない、こんな風に一緒に行動すると思わなかったしさ」


すねたように頬をふくらます。その表情が子どもっぽくて可愛らしい。


「それで、俺のいいところ?フェイントに引っかかりにくいってどういうこと?」


「最初は試合を直ぐ終わらせようと思って、結構本気で顔を撃ち抜きにいったの。あれを避けられると思わなかった。勘がいい相手なのかなと思って、フェイントを混ぜながら急所ばかりねらったの。それが当たりそうで当たらない。決めるつもりの打撃だけは絶対によけるの。勘だけじゃなくて、何か『見えてるな』って感じた。だから、身体の構造上、避けられない打撃を複数を増やして、最後は掴まえて投げたのよ」


「つまり、魔眼のおかげで本命の攻撃だけは見抜けるってことだよね?」


「そういうこと。実戦だと大きなメリットだと思うよ。でも、致命じゃない攻撃にも危機感を感じられるようにしないと、実力差がある敵に会った時に絶対困るよ。それじゃ、もう一本やろうか」


「お願いします!勝てなくても、せめてクレアに一撃当てるくらいまで追いつきたい」


「へえ、もし当てる事ができたら、何でも一つ言う事を聞いてあげるよ」


「言ったな!」


今日二十八度目の稽古が始まるのを、宿の二階からメリダが見下ろしていた。


「若いねぇ」


そう呟いて、思わず苦笑する。メリダも三十を越えたばかりの女盛りの年齢だ。

ただ、自分の半分ほどの年齢で、長年面倒を見ているルシアンに、弟というよりも息子に近い感覚を持っている事が我ながら可笑しかった。


ルシアンとクレアが、お互いの命を助け合い、拾い合い、憎からず想っているのは見れば分かる。


(敵と味方に分かれるなんて因果なことは無いといいねえ)


傭兵という、時に残酷な戦いを強要する稼業に、あの二人が苦しまない事を密かに願った。


――――――――

その日の午後、稽古を終えたルシアンとクレアは王都を散策していた。


結局、あの後数回たちあったが、一撃どころか攻撃をかすらせる事すら出来ず、どんよりと沈んでいたルシアンを、クレアが気分転換にと王都案内に誘ったのだ。


「あれが、サルタン教の大聖堂……」


ルシアンは巨大な建物を見上げて息を飲んだ。


白い石造りの壮大な建築物は、まさに王都のシンボルと呼ぶにふさわしい存在感を放っている。高くそびえる二本の尖塔は、天界の神へ祈りを届けようと両手を伸ばしているように見えた。


「ほんと、何回見ても、お金がかかってそうな建物よね」


クレアの感想は、とても好意的には聞こえなかった。


「まあ、サルタン教は国教だし、王都の大聖堂だからお金はかけてるだろうね」


「なんか、妙な圧迫感を感じて好きになれないのよね」


そう言われると確かに、建物の威容は素晴らしいが、どこか威圧的な印象も受ける。


教会騎士団と呼ばれる教皇直下の騎士達が大聖堂入口の左右に直立不動しているのも原因かもしれない。


大げさな言い方かもしれないが、信徒以外近づくことを許さない、神聖にして冒すべからざるという雰囲気。


「神サルタンは秩序の神だから、色々と厳格なのかな……」


(そういえば、襲ってきた盗賊達の中にはサルタン教徒がいたな)


懐に入れたままの、サルタン教の祈祷布と神サルタンの眷属『大精霊エルーシャ』の像。そして、最期に毒まで使って相打ちに持ち込もうとしたドーンという男は間違いなくサルタン教徒だろう。


「なんでサルタン教徒が盗賊団なんかやってたんだろう……」


「ルシアン、何か言った?」

クレアの声で、ルシアンは我に返る。


「ごめん、ちょっと考え事をしてた」


「ふーん、まあいいけど。ここは何か息苦しいし、広場の方にいきましょ!」


二人は大聖堂から離れ、王都フリードの中央広場に向かった。

噴水が、十秒に一度のペースで美しい水の傘を広げ、その周りを囲むように美しい花壇が設けられている。

王都の観光スポットに違いないが、意外なほど賑わいがない。


「王都には何度も来ているんだけどさ……来るたびに少しずつ、活気がなくなってる?違うな、元気がない?これも違うな……、なんか変な感じがするんだよね」


クレアが珍しく物憂げな事を言う。


「そうなの?俺はちゃんと王都を見て回るのは初めてだから分からないけど、落ち着いてる感じはするね」


もしかしたら、ルシアンは幼いころに公爵である父と『王都フリード』に来ていたかもしれない。

だが、物心ついてからは初めてやってきた王都だ。昔と比べてという比較ができない。


ただ……


「特にサルタン教の大聖堂は、綺麗な監獄って感じがしたよ」


半分冗談のように言ったつもりだった。

ただ、その言葉に小さく頷くクレアの表情が印象的だった。


「なんかね、王都の人々って、少し硬く感じるんだよね」


クレアが街行く人々を見回しながら呟く。


「硬い?」


「うーん、上手く言えないんだけど、それをするために何通りもの方法があるのに、一通りのやり方しか認めない頑固な感じ?やっぱり上手く言えないなぁ。あと、笑顔を浮かべてる人も多いんだけど、どこか作り物みたいっていうか……自然じゃない感じがするの」


ルシアンも改めて周囲を見回した。確かに、商人も職人も市民も、サルタニアと比べると整然としすぎていて、少し余裕がないような印象を受けた。


「クレアの言葉を聞いたから、そう感じてるだけかもしれないけど、何かに追われてるみたいだね」


「そう、それよ。急いでるわけじゃないのに、心に余裕がないっていうか」


「でも『陽だまり亭』のライラさんみたいな人もいるよね」


「そうね。だから余計に違和感があるのかも。あと……」


クレアは小さくため息をついた。


「なんか、この王都にいると息苦しく感じることが多いのよね。特に大聖堂を目にするといつもそう」


「サルタン教の大聖堂か……」


サルタン教徒だった盗賊たちのこと、そしてハーベットに感じた微かな危険の予感。


繋がるような、繋がらないような気持ち悪さ。

いずれにしても穴を埋めるカードが全く足りていないのは分かる。


「まあ、王都だから色々と窮屈なのかもしれないね」


「そうかもしれない。サルタニアの方が自由な感じがするもの」


二人は並んで街を歩き続けた。


ルシアンの左目に、時折微かな熱を感じることがあったが、明確な赤い光は見えない。ただ、漠然とした不安だけが心に残っていた。


夕日が王都を赤く染め始めた。明日にはガーゴイル団はサルタニアに戻り、クレア達七人のサイクロプス団は未開拓領域ノクスラントにいる本隊と合流するために移動する。

次に会えるのは、順当にいって半年後か一年後か。


「そろそろ宿に戻ろうか」


「そうね」


クレアが振り返ると、夕日を受けた赤銅色の髪が美しく輝いた。

この数日で、戦いの時とはまったく違う彼女の顔を沢山見た。


「今日は朝早くから稽古と、王都の案内、一日中ありがとう」


「ううん、早く私に一撃入れられるくらいにならないとね」


そう言っていたずらっぽく微笑む彼女の表情に、ルシアンは改めて鼓動が速くなるのを感じた。

明日、別れると、次にいつ再会できるか分からない。


この王都での数日はルシアンにとって大切な日々になった。

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