第4話 出発

翌朝、ガーゴイル団の食堂は慌ただしかった。


明日の出発を控え、各自が装備の最終点検を行っている。


「おい、ルシアン」


同じテーブルについた団員、ブロスが声をかけてきた。痩せているが引き締まった体つきの男で、ガーゴイル団では何でもこなす器用な傭兵として知られている。


「昨日、あのクレアと一緒だったんだって?」


「ええ、副団長の指示で。明日の護衛用の買い出しです」


朝食の黒パンを齧り、その固さに顔をしかめる。申し訳程度にベーコンが入った塩スープにパンを浸し、少しずつ食べる。


パン屋で買った蜂蜜入りのクッキーを美味しそうに食べるクレアの表情が思い出される。


(魔眼の色が変わったんだよな、あの緋色はいったい……)


——


魔眼…今から八年と少し前、七歳の誕生日の朝、ロス家の祠で祈りを捧げていたルシアンの前に、そいつは現れた。


ロス家の氏族が祀る『運命の神チェルダロ』の使い、ロダンと名乗る精霊は憐れなものを見るような瞳でルシアンを見つめていた。


神チェルダロの使いという突飛な言葉が本当か知るすべは無かったが、緑色の身体で頭髪がない小人のような外見…一見するとゴブリンの様にも見えるロダンに魔物のようなおぞましさは感じなかった。


ロダンは言った。


「ルシアン、お前死にたいか?」


あまりにも唐突な問いかけに、何を言われたか分からなかった。


「死にたく、ありません……」


「ああ、それは良かった。つまり生きていたいってことだよな。多少、辛い事があっても生きていたいって事でいいんだよな?」


妙な念の押し方をするロダンに戸惑いながらも、ルシアンはうなずいた。


「よし、じゃあ運命の弱い、分かりやすく言えは飛び切り『運の悪い』ルシアンに、生き残る為の魔眼を授けてやろう」


「まがん?」


「ああ、魔力を持つ目、魔眼だ。左目の方がいいな、眼をみせてみな」


ロダンに顔を向けると、ロダンは右の手のひらをルシアンの左目を覆うように当てた。

その瞬間…強烈な痛みと眼から血が噴き出したかと思うような赤!


「うぁぁぁぁ!!!」


七歳のルシアンは悲鳴を上げて地を転がるしかなかった。


「まあ、大丈夫だ直ぐになれる。ちょっと痛いだろうが我慢してくれ。もう七歳だろう?」


(いたい、いたいよ……)


ルシアンは左目の痛みに耐えるので精一杯だった。


「時間がないから、説明するぞ。お前はこのままだと早晩死ぬことになる。その魔眼で生き残れ」


「いき…残れって?」


「いいか、七歳のお前にも分かるように説明すると、その左目はお前に死をもたらす存在を赤い光で教えてくれる。薄い赤なら注意しろ。血みたいに赤い色が見えたら回れ右して逃げろ」


「そして…無事に十七歳まで生き残ったら、またこの祠にくるんだ、分かったか?」


痛みは収まりつつあったが、今度は凄まじい睡魔がルシアンを眠りに誘おうとしていた。ロダンの声が遥か遠くから聞こえるような感じがする。


「まあ、一気に魔力を放出したらそうなるか。いいか、寝る前にもう一度だ。赤は注意の色、十七歳になったらもう一度ここにくるんだ。チェルダロ様からの言伝、確かに伝えたぞ」


目覚めたルシアンの世界は文字通り一変した。


左目に映る様々なものが赤く見えた。


父が赤く、母も、使用人たちも——自分を取り巻く皆が赤く見えた。

そして、その三日後、ロス家は滅んだ。


——


「おーい、ルシアン、聞いてるか?」

ブロスの声で我に返る。


「ああ、ごめん、何だって?」


「クレア・ライネルとのデートはどうだった?」


「デートじゃないって」


ブロスは興味深そうに身を乗り出した。

「あの子は強いしスタイルもいい。しかもまだ発展途上だ。もっと美人になるぜ。ちょっと強すぎて、俺の好みとは違うのが残念だ」


「ブロスさんの好みって?」


「俺はな、可愛くて、守ってやりたくなるような女の子がいいんだ」


ブロスは遠い目をした。結婚願望はあるが特定の彼女はいない。女好きで頻繁に通う色街では中々にモテる。ただ、遊びと結婚は別だと考えている男だった。


「クレアも可愛いところありましたよ」


「ほう…聞かせろよ!?」


「……秘密です」


「ケチ臭いな~」


「当面は、合同依頼を共にこなす仕事仲間ですよ」


「違いない、遠目に見させてもらうとするよ」

ブロスは意味ありげに笑った。


「さて、年頃のルシアンと女の子の話をして過ごしたいところだが……」


彼は周りを見回した。他の団員たちが武器の手入れや装備の点検をしている。


「合同依頼の出発は明日だからな。色々と準備が必要だ。お前も装備の点検は済んだか?」

「ああ、そうだ魔術師対策で破魔石の矢を仕入れたんです。ブロスさん、持っててください」


破魔石の矢が入った矢筒を渡す。


「盗賊団に魔術師が混ざってるって話か。ふむ…確かに俺様は弓もかなりのものだが…」


ブロスは背中に背負ったクロスボウを軽く叩いた。


「半分だけ受け取っておくよ、残りの五本はルシアンが持て。俺ほどじゃないが、お前の弓も悪くはねぇからな。」


ブロスは矢筒から五本だけ矢を取り出すと自身の矢筒に仕舞い、残りは矢筒ごとルシアンに返した。


「よし、俺も準備に戻るか。お前も気を引き締めろよ。明日からが本番だ」


―――

翌朝、出発当日。


夜明けと共にルシアンは北門へ向かった。約束通り、小麦問屋と肉問屋の荷車が到着している。


「お疲れさまです」


問屋の親方達に挨拶すると、積み込まれた荷物を確認し始めた。小麦の大袋、塩漬け肉、その他の食材__全て注文通りに揃っている。


「ちゃんと千二百食分ありますね」


「当然だ。検品したらサインを頼むぜ」


荷物を確認していると、背後から声がした。


「おはよう」

振り返ると、クレアが立っていた。


今日は軽装の革鎧に身を包んでいる。

黒い革のビスチェの上に胸当てを装着し、腹部は相変わらず露出しているが、明らかに実戦用の装備だった。


腰には今日も愛用の二振りのショートソードが下がっている。


「おはよう。早いね」


「当たり前よ。今日から仕事なんだから」


クレアは山と積まれた糧食を見て頷いた。


「ちゃんと頼んだ分は揃ってる?」


「うん、問題なく揃ってる」


その時、遠くから馬車の音が聞こえてきた。地面を揺らすような重厚な響き。


「あれが……」


十五台の馬車が列を成してゆっくりと近づいてくる。先頭の馬車は商隊の指揮車、続く三台は糧食と装備品を運ぶ為の馬車だと聞いている。

そして、残りの十一台には商人と従者が乗り、今回の行商用の積み荷が満載らしい。


「圧巻だな」


「これから十日間、この馬車の隊列を守り抜くのね」


クレアの表情が引き締まった。傭兵としての顔になっている。


「こう長いと動きが制限されそうだね」


「でも、襲ってくる相手がいるなら攻撃ポイントも読みやすい。戦のイロハが分かってるなら隊列が間延びしたところを狙うでしょうね。」


(さすがは経験豊富な傭兵だな)


先頭の他と比べて豪奢な馬車から、ふくよかな中年男性が降りてきた。


絹の服に身を包み、指には金の指輪が光っている。

彼の姿だけでも、金に困ってはいない事は見て取れた。


「皆さま、お世話になります。私、今回の商隊の責任者でハーベットと申します」


丁寧に頭を下げる商人。メリダが代表として前に出た。


「ガーゴイル団副団長のメリダです。今回の護衛依頼、責任を持って遂行させていただきます」


「心強い限りです」


ハーベットのがクレアに向いた。

「もしかして、あなたは……」


「クレア・ライネルです」


「おお!傭兵王の娘君でしたか。これは実に心強い」


ハーベットが笑みを浮かべならが、メリダ、クレア、そしてドノヴァンと傭兵団の主要メンバーに握手を求めてきた。


「護衛よろしくお願いします」

ルシアンの番になった時、ハーベットが手を差し出してくる。


「こちらこそ、ガーゴイルのルシアンです。馬車に我々の糧食も積ませていただきますね」


「もちろんです。うちの若い者にも手を貸させましょう」


握手の瞬間——

ルシアンの左目に、薄い赤い光が走った。


(なんだ……?)

緋色とは明らかに違う。何十、何百、何千回と見慣れた死の暗示の色だ。

そして、ハーベット自身からルシアンへの害意は感じない。


彼の存在が、間接的に、自分の死に関わる可能性がある——そんな警告だった。


傭兵仕事で、魔眼が『赤い警告』をルシアンに伝えなかった事は無い。

大なり小なり危険と隣り合わせの稼業だから当然だ。


ただ…


(なんか、変な、嫌な感じがする)


ルシアンは空を見上げた。

雲一つない青空が広がっているが、何故か不安な気持ちが消えなかった。


「出発の準備を始めまる」

メリダの声が響く。


「護衛配置を確認します!」

傭兵たちが整列する。サイクロプス団の十名とガーゴイル団の二十名、計三十名の護衛部隊だ。


「ルシアン、クレア」

「はい」


二人が前に出る。

「お前たちは先頭の斥候だ。馬車列の五十メートル前方を警戒しながら進め」


「了解しました」


「ドノヴァン、お前は私と指揮者を挟んで動く。

…………そして最後にブロス、お前は後方警戒だ」


次々と配置が決まっていく。十五台の馬車列を守るための陣形だった。


「出発ね」

クレアが呟いた。


「そうだね」

クレアに答えながら、ルシアンは左目の奥にまだ残る薄い赤い光を感じていた。


「出発!」

メリダの号令と共に、長い旅が始まった。


王都フリードと自由都市サルタニアを結ぶグラナ街道は距離にして約二百キロ。


交易の大動脈ともいえる街道ゆえに、道幅は二十メートルと広く、馬車の行き来の為に、道も可能な範囲で舗装されている。ただ、街道の両脇は視界の悪い森、逆に道幅の狭まる峡谷を通る事もある。


このグラナ街道を通る上で一番大きな問題は、街道沿いに町も村も無い事だ。


王都フリードと自由都市サルタニアの中間には長い峡谷があり、たまの平地も岩場のため、宿場が欲しい場所に村や町を作る場所がないのだ。


行程の序盤の一割が森、八割が峡谷と岩場、峡谷を抜けて王都の手前で一割が再び森。

森を拓けば村の一つも作れるだろうが、そこまで都市まで近づいたなら宿場を作るメリットがない。


そのため、街道を行き来する者は野営の準備が欠かせない。

馬でなら五日もあれば十分の距離だが、今回のように商隊では速度がでない。

旅程を十日で計算しているのはそのためだった。


ルシアンとクレアは馬車列の先頭を歩く。二人の間隔は数メートル。


お互いの動きを確認しながら、街道沿いの森や岩陰に警戒の目を向ける。


「にしても、いい天気ね。視界良好」

クレアが空を見上げた。


「盗賊が出るとしたら、こちらの動きも丸見えだろうね」


「ネガティブね。こっちからも敵が見やすいってことよ。」


確かにその通りだった。


街道は見通しがよく、伏兵が隠れられる場所は限られている。


移動を開始してから二刻ほど進んだだろうか。太陽は真上過ぎ、そろそろ昼食を考えた頃だった。


「ルシアン、前から男1名」


ルシアンが眼を前方に凝らすと、確かに歩いてくる何かが見える。


「眼がいいんだね、距離があって、男か女か僕は分からないな」


(!)


確かに、ルシアンは視力でもクレアに負けているのだろう。

ただ、彼には魔眼があった。


こちらにゆっくり近づいてくる人物は血のように濃い赤に包まれていた。


「クレア、間違いない。あれは確実に敵だ。盗賊かは分からないけれど害意があるのは間違いない。」


クレアは異を唱えなかった。その代わり、後ろの隊列に向かって大声で叫ぶ。


「メリダさん!帯剣した男が接近、あと三分ほどで接触します」


距離約百メートル。男の姿をハッキリ視認した。

ボロボロの着流しのような旅装束。鎧の類は身に着けていないが、胸元からは鈍色に光る鎖帷子が覗いている。


そして、その腰には意匠の入ったブロードソードを帯びていた。


男はゆっくりと片手を上げた。

無論挨拶ではない、何かの合図だろう。


「そこで止まれ!」

クレアが凛とした声で警告する。


「我々は商隊の護衛をしている。貴殿に害意がないなら街道の左を歩け、我々も左側を進む」


男は何も答えなかった。

その代わりに上げていた片手を勢いよく振りおろす。

それに呼応するように街道の両脇の森から武装した男たちが次々と姿を現した。


十人、二十人、三十人——


「随分と大所帯ね」 クレアが小さく笑った。

彼女のその手は既に剣の柄にかかっている。


ルシアンの左目に映る男達…赤い点が増えていく。


薄い赤、濃い赤、光り方は様々だ。

絶対の確信はないがルシアンは経験上、赤の濃淡は相手の強さ…危険度だと考えている。


そして、いまルシアンは自分の右隣、ショートソードを両手に構え、獰猛な笑みを浮かべているクレアも赤い光に包まれている事に疑問を感じていた。


(彼女の敵意、害意は自分に向けられているわけではないのに、なぜ光って見える?)


そして、もう一つ、彼女は鮮やかな緋色に光って見えた。


(いま、考えている場合じゃないな——)


護衛任務、初日にして危機が訪れようとしていた。

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