8話 芸術は爆発だ

 セイラスは本を閉じながら、ふっと笑った。


「絵の具を塗り重ねて立体感を出す」——それを魔法陣に応用するなんて、誰も考えてないだろう。


 魔法陣はインクの線で繋がれた魔物の言葉でできている。


 ならば、そのインクを層に分けて塗り重ねれば、今までにない反応が生まれるかもしれない。


 たとえば、上の層と下の層でインクの種類を変える。


 あるいは、魔力を込める人を変える。


 さらに、インクに流し込む魔力量を加減すれば、層ごとに異なる効果を発揮するかもしれない。


(これは……いけるかも!)


 もちろん、実現は簡単じゃない。


 インクが混ざれば失敗するし、層を重ねるだけで魔力の流れが乱れる危険もある。


 だが、そんな困難すらセイラスにとっては挑戦の合図だった。


 魔道具に新しい可能性をもたらす第一歩。——それが「インクの層を使った魔法陣」だった。


 ◇


 さっそく僕は、試作の魔法陣を描くことにした。


 材料は書庫から拝借してきた古い羊皮紙と、インク壺を二種類。


 片方は普段使っている僕の魔力を少し混ぜた黒インク、もう片方ミレーユの魔力を混ぜた赤インクだ。


 さて……美術の巨匠たちは絵の具を重ねた。


 僕はインクを重ねる。


 何が違う?大丈夫、たぶん爆発しても書庫ごと吹き飛ぶことはない……はず


 庭に出るのが面倒だったので書庫で実験してみる。


 まずは下地に黒インクで簡単な起動式を書く今回は”アクア”だ。


 その上から赤インクで”ソル”を重ねる。


 インクが乾く前に上塗りすると混ざってしまうが、あえて半乾きの状態で挑戦してみた。


 魔力を流し込むと、黒い線と赤い線が別々に光を帯び……次の瞬間、ブシュッ!と小さな煙が立ちのぼった。


(うわっ!?)「けほっけほっ」少し咳き込む。


 紙の端が焦げてしまったが、完全に燃え尽きるほどではない。


 結果は失敗。


 でも、ほんの一瞬、光る水が現れたのを見逃さなかった。


(よし、今のは手応えアリだな!)


 普通の人なら「危ないからやめろ」となるだろうが、僕にとってはむしろ最高のサインだ。


 ——失敗の中に成功のヒントがある。


 それを探すのが楽しいのだ。


 失敗した理由を考えてみる。


 今回の魔法は火が出るようなものがないから、発火の原因は魔力だろう。


 式に魔力は流れて起動はしていた。


 なら、インクを二種類にしたからか、生乾きで重ねたから、魔力の流しすぎ。


 そんなところだろう。


 よし、原因がわかったぞ!次はもっと慎重に、そして少しずつ調整だ。


 でもその前に、庭への移動が先だ。また火が出たら怒られちゃう。


 セイラスは息を整え、庭へ向かう。


 書庫での小さな火花は成功の兆しだったが、屋内では危険すぎる。


 今度こそ安全に、そして確実に試したい。


 庭に広げた古い羊皮紙。


 黒と赤のインク壺を手元に置き、心を落ち着ける。


 今回は両方のインクに自分の魔力を混ぜる。


 ただし量は変える。


 水の陣を描く黒インクには多めの魔力、光の陣を描く赤インクには少なめの魔力を込める。


(よし、今回は慎重に……集中、集中……)


 まず黒インクでアクアの陣を描く。


 次に赤インクでソルの陣を重ねる。


 半乾きではなく、完全に下の層が乾いた状態で上塗りすることで、インク同士が混ざらないようにした。


 手のひらから魔力を流し込むと、黒い線が水のようにゆらりと揺れ、赤い線がほのかに輝く。


 先ほどの煙や焦げの気配はない。


(……うまくいった?)


 紙の上で水と光の魔法陣が微かに反応し、ほんの一瞬、小さな水の輪が光に照らされて揺らめいた。


 前回とは違い、爆発も焦げもない。


 これだ、手応えがある!


 失敗の原因も分析済みだ。


 前回はインクを二種類にしたこと、生乾きで重ねたこと、魔力の流しすぎ……それらが重なった結果の小爆発だった。


 今回はすべて修正した。


(次はさらに微調整して、完全に発動させる。焦らず、少しずつ……)


 セイラスの胸には小さな興奮が広がった。


 失敗から学び、少しずつ理論を積み重ねる。


 自分だけの新しい魔法陣——「インクの層を使った魔法陣」——は、確かに手の中で形になり始めている。


 次の挑戦は、この光る水の魔法陣を自在に操ることだ。


 層ごとの魔力の流れを意識し、狙った反応を正確に引き出す。


 まだ道半ばだが、セイラスは目を輝かせながら、次の実験に向けて準備を始めた。





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