第3話 王と父

 戦時とその当時とでは価値観の変化が多数ある。

 まず、辺境伯領は『憧れの最前線』から『ド田舎領主、左遷先』というイメージに。


 それからもう一つ大きな変化は、『髪の色に対する価値観』だろう。


 レヴィアタニア王国は南部に外海へとつながる港を備え、さらに西部にも大きな塩湖が広がる、『水』に深い関係を持つ国だ。

 王族は神獣レヴィアタンの加護を受けていると言われ、その瞳や髪は青い。


 なので『青』は国旗にも用いられるぐらいに珍重されている色だ。……染料も高いので、主に貴族ぐらいしか青を扱える者がいないことも、『青』の高級で貴族的なイメージに一躍買っていることだろう。


 そしてこの『青』というのは平和だの平穏だのを象徴する色とも言われている。


 この『青』と対になるというイメージを持たれているのが『赤』で、『赤』は戦いや騒乱をイメージをする色として扱われていた。


 なので戦時において、『赤』はいいイメージの色だった。

 赤毛の兵士で揃えた軍隊などは、精強なイメージがあり、一時期、王宮近衛兵の全員が、全国から集められた赤毛で構成されていたという話も、祖父から聞いた。


 ところが現在、親父の代がまるまる平和だった世の中で、『赤』はイメージの悪い色になってしまっている。

 うちの領民に赤毛が多いのも、戦時に赤毛の女が好まれたからというのもあるが、赤毛が『再び戦争が起こりそうだ』というなんの根拠もない不吉視により、都会から排斥されがちだという背景もある。


 その、都会──王都などでは珍しい『赤』という色が、不吉を呼んだのだろうか?


 辺境にカール王が視察に来た時、アンヌはそいつの目に留まってしまった。


「その者の名は」


 この当時はまだ有名ではなかったが、カール王はかなりの艶福家……ようするに色狂いであり、美しい女と見るやすぐに自分のものにしたがる悪癖があったようだった。

 当時から妻もおり、この時すでに長男は生まれていたのだが、抱いた女の数に比すると生まれた子供の数が極端に少ないということから、かなり種の薄い男でなのでは、という悪評をささやかれてもいたらしい。


 これを王宮的な表現に直すと『王の高貴なる子は、高貴なる娘にしか宿らない』とい言葉になり……

 その表現を真に受けることにしたのだろう。王の、『平民喰い』はこの当時、盛んになり始めていたようだった。


 辺境領の視察──名目上は『国家の平和を守った英雄の領地への表敬訪問』ということになるが、実態は『王都から離れた場所で兵力を溜め込んでいないだろうな?』という内乱への警戒である。

 とはいえ親父の態度のお陰で、この辺境はすっかり『信用』されており、王にも、その側付きたちにも警戒心のようなものはなかった。というか、はっきりとこちらを『反抗心の欠片もないただのド田舎』と馬鹿にする態度が目立った。


 当時、アンヌが王の目に触れる機会を作ってしまった父は、内心では後悔していたようだった。


 親父はただ中央貴族に頭を下げまくっているだけではなく、情報収集を怠らない人だった。

 今ある『平和』というものが、努力なしには続かないことを知っている人だったのだ。だから、情報を集める努力をし、当時まだ有名ではなかった王の艶福家っぷりもある程度は掴んでいた。


 その上で王の目が『都会には珍しい赤毛の娘』に留まったのは、後から考えればもっと気を付けるべきだった、と父は後に述懐している。


 さて、もちろん王の言葉で直接『名』をたずねられたならば、これを答えることを拒否するわけにもいかない。

 同時に、王が直接、下働きの娘の名をたずねたならば、それを寝室へ差し出さないわけにも、いかなかった。


 当時の父の中にどのような葛藤があったか、後年になっても俺にはすべてを想像することは出来ない。

 父は、戦時を見据えて冷徹に領民を愛するという『政策』をとっていた祖父と違い、心の底から領民に親しみ、これを愛する、平和な時代の人だった。

 アンヌの父親とも個人的な付き合いがあり……


 艶福家の王が平民女にどのようなことを強いるかも、うっすらと聞き及んでいたようだ。


 ……もっとも、事態は、当時の父の想像をはるかに超えて、大きく転がったようだけれど。


「……さて、民から『食い扶持のため、どうか屋敷で働かせてはもらえませんか』と連れて来られる娘は多く、そのすべてを把握するのは、困難です。誠、申し訳ございません。後で調べさせますので」


 これは父なりの『王の寝室にアンヌを差し出すのを回避するための方策』だった。

 だが、この当時の俺は、父のことを情けないクズだと思っていたし、アンヌのことを気に入っていた。

 ……本当に気に入っていたんだ。惚れてさえ、いた。


 そんな人の名前を父親が覚えていない──もちろん事実としては覚えていて、これがアンヌを差し出さないためのあがきだということを今ならわかるけれど──ことに、俺は、怒った。


 ……王を交えた会食の席だったのだ。

 当然、その場には、のちにこの辺境を預かることになる俺も同席していた。


 同席していたクソガキの俺は、不満と怒りたっぷりに、その名を口にしてしまった。


「アンヌですよ、父上」


 王の前で態度を取り繕うことぐらいは出来る。

 皮肉にも、サボりがちだった俺を連れ戻してくれるアンヌのお陰で、俺は『優秀な後継者』と目されるようになっていた。

 だから、王との会食にも同席を許された。


 ……だが、別に、親父に対する不満、怒りがなくなっているわけじゃなかったし、当時の俺は、親父のような、中央貴族に頭を下げるだけの情けない男になりたくないという、反感もあった。


 どうすれば、この当時の俺は、違った行動をとれたのだろう?


 親父の『平和を維持する努力』を理解するには、まだ、俺は幼過ぎた。

 祖父の言葉のお陰で俺は、平民にも強い言葉を使わず、アンヌに言われるまま、教育に連れ戻される日々を送っていた。そのお陰で、優秀な後継者として扱われていた。

 そして、一度『情けないやつ』と認定してしまった親父のことを、その能力まで含めて侮っていた。だから、親父が本当にアンヌの名前を憶えていないものだと思い込んでしまった。

 アンヌのことを好きだった俺は、その名を覚えていない親父が許せなかったし、王に悪いイメージを持っていなかったのもあって、その名を呼んでしまった。

 ……『王が平民女の名をたずねることの意味』さえ、知らなかった。本当に愚かな、クソガキの俺。


「そうか、アンヌというのか。辺境伯、息子のロランは、本当に利発で優秀な子だ。きっと、この国家の東の壁となり、王国から戦乱を遠ざけ続けてくれるであろう。おぬしのようにな」


 カール王は嬉しそうだった。

 この当時の、王の笑顔を向けられて嬉しく感じてしまった自分を殴り飛ばしてやりたい。


 かくして、アンヌは捧げられた。


 ……だがそれは、一夜限り、辺境にいる限りの話ではなく。


 王は、ことのほか、アンヌを気に入ったのだ。

 それこそ──王都に連れて帰るぐらいに、気に入ってしまったのだった。

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