第18話 紫紺の瞳②



「ネロ、お前が家族と住んでいた村がおそらくこの中にある。どれも病で全滅した村だ。後日一緒に探しに行こう。……彼らの誤算だったのは、東方人は帝国で流行る病に抵抗力が弱いってことだ。住んでた地域が違うんだから仕方ないんだが。これで大半の闇魔法使いが大人も子供もまとめて死んだ。彼らの薬学でも未知の病はどうしようもなかったんだろうな。錬金術師の技術は王都で学問としてまとめられているが、東方人の村については謎なことが多い。これを調べ上げたばあさんってのは凄い人だ。東方人も弱点をさらけ出すのが嫌で隠してたんだろうしな」


 ぽんぽん、とゼファーの手がオレの頭を撫でた。灰色の目がじっとオレを見つめ、赤が強く混じるオレの髪をするりと指にからめた。


「お前が生き残った理由はこれだ。東方の血筋と、帝国の血が上手く混ざり合って共存している。せめぎ合い、片方が弱まると補い合い、どちらも消えることなく存在し続けた。それで、お前は闇属性の魔術師として生きてこられたんだ。俺たちがすすめるべき政策は東方人とその血を引く血族の保護、そこから始めてお前みたいな例を増やすことな。……これでますます国から出せなくなっちまったなぁ、ネロ」


 あとの魔術書とかは好きに読め、と本と資料を積み上げてゼファーは席を立った。

 黙って聞いていた皇帝はメイドに茶の用意をさせ、『ゆっくり読んで。隣の部屋客間だから、よければ泊っていって』と言い残し部屋を出て行った。

 結局ゼファーと皇帝の関係を聞き逃したが、罪人として鉱山に送られてくる前は騎士団長と同じくらい仲良かった、てことでいいか? 何があったのか今度詳しく聞いてみよう。

 ゼファーが罪人になった経緯とか。王都に戻ってきても捕まらないところを見るに、もう死んだことになってるか罪自体がないことになってるか、どちらかだよな。


 そうしてオレとライオネルだけが部屋に残され、手持ち無沙汰だったオレは古びた本をひとつ手に取った。ぱらぱらとめくると見たことない魔法がいくつも載っていたが、目が滑ってまるで頭に入ってこない。


「あー……そういえば今日は団長がいなかったな」

「大神官殺害未遂の事件で、忙しいみたいだ。被害者が神職だからと騎士団の預かりになったと聞いている」


 お前は行かなくていいのか、とつい口にしそうになって踏み留まった。こいつ騎士団辞めたままだったな。いや、今は両目が使えるようだし戻れるんじゃないのか?

 ずっと片目を隠して眼帯をつけていたのに、最近ライオネルは堂々と両目を晒して過ごすようになった。


『……眼帯をしていなくとも、この目は見えていないのと変わらない。最優先でネロを追いかける『目』だ。ネロ以外を映す気は、これからもない』


 真面目な顔でそんなことを言われたオレの身にもなってくれ。

 あれからライオネルは遠慮もなにもかなぐり捨てていた。口付けはあの日以来されていないが、ことあるごとに甘い囁きを向けられている気がする。

 眼帯はもともと執着の印のように残した紫色をオレに知られないためだったらしく、もう告白してしまったから良いんだと笑っていた。


「お前は騎士団に戻らないのか」

「えっ……ああ、戻って来いとは言われているんだ、でも」


 広めのソファの端と端に座りながら話していたライオネルは、ふとオレの方を見ると、空いていた距離を詰めてきた。


「おい、何で近寄るんだ」

「……今はまだ、戻る気はないんだ」

「任務に支障ないだろ。仕事しやがれ聖騎士」

「でも、屋敷にいればいつでもネロの紫色が見える。それに慣れてしまうと……離れがたい」


 本に顔を近付けてライオネルの方を見ないようにしていたら、ぴったりと身体を寄せられて驚いた。

 ビクッと身体を震わせて避けようとするが、肘掛けがあってこれ以上横には動けないんだよな。

 逃げる先を考えあぐねているうちに、ライオネルの手が腰に伸びてきてしっかり抱き寄せられてしまった。吐息が耳朶に触れるとくすぐったくて首を竦める。


「ネロ。そんなに身体を硬くしないでくれ。怖くないから」

「こ、こわくてこうなってるわけじゃ……」

「では、何故なんだ?」


 わざとなのか、ライオネルは唇をオレの耳元へ近づけて囁きかけてくる。その声はいつもの張りのある伸びやかな声ではなく、熱の籠もった甘い響きを帯びていた。

 官能的にも聞こえるその声に身体の芯が痺れたような感じがする。本を障壁のように立ててライオネルの胸に押し当て、そのまま押し返そうとするがびくともしなかった。

 鉄板みたいな胸にも驚いたが、オレの身体はそんなにひ弱か? とプライドも傷つく。


「東方人の身体は、帝国の者より一回り小さいらしい」


 ライオネルはオレの手をそっと握ると、手の平を合わせてきた。指の太さも手の平の厚みもまるで違うが、肌の色だけは同じだ。東方人らしい肌の色というとバージルのようなのを言うので、オレはやはりいるんだろう。


「筋肉も付きにくいと聞く。ゼフィール様から聞いたがネロはその身体で……十八歳なんだよな?」

「は? 馬鹿にしてるのか?」

「い、いやそうではなく。もう立派な大人なんだなと……先日聞いて初めて知ったんだ」

「そうだ。子どもじゃないとバージルにも言っておいてくれ」


 手のひらを合わせているのが妙に気恥ずかしく、目を逸らして早口に言い捨てる。

 ライオネルは何を思ったか急にオレの手を引き寄せ、そこに唇を押しつけてきた。ひっ、と手を引こうとするけど掴まれていて逃げられない。

 ちゅ、ちゅ、と何度も柔らかな唇が指先に、指の関節に、手の甲に、と触れていった。ぞわぞわと不思議な感覚が背を走る。堪えきれずソファから逃げ出そうと身体を捩るが、がっちり腰を掴まれていて動けなかった。


「は、離せ……」

「なぜ? 痛いことも苦しいこともないだろう? 子どもじゃないのなら、大人の交流を我慢することもない」

「……は、何だって?」

「私はネロがまだ子どもだと思って、少しばかり遠慮していたんだ」


 スッ、とオレたちの間を辛うじて隔てていた本を取り上げられてしまった。

 それを丁寧にテーブルへ戻すと、ライオネルはオレに向き直り軽々と抱き上げてしまう。向き合う姿勢で膝に乗せられて、腰をぎゅっと引き寄せられた。

 密着する胸板からいくら腕を突っ張っても逃れられず、じたばたと暴れる。


「ネロ」

「ッ……なんだよ」


 耳元に唇を寄せて名前を呼ばれると、また身体が跳ねた。その反応を笑われるかと思ったら、真剣にオレを見つめる、色の違う二つの瞳とぶつかった。


「ライオネルと、呼んでくれないか」

「な、なんだ、いまさら」

「バージルも、ゼフィール様も名で呼ばれているのになぜ私だけ呼んでくれない?」


 そうだったか? と眉を顰めて不思議そうにすると、ライオネルは傷ついたような顔をした。しゅんとした犬のようなその表情に罪悪感がこみ上げる。


「ラ、ライオネル」


 パッと顔を上げたライオネルの嬉しそうな表情は、水を得て背を伸ばす花のようだった。輝くばかりに華やかで、眩しいくらいだ。


「もう一度呼んで欲しい」

「……ライオネル」

「ああ、嬉しい。ネロ……ネロ!」


 ぎゅうっと膝に乗せられたままの姿勢で強く抱き締められた。オレの肩のあたりに銀髪の頭が埋もれていて、鎖骨にはライオネルの頬が触れている。その僅かな部分がじわりと熱くて、何故だか身体がムズムズと落ち着かなかった。


「な、名前を呼ばれたくらいで……」

「『くらい』じゃないだろう。愛しい相手に名を呼ばれて喜ばない男がいるものか」

「い、……」


 いとしいあいて? と不思議そうに頭を横に傾けたらぴくりとライオネルが身体を硬直させた。

 そして左右色の違う目がみるみる見開かれていって慌てたように肩を掴まれた。


「ネロ、私は君が好きなんだ」

「……ええと、やはり男が趣味だったのか。妾にでもするつもりか?」

「そ、そうではなくて!……ああ、君の感覚ではそこまでが限界か。これは、私の落ち度だ。すまない。順序を間違えてしまったな」


 低く唸ったライオネルは、勢い良く立ち上がった。

 そのままオレを横抱きにして、先ほど陛下に勧められた『隣の部屋』へと移動する。そこはメイドもおらず機能的で、飾りの少ない部屋だった。オレの居やすさを追及してくれたんだろうか。


 その部屋のベッドにそっと下ろされて、ライオネルは絨毯の上に跪いた。この姿勢、神殿の時と似ているなと思いながら様子を見ていると、ライオネルはオレの左手を恭しく捧げ持ち手の甲に口付けをした。


「聖騎士ライオネル・ヴァンフォーレは、貴方を守り、生涯をかけて貴方に仕えることを誓う」

「……え」

「許す、と言ってくれ」


 乞うように見つめられて反射的にその言葉をくり返した。


「ゆ、許す」


 そう言った途端、オレの手の甲に光る模様のようなものが浮き上がり、すうっと消えた。ライオネルはそれを見届けると、腰の剣を鞘ごと外してオレの膝に置いた。


「これで私はネロに逆らわず、ネロはいつでも私を殺すことが出来る。今のは神官の扱う聖魔法のひとつ『誓約』だ」


 何だそれ、と驚いて見つめていたらライオネルは嬉しそうに目を細めて笑った。


「生涯をかけて、愛するのはネロひとりと決めた。他は要らない。だから破れば死ぬ魔法をかけたんだ」

「死ぬって? それ呪いじゃ……」

「私は少しばかり自惚れていた」


 オレの言葉をやんわりとさえぎるようにライオネルは言葉を続け、首を傾げたらまた微笑み返してくる。


「先日、ゼフィール様にネロの年齢を聞いた。さらには、ネロの髪に触れるのは特別気に入られた相手だけだったとも言われたし、抱擁の許しを得ているのも私だけだと気付いて自惚れてしまった。ネロも私と同じように好いてくれているのではと、恥ずかしながら勝手に思っていたんだ。すまない。今度は間違わぬように私を全て捧げてネロに愛を乞う。……ネロ、私は貴方を愛している」


 怒濤のように与えられる情報に頭がついていかない。ゼファーが何を口走ったのか知らないが、間違いだ。

 確かにオレは髪を触られるのは好きじゃないが、それはカキアみたいに乱暴に引っ張られるのが嫌いだからで……。

 いや、なんでライオネルには許したんだっけ?

 上手い言い訳が出てこない。これじゃあまるでライオネルが言うように、オレがこいつを好きなことが理由みたいに、なってしまう。


「……!」

「ネロ? 顔が真っ赤だ……」

「いや、ちょっと待て、待ってくれ、こん」

「こん?」

「らん、してるッ」


 ベッドに転げて顔を覆い、ううう、と唸りながら丸まった。

 いやいや待て待て、オレがどうしてこいつを好きにならなきゃいけないんだ。

 顔は良いが性格はおキレイ過ぎて鼻持ちならないし、いつも喧しく追いかけてきて諦めも悪くて何度もその執着に呆れさせられて、オレのせいで怪我をさせたし騎士団も辞めさせられたから恨んでるだろうし、それからなんだっけ?

 駄目な理由は、もっとあったよな。たくさんあっただろう!?


「お、お前……オレを恨んでないのか」

「なぜネロを?」

「目を矢で射抜かれただろう」

「アレは君の放った矢ではないし、私が勝手に君を守ろうとしただけだ。しかもネロが応急処置をしてくれたおかげでこの目は新しい力をもった美しい紫に生まれ変わった。感謝こそすれ恨むなどあり得ない」

「……オレが、悪党の闇魔術師でも、いいのか」


 問いかける声がだんだんと小さく、自信がなくなっていく。


「私は、どんな君でも構わない。きっと、ひと目見たときから焦がれていたんだ」


 でも淀みなく答えるライオネルに引きずられ、オレの不安は浸食されるように押し流されていった。


 オレはあの日ライオネルが放った言葉を忘れたことがなかった。

 ガキだと見下されたと思ったから、忌々しさから覚えていたのだと思っていた。でも本当は、あの輝く白銀の鎧と靡く銀髪、そして鋭いアイスブルーの瞳の煌めきが、目に焼き付いて離れなかったんだ。


『君は、まだ子供だろう! そんなところで何をしている!』

『うるせぇ! ガキだって立派な悪党になれんだよ!』


 ライオネルは騎士になったばかりの十七歳、オレはまだ十二だった。

 生意気なヤツがいたと、少しでも刻みつけてやろうと思った。住む場所の違う清廉潔白な騎士に対して、汚泥に塗れたこの身は塵ほどの価値もない。

 できることなら、無視できないような忘れられない悪党になってやろうと思った。どこに現れてもオレを真っ先に見つけてくれるのが、内心嬉しくて仕方なかった。


 大人たちに無視されて、玩具みたいにうち捨てられて見向きもされなくて、戯れにいたぶられては放り捨てられるだけの奴隷だったオレが。

 あんな綺麗な瞳に映ることができた、そのことが堪らなくむず痒くて浮き足立って、泣きたくなるくらい嬉しかったんだ。

 きっとあの時からオレはライオネルのことが特別で、焦がれるほどに、好きだった。


「ライオネル、……ライオネル」

「ネロ? どうしたんだ、泣いて……?」


 ベッドに横になったまま、鼻をすすり上げて両手を伸ばした。おろおろと動揺しているライオネルを引き寄せる。みっともなく涙でくしゃくしゃの顔を晒してるのは分かっていたが、どうしても堪えられなかった。


「ライオネル、オレも。お前が、好きだから……抱き締めて欲しい」

「……ネロ!」


 手を掴まれ、強い腕に引き寄せられた。

 初めてオレからも相手の首の後ろに腕を回して、力の限りに抱きつく。オレの腕の力なんか比じゃないほどライオネルの力は強くて、息が苦しくなるくらい抱き締めてくれた。


 それが心地良くてどうしようもないくらい嬉しくて、オレはずっとライオネルを抱き返していた。

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