第17話 紫紺の瞳①
吐息が掠め、柔らかい何かが唇の端に触れた。ビクッと震えたオレの動きを見て、怯えたように身体を引きかけたライオネルのシャツを、片手で掴んで引き留める。
「……」
「ネロ……?」
ぎゅう、と握り締めた手が離せない。
ベッドに座った姿勢だと、
顎に触れていたライオネルの指が、もう一度しっかりとオレの頬を包み込んだ。引き寄せられてこちらからも顔を近付けたら、もう一度唇が触れた。
今度はちゃんと、唇だった。
食むようにオレの唇をはさみ、何度も角度を変えて触れてくる。唇に少し隙間ができるとくすぐったい息が触れた。そしてまた、その息さえ奪うように口付けられる。
抵抗もせず何をやってるんだ、と思うのに確かに心地良さも感じていた。心と乖離した身体が手懐けられていくような感じがする。
息を止めて目を瞑っていたら苦しくなって、は、と小さく息を吐くとそのまま唇を割られた。
「っん、……ぅ、……」
大きな手に首の後ろを支えられて、唇がより深く合わさった。
開いた唇から濡れた舌が入り込んできて思わず身体が後ろへ逃げる。ベッドの上をずりさがろうとしたら身を寄せてきたライオネルに腰を抱かれた。全然大きさの違う身体が密着して、服越しに擦れ合う。
ドッ、と激しく心臓が跳ねた。大きな鼓動が胸の中心をざわつかせて、むず痒いような痺れが襲い息が苦しい。
ベッドの端に座ってたのに、いつの間にかライオネルに覆い被さるみたいにして、身体を抱き上げられていた。逞しい肩に置いた手は、震えて力が入らない。
ちゅく、と絡んだ舌から濡れた音が立った。
逃げる舌もまたライオネルに捕まり、強く吸い上げられて痺れている。ん、ん、と小さく呻きながら身体を引こうとするのに力が抜けて上手く動けなかった。その間にライオネルは「もっと」と求めるように口付けを深くする。
じわっと視界が濡れて景色が歪んでいった。
「……ンッ、……は、……」
息をするだけで精一杯で、腰を支えられてなきゃそのままぐったり倒れてたかもしれない。ライオネルは執拗にオレの舌に追い縋り、舐めて擦って、唾液を吸い上げた。
淫らで濡れた音が立つたび、その音にまで耳を犯されているようで、ビクビクと身体が震えてしまう。
「――は、」
ようやくライオネルの唇が一度離れた。乱れたお互いの吐息が唇に触れてくすぐったい。
銀糸のつうっと繋がった形の良い唇が遠ざかる。
オレははあはあと息を乱して脱力していた。身体の中で暴れる初めての感覚にあてられて、頬が熱い。
視界が悪く何度か瞬きすると涙の粒が散った。
それで目の前の相手の顔は鮮明に見えるようになったが、ライオネルの表情は……欲に濡れて見たこともないほど艶めいていた。
――ゾクリ、と背が震えるほど強い瞳が向けられている。
今にも食らい付いてきそうなギラギラとした視線だ。ライオネルは清廉潔白な聖騎士の顔をかなぐり捨てていた。
左右色の違う瞳は熱っぽく潤んでいる。荒い息をつく濡れた唇が、そこからわずかに覗く舌が、オレの腰に触れる手のひらの熱までも、全てでオレを欲していた。
欲情、している。あのライオネルが? オレの身体を、むさぼり食いたいとでもいうように。
「……すまない」
突然、ライオネルは身体を離した。
もう一度「すまなかった」と低く呻くような声を絞り出し、オレをベッドに座らせる。
ギリッと奥歯を噛み締める音がしたと思ったら、ライオネルは振り切るように部屋を出て行ってしまった。
オレだけがぽつんと部屋に残される。
「なん、……え、なんっだ、アレ……どういう」
そ、そういえば片付ける用があるとか言ってたよな。さすがにあのまま、いきなり押し倒されたりはしないよな。そうだよな。
ばふっと柔らかいベッドに転がり、遅れてきた動揺と混乱にシーツの上でのたうち回る。
今も、好き勝手貪られた唇が甘く痺れていた。触ると唇が少し腫れぼったい。
ライオネルの唇は柔らかかった。口付けそのものがオレは初めてだから、誰の唇でもまあ柔らかいと思うのかもしれないが。でも特別柔らかくてしっとりしていたような気がする。
そんな感触をしてるくせに口付けは途中から荒っぽくなって、気持ち良いのに苦しくて堪らなかった。おあつらえ向きここにはベッドもあって、押し倒されていたらオレはどうしていただろう。
あいつ、それが目的でオレをこの部屋に連れてきたのか?
「いや待て、なんか顔面に圧されたが、別に好きとか、言ってきたわけじゃ……」
誤解するなと頭の中から妄想を追い払う。そもそもライオネルに迫られたからといって男のオレが、なんで動揺する必要がある。女ならまだしも。口付けだって手慣れていたから、本当のライオネルは聖騎士にあるまじき色情魔なのかもしれないし……。
貴族の間では男を妾にするヤツもいる聞く。ライオネルもその一人としてオレを囲いたいということか? いや貴族の妾なんか針のむしろだろうから嫌だが。
『この目には闇魔法の残滓を取り込んである。君の残したぬくもりを忘れたくなかったから、ネロの色を貰ったんだ』
さっきのライオネルの言葉が頭の中に再び響いた。あの瞳、オレの魔力を取り込んだせいでアイスブルーから紫に変わったのだと言っていた。
ライオネルがオレの色をまとっている? そうを考えると急に心臓が跳ねてソワソワと落ち着かなくなって、またベッドにぼすんと顔を伏せた。
シーツが冷たくて心地良い。違う、これはオレの顔が熱くなってんだ。
「ってか、あいつもしかして用事が終わったらこの部屋に帰って来るのか?」
見回したところ、部屋にベッドはひとつしかない。でも部屋が貴族仕様なので応接とソファがあるから、オレはあっちで寝ればいいかな。
もそもそと身体を起こし、さっき被せられたマントを引っ張って移動した。
ベッドではないが充分に柔らかいソファに横になってマントを被る。ふと、さっきは気付かなかったがマントの布地からわずかにライオネルの匂いがした。
抱き締められると香る、妙に落ち着くあの柔らかな花の匂いに包まれて、オレは目を閉じた。
翌朝眩しくて目が覚めると、オレはいつの間にかベッドに運ばれていてマントは跡形も無く消えていた。
‡
ライオネルの屋敷へ戻されたオレは、バージルにこってりと叱られて護衛なしでは外出しないよう言い含められた。
近くとも馬車を使うこと、出来る限りバージルかライオネルを連れていくことも約束した。まるで貴族の箱入り娘みたいな扱いで全く解せない。
神殿はあの後、すぐに事件の詳細を発表した。
命を狙われた大神官は実は今も無事に生きている。
彼が大神官の地位についてから嫌がらせや脅し、殺害予告が頻繁にきていたため、警戒して住居を移動していたらしい。あの部屋は偽の血と死体に似せた人形で偽装されたものだったという。
カキアをはじめ皆が騙されて棒立ちになっていたんだから、神官たちがあたりを囲む時間は充分取れただろう。
殺人未遂の容疑で捕まったのはカキアたちと、例の殴られて運ばれた老人だった。数日中に裁かれ刑が下されるだろうと聞いている。
あの老人は怪我を治療するため神殿の中に入り、その日のうちに大神官の部屋に忍び込んでいた。もちろん部屋は空で大神官はおらず、老人はすぐに神官たちに取り押さえられた。
そこで彼が別の街の神殿を任された神官だということが判明し密かな騒ぎとなった。
神官が殺人未遂で捕まるなんて今までにないことだ。その晩、神官たちは取り押さえた老人の対処に困り、再びライオネルを呼んで指示を仰いだ。
ライオネルはオレがカキアに連れ去られたことに気付いていて、これを機に罠を張った。そうとは知らずオレたちはまんまと神殿に忍び込んだ……というわけだ。
別にオレが護衛を連れてても事件は同じようにおきたように思うが、バージルが薄ら寒いような笑みを浮かべて圧をかけてくるので頷いておいた。
「ネロ様へお手紙が届いております」
あの事件から一週間が経った頃だ。書斎に籠もっていたオレの元にバージルが現れ、大層な封蝋のついた手紙を盆に載せて差し出してきた。
物を知らないオレでも分かる、皇族の印がしっかり押さた手紙だ。頷くとバージルが目の前で開封し、中身を渡してくれる。
内容は、闇魔法関連の資料の精査が終わったので皇宮へ来いというものだった。やっとか。
これは正式な招待の手紙で機密に触れていないので、焼く必要はない。そのままライオネルに持っていってくれ、とバージルに頼んだ。
その間にオレはメイドを呼んで服の準備をさせる。時刻はまだ昼前だ。今から準備して出れば先日のような日暮れになることはないだろう。いや、それとも泊まりになるか?
「ネロ! 今から皇宮へ行くつもりなのか。私も一緒に」
バタバタと貴族の邸宅にそぐわない足音がして、部屋にライオネルが飛びこんできた。この早さではバージルに持って行かせた手紙と入れ違いになったな。
ライオネルは距離が近ければ紫色の影の動きでオレの行動まで分かるらしく、すぐに飛んでくる。
初日にオレが目覚めたことに気付いたのもその片目の能力のおかげだったようだ。
「ついてくるなら早くしろ」
短く答え、着ていた上着を脱いでメイドの手から外出着を受け取った。ライオネルはオレを見つめたまま動きを止めていて、次の瞬間ハッと我に返った。
そしてメイドたちに指示を出し、退出させてしまう。ぽつんと部屋に残されたオレは、シャツを脱ぎかけたまま困惑してライオネルを見つめた。
「……何だ?」
「その、……その背中を誰にも、見せないで欲しい」
背中? と不審がって鏡に映してみると、爛れたように皮膚の引き攣れた、赤黒い肌が映っていた。
ああ、なんだこれか。
まあ、胸の方もそれほど代わり映えしない。ガキの頃から治ればまた傷が増え、減ることがなかったせいで打撲や裂傷は醜い傷痕として残った。オレには当たり前過ぎて意識もしていなかったが、確かにメイドが見たら怯えるかもしれないな。
「見苦しいモノ見せるなって? わかったよ、なるべく気をつける」
「違う! そういう意味では……!」
カツカツと歩み寄ってきたライオネルは珍しく声を荒げていた。そしてそのまま、上半身裸のオレの身体を抱き寄せて、ぎゅうっと腕の中に包み込んでしまう。
背を撫でるライオネルの指先がじんわりと温かくなった。訝しんで見ると、鏡に映るオレの背の傷が僅かに薄くなったような気がする。
なんだ、治癒魔法をかけてるのか? もう痛みなんかないのに。
「これでも最初風呂に入れたとき、集中的に治したんだ。でも一気には消えなくて、神殿の者に聞いたところこういう古傷は毎日少しずつ治していくしかないと」
「……別に必要ない」
「治したいんだ。お願いだ、どうか拒まないで欲しい」
いつもはオレが眠った後とか、朝寝ぼけているうちに治癒魔法をかけていたらしい。なんでそう易々とオレの部屋に忍び込めるんだこいつは。呆れて物が言えなくなって、仕方なしに治療を受けた。
それが終わるとすぐさま服を着込み、ライオネルの着替えも急かして馬車に乗せた。
そして先日と同じ道を通って昼過ぎには皇宮に到着する。
急いでいても食事を抜いてはいけない、と言われ昼は馬車の中でバージル特製のサンドイッチを食べた。あの執事、過保護過ぎではないだろうか……。
「やあネロ。今日は輝く髪色がとても美しいね。いらっしゃい」
出迎えてくれた皇帝陛下はオレの赤い髪がいたくお気に召したようで、嬉々として撫でている。数日で元に戻るから少しの辛抱だ。
その横でゼファーは黙々と机に本を積み上げ、いくつかの資料を開いていた。
ゼファーは約束通り風呂に入ってるようだし顔に髭もなく、髪は櫛を通して紐でまとめている。着ている服もそこそこ質が良いせいか、まるでどこぞのお貴族サマみたいだ。
「とりあえず簡単なところからいくぞ。まず、闇魔法使いの減少について。この原因が分かった。大前提からになるが、魔力属性は大半が親から子に遺伝する。そしてこの話には東方人との混血問題が関わっていた」
話しはじめたゼファーは声に淀みもなく堂々としていて、貴族もあながち間違いじゃないのかもしれない。
「東方人は気質的に何故か闇属性の魔法使いと懇ろになりやすく、婚姻の割合が他の属性の者より飛び抜けて多かったらしい。しかも東方人は薬草を育てる関係上、山に住む。闇魔法の使い手が東方人と結婚して山に籠もりはじめたせいで、自然と闇魔法使いは街から減っていった。ちなみに東方人は帝国法の適用範囲じゃないから属性判定の義務が生じていない。この話だけだと隠れ闇魔法使いがたくさんいるかのようだが、実は話はそう単純じゃなかった」
ゼファーは古地図を取り出して、いくつかの山の点を指さしオレを見た。
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