第53話 君の名は

 そして運命の朝日が昇った。


 その日の朝、アニスは降伏の使者を見送るため、できるだけよい身なりで砦の門の上に立った。


 門の外では、いつものようにオットーが狂態を演じている。


 ところが、その日に限って、なぜかオットーが連れている馬車の数が多く、近くには警護の者とおぼしき男たちの集団もいた。


 オットーはその内の一人に話しかけた。


「よお、よお。王妃様のお出ましたぜ、。お前もあのネエちゃんに言ってやれよ。早く城の門を開けってよ」


 ヨハンと聞いて、アニスはその男の顔をよく見た。


 するとそこにいたのは、


「よお、よお。はるばる遠くから来たんだ。早く門を開いてくれよ、姉ちゃんよお」


 青い瞳に金色の巻き髪。


 体こそ大きく、立派になっていたが、顔にどことなく幼い日の面影を宿している。


(まさか、ヨハン!?)


 目をこすってもう一度目をやると、間違いない。


 そこにいたのはパトナにいるはずの弟のヨハンだった。


 続いてオットーがアニスに呼びかける。


「王妃様、とっとと城門を開けてくださいよう。このの切なる願いでさあ」


 次の瞬間、アニスは叫んだ。


「門を開けろ! 早く! 早く!」


 アニスの命令で、掘に吊り橋が降ろされ、門が開かれると、オットーやヨハンはそのまま馬車ごと砦の中になだれ込んだ。


 反乱軍が気付いた時には、すでに門は固く閉められた後だった。


「いやー、王妃様。寿命が縮むと思いましたぜ。馬車の荷は兵糧と矢です。これは高くつきますぞ」


 極度の緊張から解放されたのか、オットーは半ば放心状態だった。


「でかした、オットー! 名前の“(救助者)”が抜けていたので、すぐにわかったぞ。知恵を使ったな!」


 アニスはオットーの額に何度もキスをした。


 オットーは名だたる女好きの割には顔を赤らめ、放心のていだった。


「王妃様。大変恐縮ですが、おつりは出ません」


 続いてアニスがキスをして抱きついたのは弟のヨハンだった。


「姉様、おなつかしゅうございます」


「ヨハン、どうしてここに!」


「ははは。いつか絶対に、姉様を助けに行くと約束したではありませんか」


「馬鹿! ヨハンのくせに、一人前のことを言うんじゃない!」


 そう言いつつも、アニスはもう一度ヨハンを強く抱きしめた。


 その後、ヨハンが語るには、アニスの危機を早馬でパトナに伝えたのはオットーだという。


「そうは言っても、パトナの軍勢を率いてクルキア領内を通過するのはさすがに無理というもの。そこでオットーが敵に寝返ったふりをして、我らをここまで連れてきてくれたというわけです」


「ウィストリアの人間は、クルキア領内の通行を許されてますのでね。なに、物騒な世の中です。我が商会の警護の者といえば、大人数でも怪しまれません」


 付け加えたのは、オットーだった。


「姉様、実はヴァイツァーも来ているのです。ヴァイツァーは姉様の危機を伝えに、私と別れてカリアス王の元へ向かいました」


「ヴァイツァーが! 陛下はご無事なのか!?」


「もちろんです。王は先日、トール河畔で、ノルデンの大軍を破り、軍を返してこちらに向かっているとのことです。パルシャガルは反乱軍が逃げ出して自落したそうなので、おそらくあと数日の辛抱です。共に頑張りましょう」


「ヨハン、それを早く言え」


「まあまあ。とにかく、もうすぐカリアス王に会えますよ。姉様がそうしたいかどうかは知りませんが」


「こら。ひと言、余分だ」


「すみません。姉様同様、ヴァイツァー仕込みなものですから」


「馬鹿者。ヨハン、貴族たるもの、常にエレガントを心がけなければ駄目だ。この姉様のようにな」


「その割には、だいぶおやつれのようですが」


「だから、ひと言、余分だと言ってるだろうが」

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