第20話 陰湿なイジメ

 しかし、アニスにも悩みがないわけではなかった。


 それはクルキア貴族たちの執拗な嫌がらせと、特に貴族の奥方や令嬢連中からの陰湿なイジメだった。


 王宮内に王妃がいるとなると、自然と人付き合いやサロンのようなものが発生する。


 人を招いたり、反対に招かれたり。


 王室を中心とした、有力者同士の人間関係。


 つまり社交界をうまく調整・構築するのが、王妃にとって本質的に必要なこととなる。


 ところが、元々クルキアは大貴族たちの発言力が強く、なんならアニスは一部の者から恨みすら買っている、余所者よそものの王妃である。


 どこに行っても陰口を叩かれ、“ウィストリアの女狐”などと、公然と揶揄されたりした。


 中でもオドの妻を筆頭に、有力貴族に嫁いだカリアスの異母姉妹たちの態度はひどかった。


「姉様、何か臭いと思ったら、ウィストリアの女がいましたわ」


「あら、女だてらに馬に乗るお方ね。馬糞の香りが、肌にしみ込んでいるんじゃないかしら?」


「でも、元々臭そう」


「そうね。だったら今度、香水をプレゼントしてあげましょう。あんまり臭いと、私たちもたまらないし」


「あなたったら優しいわ。でしたら、強めのものにしましょう。だって鼻が曲がりそうな、ひどいニオイだもの」


「臭い脇もしめろと言いましょう」


「賛成! 田舎くさい所作も、少しは優美になるんじゃないかしら」


「あら、においも所作もくさいのね。オホホホホ」


「オホホホホ」


 そんな会話を、本人の目の前で堂々と繰り広げるのだった。


(あいつら、ぶっ殺す!)


 怒りのあまり、しばしば気が遠くなりそうになったアニスだったが、そんな状況を見かねて声をかけてくれたのが、介添え人もつとめたカリアスの伯母、アンナだった。


 アンナはクルキア中部の大貴族の娘で、東部に広大な所領を持つモーゼン公爵の未亡人だ。


 生まれや育ち、経済力や軍事力に加え、王の実の伯母という地位もあり、社交界では隠然たる発言権を有していた。


 クルキア王カリアスの、母親側親族の後見人として、パルシャガルに常駐しており、政治的影響力も当然、大きい。


 アンナは、甥のよき妻となっているアニスに非常に好感を持ち、自分の屋敷のサロンにしばしば招いてくれるようになった。


 それは同時に、アンナが庇護者として貴族の女性たちに睨みを利かせているという意味でもある。


(よかった。助かった)


 アニスは、素直にアンナに感謝し、顔を立てるため、彼女のサロンでは、できるだけ清楚で健気な女性のふりをした。


 女性たちの、つまらない世間話も、アルフレッドのマニアックな錬金話よりはだいぶマシだったので、辛抱して耐え、笑顔で相手にうなずき続けた。


 元々アニスには文学や詩、芸術や音楽の素養もあったので、貴族階級の話題についていくのも困らない。


 ると自然とアニスはサロンの一角を占めるようになり、王宮内での立場も少しずつ向上していった。


 女性たちとの会話を通じて、貴族社会の表や裏の情報も入ってくるようになる。


「王妃様。宰相様の奥方様は、長年、痔で苦しんでおられるとのこと。座っている時、常に険しい顔をしているのは、そのせいでございます」


 女好きの銭ゲバ商人、オットーも、王宮に出入りする際に、どこで仕入れたのか、下世話な、それでいて案外、貴重な話をしてくれるようになっていた。


「オットー。座る部分の中央が、少し盛り上がった椅子を探して、持ってきてくれ。なんなら職人にあつらえさせてもよい」


アニスが命じると、銭ゲバ商人は怪訝な顔をした。


「毎度ありがとうございます。しかし、王妃様、そんなものを何に使いますので?」


 アニスは穏やかに微笑んだ。


「なに。小姑が来たら、特別に出してやろうかと思ってな」


 オットーも笑顔でうなずく。


「おお、それはさぞやお喜びになられるでしょう。まさに飛び上がらんばかりに」


「まあ、ある種の魔よけのようなものだ」


「早速、手代のボラグィノールに探させましょう」


 二人は、朗らかに笑い合った。

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