第17話光の中の来訪者

 森の呼吸が変わった。

 風が葉裏を撫でる音に、金属の気配と乾いた革の匂いが混じる。黒外套くろがいとう――獣を狩る連中が、音もなく半円を描いて迫っている。


「位置、右二、左二」

 ダリオだりおが息を殺して告げ、弓弦をわずかに引いた。

 俺――レインれいん(本名:アレン・ストラウドあれん・すとらうど)は槍を低く構え、背にいるナギサなぎさの手を握る。小さな指先が、ぐっと強く絡んだ。


「離れるな」

「離れない。ずっと、レインの後ろ」


 黒外套の一人が合図の口笛を鳴らした。茂みが割れる。

 短槍が閃き、矢が走り、土が跳ねる。

 俺は踏み込み、石突で刃を弾き、次の一撃を柄で受け流す。斜めに払って足首を刈ると、男が低く呻いて沈んだ。

 同時に横手から別の刃。肩越しに風を感じ、体を半歩ひねって避ける。ナギサの耳が後ろでぴん、と音を立てた気がした。


「二呼吸、下がって合流!」

 ダリオの仲間の掛け声。

 俺が「任せた」と返そうとした、その時だ。


 ――光。

 大地の奥底から天へ抜ける、裂け目めいた白。

 目の前の闇が、一瞬で昼の白さに塗り潰された。


「ッ……!」

 視界が空白に弾け、鼓膜が軋む。俺は反射でナギサの頭を抱えた。ダリオが思わず矢を外し、黒外套たちですら足を止める。

 耳の奥で、低い唸りが徐々に遠ざかる。白が薄れ、輪郭が戻ってきた。


 そこに、立っていた。


 見たことのない服。布なのに革より丈夫そうな上衣、金具のない履き物、妙に色の揃った薄い鞄。片手には黒い板切れ。

 少年――いや、俺より少し若い男だ。髪は黒く、目は妙に落ち着きなくきょろきょろしている。


「……マジだ……異世界……! いやっほおおお! やっぱ来た、俺のターン!」


 叫んだ。

 森も、黒外套も、ダリオも、村の夜番も、みんな一拍遅れて固まった。


 少年は周囲を見回し、ナギサを見つけるなり、子供のように指をさした。

「ケモ耳……! 本物の……っ、っ、尊っ……! オレ主人公だよな? この銀髪獣耳、完全に運命の出会いだよな!?」


 ナギサは俺の背に隠れ、黄金の瞳を細める。

「きもちわるい。レイン、あれ、いや」


 黒外套の先頭が最初に我に返り、舌打ちを落とす。

「幻術か……いや、違う。だが獲物は二つに増えた」

 短い合図。四方から刃が再び迫る。


「伏せろ!」

 俺は少年に怒鳴った。


「えっ、えっ、戦闘イベント!? スキル! インベントリ! ステータス表示! ……あれ、出ないんだけど!? メニュー! メニューォ!」


 少年はその場でくるくると黒い板を連打する。矢羽がその耳を掠め、悲鳴を上げて尻もちをついた。

 間抜けな姿だが、矢は本物だ。ここは村外れ、死人が出れば――村が巻き込まれる。


 俺は槍を振るった。

 刃の腹で矢をはたき落とし、近づいた短剣を柄で跳ね上げて手首を打つ。乾いた骨の音。男がうずくまるのを踏み越え、次の一人へ距離を詰める。

 ダリオの矢が横合いから走り、黒外套の肩口に突き立った。


「まとめるな! 一人ずつ落とせ!」

 ダリオの怒鳴り声。

 黒外套は散開と接近を繰り返し、音もなく包囲を狭めてくる。俺は槍を回し、石突で顎を跳ね上げ、足元を払って転がす。

 背にいるナギサが、俺の背中布をぎゅっと掴んだまま離さない。銀の耳は恐怖ではなく、苛立ちに見えた。


「……レインの群れに、手を出すな」


 ナギサが低く唸った瞬間、茂みの奥で目が二つ、三つ、光った。

 森狼の影が現れ、ナギサの一声に首を垂れるように停まる。黒外套の一人が怯み、視線がわずかに逸れた。


 そこへ踏み込む。

 槍の石突で膝を砕き、返す刃で袖を裂き、男の喉元へ寸止めで突きを止める。

「武器を捨てろ。ここから先は通さない」

 静かに言う。声が自分のものとは思えないほど冷えていた。


 黒外套の先頭は歯を食いしばり、刃を下ろさない。

 代わりに、芝居がかった笑いを漏らしたのは――白光から出てきた少年だ。


「よぉし、任せろ! ここは俺が決めるシーン! えっと、敵に退去を求めるコマンドは……交渉スキル? スピーチ? 魅了?」


 俺は一瞬だけその方を見た。

 黒外套も見た。

 次の瞬間、黒外套の槍が少年の足元に突き立ち、土が派手に爆ぜた。少年は尻で地面をずり下がりながら、涙目で叫ぶ。


「ちょ、ちょっと待ってください! 俺、まだチュートリアル……!」


「黙れ。動くな」

 俺は吐き捨て、黒外套へ意識を戻す。

 矢一本。ダリオが素早く射ち込み、先頭の外套の帽子を落とした。

「退け」

 ダリオの声は低く短い。「ここは村の縄張りだ。無用の流血は互いの損だろう」


 黒外套は一拍置き、口笛を短く吹いた。

 撤退の合図。

 闇へ、音もなく溶ける。最後尾の男が地面に黒い札を投げ、皮肉げに囁いた。

「三日だ。三日で獲物は香りを変える」


 札は赤い糸で縁取りされ、湿り気のある森の匂いを長く残した。


 静寂。

 俺はゆっくり槍を下ろし、肺の底から息を吐く。

 ナギサが背中から滑り降り、袖を握った指ごと俺の手を包んできた。

「レイン、痛いところは?」

「ない。お前は?」

「ない。……でも、あれ、きらい」

 ナギサの顎がわずかに少年の方をしゃくる。


 少年はまだ尻もちのまま、黒い板を握りしめていた。顔は青ざめ、だが口だけは妙に達者だ。

「ふ、ふーっ……あ、危なかった……いや、俺がわざとイベントを促したのかもしれない……これぞ主人公ムーブ……」


「誰だ、お前は」

 ダリオが短く問う。弓を下ろしきらない目だ。


 少年は胸を張り、どこか誇らしげに名乗った。

斎藤海斗さいとう かいと。日本、って国から来ました! 高校二年、特技は……えっと、スマホで検索……」

 黒い板――「すまほ」とやらをいじる指が震える。「電気が……ない? 圏外……?」


 俺は眉をひそめる。

日本にほん?」

「えっ、知らないの? マジで異世界じゃん! オレ、知識チートで無双するやつだから!」


 ナギサが即座に俺の腕にさらに強く抱きついた。

「レインは、ナギサのもの。……この人、きらい」


 ダリオは海斗を上から下まで値踏みし、鼻で笑う。

「その珍妙な告白が真実だとしても、ここにいる間は村の掟に従え。無駄口を叩く前に、身の振る舞いを覚えろ」


「お、おう……いや、リーダーは俺が――」

「リーダーは村長だ」

 俺とダリオの声が、奇妙に重なった。

 海斗は口をぱくぱくさせ、言葉を失う。


 村へ戻る道すがら、海斗は俺の横に寄ってきた。

「なあなあ、さっきの銀髪ケモ耳の子、紹介してくんない? 俺、こう見えても優しくして――」

「近づくな」

 俺の声は荒れていた。自覚して、短く息を吐く。

「彼女は怪我をしている。静かにさせろ」

「え、彼女……ってことは、やっぱヒロ――」


 ナギサの耳がぴん、と立ち、黄金の瞳が冷たく光った。

「それ、なに? ひどいことば?」

「……わかってなくていい」

 俺は首を振り、無言で歩調を上げた。


 村の門前。オルドおるどが松明を掲げ、待っていた。

 俺が黒い札を手渡すと、老人は皺だらけの指で糸の縁を探る。

「厄介だな。匂いにおいいん……“獲物の香りを留める”術だ。三日、と言っていたか」

「ああ」

「ならば三日、誰も余計な匂いをまとうな。火の煙も、血も、酒もだ。……それと」

 老人の視線が、海斗へ向く。

「お前、どこから来た」


「日本!」

「知らん。明日、広場で話を聞く。掟は守ってもらう。いいな」

「え、でも俺、主人――」


「三日だ」

 オルドの一言で、海斗は押し黙った。


 小屋に戻ると、ナギサはすぐに俺の袖を掴んだ。

「レイン。……寝るときも、そば」

「ああ」

 藁床に横たわると、銀の耳が肩にそっと触れた。

 外では、海斗の落ち着きのない足音がしばらく続き、やがて遠ざかる。

 闇の中で、俺は瞼を閉じた。

 光と共に降ってきた異物は、この村に何を齎すのか。

 黒外套は“三日”を刻んだ。

 三日で、何かが形になる。


――――――――――

レインれいん/(本名)アレン・ストラウドあれん・すとらうど

種族:人族ひとぞく

レベル:18(変動なし)/筋力:180/敏捷:150/耐久:190/魔力:130

特殊:死者強化デスブースト記憶霧散メモリ・フォグ(微)

注記:過負荷の回復安定。黒外套の匂い印に注意。

――――――――――


 数値の板は静かに消えた。

 明日の広場で、俺はまた嘘と沈黙の間に立つ。


____________________

後書き


 戦闘の最中に白光と共に現れた斎藤海斗さいとう・かいと、そして黒外套の撤退と“三日”の刻印。村は新たな異物と外の脅威を同時に抱えることになった。次回は、広場での聞き取りと掟の確認、海斗の言動が生む軋み、そして匂い印に対する備えを描く。

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