第2話:河合奈保子の謎について
文化祭の準備は着々と進んでいた。
軽音楽部は曲や効果音の練習、写真部は校内のホラーな雰囲気の場所を撮影してまわっていた。
10月中旬の午後、カイトは旧校舎の前でカメラを構えていた。
夕暮れの空は茜色に染まり、その光が旧校舎の窓ガラスに反射して、まるで内側から炎が燃えているかのように見えた。
日が沈むと、窓ガラスに映る自分の姿が徐々に暗くなり、闇の世界に引き込まれる感覚になった。
父のペンタックスのファインダー越しに見る風景は、現実よりも不気味さを増幅させた。それはまるで、この世界とは別の何かを映し出しているかのようだった。
シャッターを押す瞬間、窓の中に人影が映ったような…。
「ねぇ時任君!まだやってんの?」
振り返ると、軽音楽部と残りの写真部メンバーが近づいてきた。
角田が大きな声で呼びかける。
彼女はヘッドフォンを肩にかけて軽やかに歩いてきた。
「もう暗くなってきたよ。帰ろう」杉山が言った。
「あ、ごめん」カイトは慌ててリュックにカメラをしまった。
「もう少しだけ撮りたくて」
「写真オタクはキモイねー」角田がからかうように言った。
「でも、さすがにこんな時間にこんなとこにいるのはヤバいよ」
「なんで?」カイトが聞き返す。
「だって…」岩田が小声で言いかけたとき、背後からしゃがれた声が聞こえた。
「あらぁーーあ。まだいたの?みんな」
振り返ると、用務員の河合が立っていた。
腰の曲がった小柄な女性は、セブンスターをくわえながら大きな眼で彼らをじろりと見ていた。
頬には深いシワが刻まれ、茶髪に染めた髪は根元が白く伸びていた。
彼女はアイドルの河合奈保子と同姓同名という珍しさで生徒たちにも知られていたが、その実態は似ても似つかぬ存在だった。
「あのー河合さんって、アイドルの河合奈保子と同じ名前なんですよね」岩田が思わず口にした。
「そうだよ」河合は酒焼けのかすれた声で笑った。
「若い頃は私もきれいだったんだぞ」その言葉に信憑性はなかったが、暗がりの中で彼女の金歯が不気味に光るのを見て、誰も反論できなかった。
「はいはい!遅くまでお疲れさま」河合は続けた。
「そろそろ帰りな。こんな時間に旧校舎なんかにいると、ろくなことないよ」彼女はそう言うと、タバコの煙を吐き出した。
その煙が夕暮れの中で奇妙な形を描いたように見えた。
長い竜のような形が一瞬空中に浮かび、すぐに消えた。
「はい…」みんなが小さく答えると、河合は踵を返して歩き去った。
彼女の足取りは不思議と軽く、腰の曲がった体からは想像できないほどだった。
カイトが彼女を目で追っていると、河合の姿が暗闇の中で一瞬にして消えたように見えた。彼は思わず目をこすった。
「あれ?」
「どうした?」杉山が聞いた。
「いや、河合さんが急に見えなくなったような…」
「ファインダー覗きすぎて疲れたんじゃない」中島が答えた。
「それより早く帰ろうよ」
「そうだね…」カイトは不安げに暗闇を見つめながら頷いた。
帰り道、六人は大きなタコ型遊具が置いてある「タコ公園」の先にある商店街の肉屋でコロッケを買って食べながら帰った。
ネオンサインが輝き始め、NTTの公衆電話ボックスが青白く光っていた。
(つづく)
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