第40話二人で未来を歩んでいこう
「俺が『冷血皇帝』と呼ばれているのは聞いたことがあるだろう?」
「えぇ、隣国の話題ですからね。詳細に把握はできていなくても認識はしていました。」
『冷血皇帝』――諸外国の者たちは彼をそう形容するけど、正直ここまで言う必要はないのではないかと思う。
彼が血も涙もない残忍で冷酷だと言うのなら、マルダーや姫君たちはどうなる。
『自分たちは悪くない、相手が悪い』、そんな虚勢を張ってやりたい放題していた方がよっぽど暴虐的だ。
一体彼は、何を考えて私に問うたのだろう。
「俺は、皇帝になるときに父を殺した。」
彼はその青い瞳を伏せ、あまりにも静かに平然と言う。
フリーギドゥムの歴史背景やら、彼の回りを囲う実情を考えればすぐに分かること。
だから、心のどこかで告げられても大丈夫だと勘違いしていた。
実際に告げられると普通に心臓が変に跳ねたんだけどね。
「別にこれをやって後悔はしていない。むしろ、いつかやらなければこの国は衰退の一途を辿っていただろうからな。」
先帝の時代、フリーギドゥムの内部がどうなっていたのかを私はよく知らない。
ただ、皆が貧しさに苦しんでいたこと、明日を生きるための食糧さえ手に入らない状況だったということだけは知っている。
比較的平和なリュミエールで育ってきた私では想像もできない地獄。
そうであることだけははっきりと理解できるのだ。
「最初は君に伝えるつもりは無かった。ここにいれば嫌でも聞くことになるからな。でも、それは君に対して誠実ではない。」
誰にだって、ひた隠しにしたい過去はある。
代償は違えど、それを他人に伝えるというのは相当な覚悟が必要だ。
それが誰かを――家族を殺めたということならば、ますます告げるまでには多大な時間を必要としてもおかしくない。
「君が嬉しそうに、楽しそうにその優し気な目を俺に向けるから、隠したくなかったんだ。」
割れ物を扱うように繊細で温かい声色で彼は続ける。
一瞬目が合った彼の瞳は、彼と関わってきた中で一番穏やかな空の青だ。
知らなかった。
目つきがきついとか、威圧感を感じるとはよく言われていた。でも、家族以外に優し気だと言われるのは初めてだ。
「リュミエールで泣いていた俺に声をかけてくれた時と、全く同じ瞳を向けていたんだ君は。」
さらりと彼の白銀の髪が彼の青い瞳にかかる。
いつもよりも儚げな彼の姿。空気の中に消えゆきそうな雰囲気を漂わす。
思いだした。確かに私たちは昔、出会っていた。
*
5年前、私はまだ精神的に幼く破天荒な気質が目立っていた。
その日も有り余る体力をどうにか発散しようとして、森の中を駆けまわっていたのだ。
いつも通り、私よりも上背のある熊の魔物を屠ると、誰かがすすり泣く声が聞こえる。
だから、興味本位で声の方へ行ってみたんだ。
「お兄さん、ここに来るのは初めて?そっち側、魔物が出るから危ないよ。」
声の主は人里の方の木のうろで、縮こまっている。
シルクのような白い髪に、身に纏っている衣服は上等なもの。少年にしては筋肉質で、大人にしては華奢な体型。
いろいろとちぐはぐな少年が静かに、気づかれないように泣いていた。
その年にしては大きい体を小さなうろに一生懸命丸めているさまは、まるで穴の中に丸まって眠る猫みたいだったのが印象に残っている。
「えっと、お兄さん。ちょっと起きているの?本当にここ危ないから、泣くなら別の場所で泣いて?」
声をかけても微動だにしないのを見て、冷や汗が止まらなかった。
なんせ、その時期は魔物たちの繁殖期。
子を為すための食糧を求めて人里に頻繁に降りてくる時期だから、その場所にも出る可能性は高かった。
だから、引っ張ってでも連れていこうと思った。
でも、それはできなかった。
「尻が……」
「え、お尻?……あっ、ごめんなさい。」
よく見ると、彼は木のうろにお尻が嵌って出られなくなっていた。
見事なまでにぴったりと嵌っているみたいだ。
くびれの部分で鍵のようにちょうど固定されてしまったみたいで、引っ張ったとしてもそこで引っかかるのはすぐに理解できる。
「出ようとは努力したんだ。でも、そうするほど出られなくなってしまった。」
どうして、そうなったとか言いたいことはたくさんだったけど、そうも言っていられる余裕はなかった。
遠くから、獣の唸る声が耳に入ってきたからだ。
唸り声は徐々に大きくなり反響し始める。
なりふり構う余裕は私にはなかった。
「頭を伏せてください。一瞬で終わるから、そんなに怯えないで、ね?」
「別にいいけど、その鎖で何をするつもりかだけは教えてもらってもいい?」
怯えたようで、どこか引き攣った顔で私を見ていた少年に微笑みかけ、鎖で木のうろの一部を裂く。
バキッと鈍い音はしたが、割れたのは木の幹の一部だけなので気にしない。
「これでもう出られるようになってない?」
「え?あ、本当だ。……ありがとう。」
もたもたしながら彼は木のうろから出てきた。
ただ、どうしてかそのままその場に座り込んでいる。恐らく、長時間座っていたから足でも痺れたのだろう。
明らかに動揺して息が上がっている少年を放っておけるほど、私は非情でありたくなかった。
「ほら、手を取って。一人じゃ立てないんでしょ。」
そして、恐る恐る伸ばされたその白い手をしっかりと掴んだ。
*
「木のうろに嵌っていたのって、イヴァン様だったのですか。」
「……そう覚えていたのか。まぁ、衝撃的ではあったからな。」
イヴァン様は恥ずかしそうに目を伏せながら話す。
こうしてみると、案外変わっていないのね。
でも、変わった部分の方が圧倒的に多い。
前髪まで適当に伸ばされていた髪は、短く丁寧に整えられている。喋り方もどこか詰まり気味だったのが、堂々と威厳のある口調に変わっていた。
自信がないおどおどとした少年が、民を先導して導く威厳のある皇帝になるとはだれが思ったのだろうか。
「あの頃は父の圧政が一番ひどい時代でな、いつ死ぬのかも分からなくてずっと怯えていた。隣国に避難をしていても、その気配は背後でずっと蠢いていたからな。」
平気そうな顔でそう振り返る彼の目は、どこか寂しそうだ。
「『明日が、未来がどうなるかなんて分からないのに、起こってみなきゃ分からないことに怯えて、楽しいの?』、この言葉を君は覚えているか?」
彼と初めて会った時を思い出した今、その言葉も鮮明に蘇る。
確か、日が暮れる頃手を引いているときに、幼いころの彼にこう問われたのよね。
『君は明日なんて保証のないものを楽しみに生きているの。そんな恐ろしいものに胸を馳せるなんて、おめでたい頭だね。』
その時は煽られたと思って、つい強い言葉を返してしまった。
でも、よくよく思いだしてみると、自分があまりにもおとなげなかったと感じる。
だって、あの時の彼の目には確かに怯えが宿っていたし、握られる手もふるえていたのだから。
「嬉しかったんだ。未来を見ていいんだ、希望を持っていいんだ。そう前を見られたのは君のおかげだったんだ。」
彼は改めて、私の方に体を向ける。その手には彼の大きな手に収まる程度の小さな小箱。
「今でも、明日が怖いと思うことがある。でも、それすらも含めて楽しんで生きていこうと思えたのは君がいたからだ。
俺は君と明日を生きたい。だから、これからもずっと一生一緒にいてほしい」
矢にでも射られたような気分だ。
まさか、彼がここまでまっすぐに言葉を告げるとは想像できなかった。
彼の手の中には、小さな若草色の宝石が嵌められた指輪。
覚悟を決めたように、彼はその青い瞳をまっすぐと私に向ける。
私の返事はもう、決まっていた。
「えぇ、もちろん。私もあなたとの未来が見たいわ!」
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