第五章 四話 聖騎士の誓い

 ――夜の焚き火。仲間たちが眠りにつき、静けさだけが街を覆っていた。

 モルドは剣を膝に置いたまま動かない。瞼を閉じれば、仲間を失った記憶が脳裏に蘇る。

 鮮烈すぎる光景。胸を貫かれるランスの姿。部下たちを守れと託された最期の眼差し。

 そして、自分の無力さ。


 拳が自然と震えていた。

「……ランス」

 唇から漏れた名は、夜風にすぐかき消された。

「俺は、また誰かを失うのか……?」


 奥歯を噛みしめ、焚き火を睨む。やがて、低い声が洩れた。

「……メフィスト。そこにいるんだろう」


 呼びかけに応えるように、炎の向こうに黒い影が伸びた。煤のように揺らめくその輪郭は、徐々に形を結び、愉快げに微笑む悪魔となる。

「ふむ、呼んだのはお前か。ずいぶん真剣な目をしているな」


「力が要る」モルドは言い切った。

「このままでは、また仲間を死なせる。……もう二度とごめんだ。亡き友のためにも、これ以上は俺の無力で誰かを失わせるわけにはいかない」


 影がひときわ揺れ、メフィストの赤い瞳が楽しげに光った。

「ほう、力を欲するか。ならば代償は――」


「心臓を捧げる」

 モルドの返答は即答だった。


 メフィストが目を細め、笑みを深める。

「ほう、命が惜しくないのか?」


「亡き友のため。仲間を守るため……俺にかけられるものなど、これしかない」


 短い沈黙。焚き火がぱちりとはぜた。

「……気に入ったぞ。契約成立だ。ただし、貴様の心臓は然るべき時に頂く」


 胸の奥に冷たい印が刻まれる感覚が走り、モルドはわずかに息を詰めた。

 だがその瞳は揺るがなかった。

「構わん。その時までは、この身すべてを仲間に捧げよう」


 影は肩をすくめ、炎の揺らめきに溶けて消える。

 ――その誓いが、今、剣に力を宿した。



 ヴェルーヴムの広場。

 呪いの魔女モルガナが吐き出す淀みは街を覆い、人々の膝を折らせていた。

 空気は重く、呼吸だけで体力を奪われる。


 だが、そのただ中でモルドは一歩も退かない。

 聖騎士の契約が光となって彼を包み、呪詛はその皮膚を焼かず、筋肉を蝕まなかった。

「行くぞ、カイム!」

「ああ!」


 二人の剣が同時に閃く。

 モルドの一撃は呪いを断ち、カイムの刃が隙を突く。灰青の髪が散り、モルガナの金の瞳がわずかに細まった。


「人間が――しつこい」

 紫の唇が歪むと、暗紫の光点が空中に無数に生まれる。

 瞬く間に球体へと変わり、心臓を狙うように曲線を描いて襲いかかってきた。


「呪いの魔弾! 気を付けて!」ティナが叫ぶ。

 クリスの掌が走り、小障壁が次々と生まれては弾丸を逸らす。だが数が多く、いくつかは鎧を貫き、黒い斑点を広げた。

「ぐっ……!」

「下がって! 私が治す!」


 クリスは回復光を流し込みながら、別の手で障壁を編み続ける。汗が顎を伝い、消耗が急激に進む。


「くっ……!」カイムの膝が沈む。

「カイム、戻って!」

 クリスの障壁が彼の体を支える。

「……悪い」

「いいのよ、まだ立てる!」


 モルガナは艶然と笑う。

「ならば――雨を降らせてあげる」


 空が黒雲に覆われた。次の瞬間、無数の影針が雨となって降り注ぐ。

 肌に触れた瞬間、体温が奪われ、四肢の感覚が痺れていく。


「魔霧雨……!」ルーカスの表情が険しくなる。「分解は……間に合わない!」


 モルドが剣を掲げ、光で雨を裂く。だがすべてを防ぎきれず、仲間たちが次々と蝕まれていく。


 ルーカスが奥歯を噛みしめ、腕を振り抜いた。

「空気……借りるぞ!」

 暴風が唸りを上げ、黒雲を裂き、雨を吹き飛ばす。


 だが直後、彼の膝が崩れた。

「ルーカス!」

「……大丈夫だ。ただ少し寝るだけだ」

 乾いた笑みを浮かべて、意識を手放す。ティナが矢筒を抱えたまま駆け寄り、守るように立ちはだかった。


 クリスは必死にカイムの胸へ光を送り込む。

「呼吸して……吸って、吐いて……」

 温もりが心臓に戻り、血が再び巡る。

「……助かった」

「まだよ。今度は倒れないで」


 カイムが立ち上がると、クリスは新しい術を編む。

 障壁に回復の力を織り込み、仲間の動きに沿うように纏わせる。

「回復を織り込んだ“流れる障壁”よ。動きを止めずに守れるはず」

 光がカイムの腕を包み、痛みが和らいだ。

「……悪くない」


 再び前線へ。モルドとカイムの剣が連携し、ティナの矢と声がそれを支える。

「左から! 今度は上!」

 小障壁が刃を逸らし、矢が呪弾を撃ち落とす。完璧な連携が生まれていた。


 モルガナの瞳が苛立ちに揺れる。

「鬱陶しい人間ども!」

 二人の刃がローブを裂き、呪紋が露わになる。


「これで――!」カイムが叫ぶ。

「終わらせる!」モルドが応じる。


 二人の刃が喉元を捉えた、その瞬間。

 黒い荊が爆ぜ、視界を覆い、距離が引き裂かれた。


「逃がさない!」

 ティナの矢が三本走る。だが影がねじれ、矢は空間に呑まれる。


 裂け目の奥へ、モルガナが後退していく。

「人間、思ったより楽しめたわ。続きは――あの方の御前で」


 黒が閉じ、広場に沈黙が訪れる。



 呪いの残滓が霧散し、兵士たちの呻き声が戻る。

 クリスは仲間を癒し、ティナが警戒する。

 カイムは剣を納め、モルドと視線を交わした。


「……逃げられたな」

「ああ」モルドは胸に手を当てる。そこに刻まれた冷たい契約を確かめながら。


 だがその声は揺らがなかった。

「次は仕留める。必ず」


 聖騎士の剣が、静かに鞘へと戻る。

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