第18話 オタク、レシピを売る
昼食は水飴を使った煮物だった。
バターと塩、香草の味付けに水飴が忍ばせてある。
根菜のえぐみや肉のクセが取れて、柔らかい味付けになっていた。
「女将さん、今日の煮込みはうめぇなぁ! おかわりくれ!」
「こっちもおかわりだ! 何かわかんねぇが、やたらと食いやすい!」
食堂は大賑わいだった。
女将さんに頼まれて、作った水飴を半分売ったからね。
買ってきたモルトも全部渡して、今後は女将さんが手間暇かけて作ってくれた水飴を割安で売ってもらうことになった。
どうせ自分でも仕込むから、ついでに作るよ、だそうだ。
それは、高価な砂糖の代わりを自分で作れるんだ。誰だってそうするだろう。
こっちもプロに作ってもらえるので、それで快諾した。
「お待たせ! おかげで今日の昼は完売だよ! さぁ、午後は何を作るんだい!?」
厨房の片付けを終えた女将さんが、ニコニコ顔でやってきた。
水飴を使って別の料理を作れる、と言ってあったので、それが目当てのようだ。
「オタクくん、何作るの?」
クルスさんが目を輝かせている。
甘いものに目がないものね、この人。
「オタクくんの料理、ちょー楽しみ!」
「ね、ね、オタクくん。彼女通り越して、ウチの嫁にならない? 大事にするよ!?」
エイジャさんとリーシャさんもテンションが高い。
リーシャさんにいたっては、目の色を変えて口説いてくる。
ぼくが嫁なんですね。逆ではなく。
というわけで、みんなで厨房に移動した。
「じゃあ、水飴を使った『お菓子』を作りますね。……女将さん、卵と乳をもらっても良いですか?」
「コッコードの卵と、牛乳で良いかい? 牛乳はまだ生だから、火を通さないと腹を壊すよ」
この世界の牛乳は普通の牛のものだ。
さすがに、気性が荒い魔獣を乳牛として飼い慣らすのは無理だ。
街の端っこの街壁の中に、酪農場がある。
「大丈夫です。じゃあ、いただきますね」
材料費は、レシピと引き換えだ。
コッコードの卵を割って、フォークで、白身を切るように溶いていく。
白身は固まり状になってるので、切ってほぐさないと液状の黄身と混ざらないんだ。
で、そこに冷めた水飴を混ぜて、溶かしていく。
甘い卵液ができあがったら、生の牛乳、生乳で伸ばす。
香料が欲しいけどバニラエッセンスがないので、代わりにシナモンを削って混ぜる。
陶器のカップに入れて、先に表面の泡をフォークでつついて潰していく。
しばらく置きながら泡を潰さないと、蒸したときに『す』が入っちゃうからね。
で、鍋の底に低めに水を張って、お皿を敷く。
お皿の上に中身を入れた陶器のカップを並べて、蒸し上がれば『プリン』のできあがり。
長い金串を二本鍋の上に渡して、蒸気がフタを伝って垂れないように、清潔な布をかぶせる。
後はフタをして、半分湯煎状態で蒸していけば、完成だ。
「そろそろ良いかな。上に水飴を少しかけて、食べてみてください」
蒸し上がりを初級氷魔法でゆっくり冷やして、みんなに試食してもらう。
本当はカラメルを作りたいけど、初めての料理で『苦み』があると毒気を疑われかねないので、控えておいた。
「美味しい! コッコードの卵の味が、牛乳でまろやかになって!」
「あまっ! 口ん中でとろけるし! 初めての味!」
みんな驚いている。
その中で、女将さんは真剣な顔で味見をしていた。
「美味しい。……これ、『プディング』だね? パンが入ってないと、こんなに滑らかになるんだね」
「そうです。だから、名前もなまって『プリン』と呼んでます」
『プディング』は、プリンの語源になる蒸し焼き料理の総称だ。
イギリスの『ヨークシャー・プディング』なんかが有名だね。
卵と牛乳の汁にパンを浸して、器ごと蒸し焼きにするのがパン・プディング。
甘みのないフレンチトースト入りの茶碗蒸し、みたいな料理だ。
パイ皮を器の内側に敷いて焼くと、『キッシュ』という別の料理になる。
「器ごと作るんで、多少分量を間違えても型崩れしないのが良いところです。一度に作って、置いておけますしね」
焼き菓子なんかも作りたいけど、お菓子は分量を間違えると大変なことになる。
特にクッキーやスポンジケーキなどは、小麦粉が多すぎると硬くなりすぎて美味しくないのだ。
その点、このプリンなら、目分量でも多少の誤差ならそれらしいものになる。
「良いね。このレシピ、売っておくれでないかい? 言い値で払うよ」
「はい。ぼくの自作レシピじゃないんで、そんなに高くは取れませんけどね。……コツは、卵の白身は柔らかくても固まりなんで、それを細かく切って散らす、くらいですかね。じゃないと牛乳と白身が分離します」
女将さんの提案を、ぼくはすぐに承諾した。
プディング自体は元々あるし、水飴という甘味料があれば普通に作れる代物だ。
卵は匂いが強いので、今回はシナモンを使ったけど。
「小麦粉を使った焼き菓子も作りたいんですけど、分量が難しいんですよね。後はカスタード・クリームとかくらいですか」
卵と牛乳があるので、小麦粉ももらってカスタード・クリームも作ってみる。
牛乳を鍋に移し、沸騰する直前まで温める。
その間に卵黄、水飴を器に入れて、よくかき混ぜる。
白っぽくなるまで空気を含ませるんだけど、泡立て器がないのでフォークを束ねて代用。
そして、小麦粉少々をさっくりと混ぜて、粒が溶けるけど粘り気は出ない、くらいに軽く馴染ませる。
混ぜすぎるとグルテンが結合してガッチガチになっちゃうので注意。
で、温めた牛乳を冷ましながら、少しずつ少しずつ、注ぎながら混ぜていく。
一度に入れると卵が熱で固まっちゃって分離するのだ。
混ぜ終わったら、中身を鍋に戻して、木べらでゆっくりとかき混ぜながら熱を通す。
香り付けにシナモンを少し入れて、とろみがついたら火から下ろして冷ます。
これでカスタード・クリームの完成。
試しに薄切りパンにたっぷり塗って食べてみてもらう。
「これも美味しい! ああ、夢みたい……! こんなに甘いものがたくさん食べられるなんて……!」
クルスさんの表情がとろけている。
エイジャさんとリーシャさんもきゃっきゃと喜んではしゃいでいた。
「良いねぇ。プリンと似た味だけど、クリームなら色々使えるね。パンも良いし、果物を混ぜるだけでも美味しそうだ」
ちょっとしたミニパフェみたいになるだろうね。
後は、料理人である女将さんに任せよう。自分で作るのはめんどい。
分量が量れればシュー皮が作れてシュークリームも作れるんだけどなぁ。
グラム単位で決まってるお菓子の材料を量れる機材なんて、この世界にはない。
すべては職人のカン頼りだ。
生乳があるから生クリームも作れるはずだけど、泡立て器もないんだよなぁ、この世界。
日本の料理を再現しきるには、日本並みの調理器材が何もないのが悩みだ。
「このクリームは果物と一緒にパイに包んで焼いても美味しいですよ。女将さんの料理を楽しみにしてますね」
「任せときなよ、美味しい甘味を、この宿の名物にしてあげるからね!」
これからも美味しいスイーツが食べられそうだ。
何か再現できそうなレシピがあったら、どんどん女将さんに頼んでいこう。
美味しい甘味が定宿で食べられると聞いて、クルスさんが目を輝かせていた。
完全に夢見る乙女だ。
頬を染めて、そっとぼくに耳打ちしてくる。
「オタクくん、ありがとう。……お礼に今夜はいっぱい、気持ちよくさせちゃうからね」
女将さんには聞かせられないご褒美をささやかれた。
振り返ると、エイジャさんとリーシャさんもにんまりしている。
まだ日が高いうちから、なんて話題を。
幸い女将さんには聞かれていなかったらしく、どんな甘味が作れるか夢中で検討していた。
まぁ、聞かれなかったならいっか。
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