第5話 二人の宿禰

 時は、いまだ日の高い、日中ひなかに遡る。

 船着き場にて武内宿禰たけしうちのすくねを出迎えた息長の宿禰王すくねおうは、舟屋に客人をいざなった。いつもは水夫かこたちが躰を休めるために使う、むさくるしいところだが、香りのよい草で丁寧に掃き清め、浄められた布を張り巡らせて、見目よくしつらえている。

「いかがでしたか、交易船は」

「いや、まったく見事ですな。纏向まきむくの大王の御舎みあらかが海に浮いたかと思いました。まさに息長の木工きだくみは、この秋津洲あきつしまで抜きんでておりますな。」

「ご謙遜を。武内どのの本拠は名にしおう紀の国。木の扱いもなにもかも、こちらより優れておられましょう」

 そう言って、宿禰王は胡床をすすめ、自らも腰を下ろした。

 女たちが、碗や小皿を運び、二人の横の卓に置いた。硬く焼きしめられた陶器すえのうつはもので、小皿には昆布と醤で煮た豆が、碗には温かい湯が湛えられ、紅い杏のようなものが底に沈んでいる。口元に近づけて湯の香を嗅ぐと、鼻腔から脳天まで、馥郁とした薫りが駆け抜けた。

「………酸梅ソワンメイ?」

 武内宿禰はおもいがけぬものに出くわして、息長の宿禰王を見やった。

 その視線を受け止めた宿禰王は、その双眸に瓊玉ぬなだまの白緑が宿っているのを見て、酸梅ソワンメイがなにがしか、この男の胸中を揺さぶったのだと感じた。

酸梅ソワンメイに蜂蜜をかけて、湯をそそいだものです。船酔ふねのどくを鎮めてくれます」

 武内宿禰は目元を緩めて、その香りを深く吸い込み、存分に堪能して、ゆっくりとその残り香を吐き出した。

舶来わたりのものですか。良い香りです」

 口に含んで、また笑む。

「ええ、力仕事をする丈夫ますらおたちに与えると、躰の調子がよいというので、大陸との交易の際に甕ごと持ち帰っているのです。塩に漬けるので、うまくすれば幾年ももつのだとか。さすが武内どの、よく知っておられましたな」

 交易で手に入るとはいえ、よく出回っている品ではない。もちろん交易の路は北つ海だけに限ったものではなく、筑紫に荷揚げされるものもあれば、速吸門はやのすいとから内海を通って河内に至り、大和に入るすじもある。

「昔、大陸から渡ってきた男に、食べてみるかと聞かれました。あまりのしおからさに肝が縮みましたが」

 大王の遣使つかいのきみは、冗談めかして逸話を披露し、さざなみのような笑い声をたてた。息長の宿禰王も、それに応じて笑う。

 武内宿禰は酸梅湯ソワンメイタンを干して、まだぬくもりのある器を卓に戻した。

「……そう、木材きのざいには恵まれております。我が紀の国は種々くさぐさの樹々をあめより授け、使い途を定められた五十猛命いそたけるのみことの坐すところ。ですが、船を造る技については。……こちらでは舶来わたり船工ふなだくみの技と知恵を取り入れておられましょう。」

 宿禰王は微笑んだまま、器を口に運んだ。言わずもがなのことだ。船上、舟屋あたりで飛び交う言葉、それらが何より瞭然はっきりとその事実を物語っている。

「そして、この器。陶器すえのうつはものは大和では玉とおなじほどに重んじられ、貴ばれる。それは、どのように作るかがまだ大和には伝えられていないからです。息長はこの角鹿で、あちらの国の工人たくみを多く抱えておられるようだ。この角鹿を開いた都怒我阿羅斯等命つぬがあらしとのみことの縁でしょうか」

 またも宿禰王は、微笑みで応じた。

「角鹿はご覧のとおり小さな郷です。平地ならちも、さほど広くない。しかし、大波が入ってこない水門みなと、大船を着けるに適した海の深さのある岸に恵まれている。ここを領有うしはく多遅摩の族と固く結びついたことは息長にとって大きな収穫だった。そのように思います」

 かつて、加羅の国の貴人あてびとである都怒我阿羅斯等が、加羅の国を離れてこの秋津洲にたどりつき、流転のすえこの角鹿の郷を見出し、国を、水門みなとを開いたと言われている。その子孫うみのこが、宿禰王の嫡妻むかいめ高額比売たかぬかひめだ。高額比売は葛城の当麻の豪族である父と、多遅摩の比売である母のもとに生まれた。

 武内宿禰は、両の手の指を組み、両膝に肘を置いて、身を乗り出した。

「宿禰王どの、あなたは纏向の御舎で、私が角鹿にて船を見せていただきたいとお願いしたとき、お見せできる船が戻っているかわからぬと、いらえを濁された。それがなぜいま、ここまで手の内をお見せになるのです?」

 角鹿を訪ねるということは、息長の、淡海おうみ領内くにうちを、さらけだせと言うに等しい。どれほどの田があり、人々がどのような住まいをし、どんな道具を使っているか。それを、端から端までつまびらかにせよと。どれほど豊かな一族であるかは、それで、手に取るようにわかる。

 息長の宿禰王は、指先で顎をしごいた。

「ここなら、誰の邪魔も入らず、貴方の胸内をお聞きできると思いましてね」

 

 鳶が高く鳴いた。海風が汐の香とともに舟屋に吹き込んでくる。

「こう申しあげてはいささか直截にすぎますが、武勇いさおしに恵まれ、英邁の誉れ高くあられた淤斯呂和気おしろわけの大王も、老いられた。我々豪族の御前での議事はかりごとも、よく理解しておられるのか。そのおかたが、交易に自ら腰をあげられようというのは、解せません」

 宿禰王は、これまでの取り繕いをとりはらって本題に斬りこんだ。武内宿禰、纏向の日代ひしろの宮の中枢にあって、淤斯呂和気の大王の最も信を置かれているという男に。

「もちろん、お察しの通り、大王が外つ国との交易を始められたい願われているというのは、私が息長をお訪ねするための建前です」

 武内宿禰も、あっさりと白状した。口実であると見抜きながら、おのが領内くにうちを横断させ、このおくに誘い込む胆力のある男に、隠し立てしても価値はない。

「誰の邪魔も入らぬところで、お話ししたかったのは、大王の日継ひつぎについて。大息長の魁帥ひとごのかみたる宿禰王どのと、肚を割って話をしたかったのです」

 冴え冴えとした宿禰王の黒曜石の双眸が、武内宿禰の瓊玉の揺らめきをもつまなざしをうけとめた。

「淤斯呂和気の大王は、打ち寄せる老いの波になすすべなくおられる。昼に夜に、小碓おうすみこのまぼろしに怯え、罪贖つみのあがないに悩まされておられる。

 ご存じの通り、淤斯呂和気の大王は、お立場上、というだけでなく多くの妃をお持ちになり、比古、比売も数知れずですが、小碓おうすみこは明らかに抜きんでておられた。容貌かおかたちかかやくごとく、丈高く、煥発な才気をお持ちで……、淤斯呂和気の大王は我がめぐしし子と、ことのほかいとしんでおらた。……しかし、あるとき、それが畏れに変わったのでしょうな。かずかずの戦功いさおしをあげ、まつろわぬ民を平らげて、ヤマトタケルとよびならわされたみこが、大王をおびやかすのではないかと。大王は、小碓の王を遠ざけられた。小碓さまは、東国を平らげるために立たれ、そして、大和に戻られることなく、かみあがりされた。……胆吹山いぶきやまで得られた病がもとで。」

 宿禰王の薄い唇が、話をひきとった。

胆吹山いぶきやまで、白い猪、あるいは巨大な蛇にいきあい、侮りを口にされた。しかし、これが神の御姿で、神はあらみたまをおあらわしになり、王(みこ)は氷雨に打たれて病を得られ、尾張に引き返されて、むなしくなられた」

 胆吹山は、息長の祖神みおやがみのいます神奈備の山。

 「残念なことです。我が息長の郷に降りられれば、舶来の薬を尽くして、おいのちを永らえていただけたでしょうに」

 __いのちまたけむ人は 疊薦たたみこも 平群へぐりの山の

   熊白檮くまかしが葉を 髻華うずせ その子

 宿禰王は小さく、小碓の王が詠んだと伝えられる思国歌くにしひのうたを口ずさんだ。

 ぬけぬけとした、見事なまでの虚言そらごとだった。実際のところ、どのようなやりとりがあって、その策謀がはかられたのか、武内宿禰は知らない。しかし、語り伝えられているように、小碓の王は、息長の神奈備である胆吹山にて死に至る病を得て、大和に戻ることなくかみあがりした。

 大和に還ることを阻んだのは、そのようにさしむけたのは、淤斯呂和気の大王、そして実行したのは、大王の意を汲んだ息長しかありえない。

 もちろん、もう生まれた子が成人になるほどの年月としつきを経た、旧事ふるごとだ。そのころの息長をひきいた魁帥は、先代の美知主王みちのうしおうか。

「小碓の王を失われて、淤斯呂和気の大王は、日継ひつぎみことなるべき方を失われてしまった。王も比売も数多おられるが、なみいる豪族を納得させる方はおられなかった」

「……それで、小碓の王の御子、大王にとっては孫にあたられる仲津日子なかつひこ様に?」

 死してなおそのかかやきは、大王の御舎のそこかしこに灼きつき、面影はなおも失われない。しかし、死者はもはや、怖ろしくはないのだ。

「仲津日子様は、小碓の王の嫡妻むかいめ両道入比売ふたじいりひめはられる方。両道入比売はさきの伊久米の大王の娘。血筋としては申し分ない」

 しかし、それとて諸手をあげて推し戴くには、弱いだろう。仲津日子の武勇いさおしが優れているとか、うつくいつくしびの心が際だって深いとか。なにか人に勝るところが、聞こえてきたことはない。

「……彦人大兄ひこひとのおおえ様が、黙っておられますまい」

 宿禰王は、やんわりと指摘した。大兄おおえ、とは、次の首長おびとを継ぐべきと定められた者に与えられる称号だ。大兄おおえの名乗りを赦されるということは、後継に選ばれたことと同義である。

「彦人大兄様は、播磨の伊那毘いなび稚郎女わかいらつめの生みまいらせたみこ。姉の大郎女おおいらつめ大后おおきさきが生みまいらせた小碓おうすみこのお子とはいえ、大兄の名指しをうけた彦人どのをさしおいて日継ひつぎが頭を飛び越えていくのは、母君ともども穏やかでいられないのでは?」

伊那毘いなびの翁は、この話に前向きなのですよ」

「……ほう。」

 宿禰王は内心の驚きを隠せなかった。

 播磨宿禰伊那毘はりまのすくねいなびは、二人の娘を淤斯呂和気の大王の後宮きさいのみやにいれ、その鼻息の荒さ、豪胆さから大和の豪族うちで、播磨の老亀と、揶揄と畏怖をこめてあだ名されている。大郎女おおいらつめは淤斯呂和気の大王の大后として立てられ、小碓おうすみこを生んだ。また下の娘である稚郎女わきのいらつめが生んだ子は、彦人大兄として、一段、高く置かれている。

「伊那毘の翁は、彦人大兄どのへの日継を見送り、仲津日子様に日継をされる条件として、彦人大兄の比売、大中比売おおなかひめ嫡妻むかいめとするならば、と言っておられます」

 宿禰王は、老亀のあだ名の由来として、鍛えた肩に首がすぼまるように治まった老人の、矍鑠とした面構えを思い浮かべて、苦笑した。

「抜け目のないご老人だ………」

「かつての息長の、……丹波の美知主王みちのうしおうのように、大王の産みの母のうからとして、力を揮いたいのでしょうな」

 宿禰王の大叔父にあたる美知主は、娘を四人よんたりも伊久米の大王の後宮きさいのみやにいれた。淤斯呂和気の大王はその兄比売えひめである氷葉酢比売の生みまいらせたみこである。

「・・・・宿禰王どの。なぜ息長は、淤斯呂和気の大王に一族の比売を入れなかったのです?淤斯呂和気の大王も、ははうからに親しみをおぼえておられるのは間違いない。大王が否むことはなかったはずです」

 その不在につけこんだ播磨が、いま権力伸張している。

「さて、としごろの、似合いの比売がちょうど居なかったのではないですか」

「宿禰王どの」

 父子ほど年が離れていようと、政治的な結びつきであれば、問題にはならない。

「……さて、先代の、父の迦邇米かにめのころの話ですから、私も本当のところは知りません。が、父の迦邇米は、郷外くにそとにむけての活動を精力的にしていた大叔父美知主を横目に、郷内くにうちを固めることに重きをおいておりましたから、何らかの考えがあったのかもしれません」

 穏やかに滔々と語る宿禰王に、武内宿禰はおのれが知らぬ間に熱くなっていたことに気付いた。

「いや、これは・・・・うからのありように口を差し挟むようなことを、申し訳ない」

 武内宿禰は頭を垂れて詫びた。

 うから弥栄いやさかをどのように導くかは、族の魁帥ひとごのかみに課せられた最も重い命題だ。舵取りを誤ると、一族の滅びにつながる。舵取りを誤ったがために、つみなされて滅ぼされた例を、いやというほど見てきた。

 息長の宿禰王は、幾年を生きたか知れぬと噂されている男の謙虚な振る舞いに意表を突かれた。

 武内宿禰は、はっきりと息長の宿禰王を見据えた。

「ですから、息長殿。ここからは、お願いを申し上げることになる。息長の比売を、仲津日子様にめあわせていただきたいのです。播磨の力が、他を圧倒せぬように」

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