第41話 策を練る庶民



――まずは距離だ。とにかく距離を取れ。

スコールは反射的に後方へ飛び退いた。革靴の底が石畳を擦り、乾いた音が展望デッキ《ステラテラス》に響く。


アイリス・ヴァレンタインとの距離、およそ十五メートル。

正面に立つ彼女は、白銀の指輪――星環器星導環を掲げたまま微動だにしない。夜風がプラチナブロンドの髪をさらい、淡い光を帯びた水晶盤が周囲に展開される。


(……腹、括るしかねぇな)


スコールは深呼吸を一つ。胸骨の奥で脈打つ自分の星環器に意識を集中させた。

星脈の循環音が耳鳴りのように響く。鼓動と重なり、血流に似た熱が全身を駆け巡っていく。


(考えろ……アイリス・ヴァレンタインの力、《星霊演算》。未来を読む異能。いや、正確には「確率の偏向と演算」だ。見えた未来に介入できる。星誓の文言は“観測した未来にのみ介入可”。つまり……見えてなけりゃ防げない。逆に言えば、観測したものは絶対に外さねぇってことだ)


スコールは頭の中で、これまで得た情報を箇条書きのように並べ始めた。



◆アイリス・ヴァレンタイン 戦闘情報整理

・運用枠組み:特異(未来演算)+投射補助

・星環器:《星導環》

・星誓:「観測した未来にのみ介入可」

・顕装状態:現在は「初顕」

・効果:光の水晶盤を展開、対象の行動軌跡を“星図”として描き出す。

・特徴:予測は“確率の濃厚な結果”に基づく。完全予知ではなく、確率演算。

・弱点の仮説:視界に入らない行動には対応できない。演算不能な“ノイズ”には弱い可能性。



(つまり……真正面から突っ込めば俺の攻撃は全部バレバレ。彼女の“未来の地図”に記されて、俺はその通りに叩き伏せられる。拳も蹴りも投射も全部読まれる。しかも今は「初顕」。展開されてる盤は一枚だけだけど、これでも充分厄介だ……)


スコールは冷や汗を拭いながら、無意識に拳を握った。

アイリスはまだ動かない。悠然と構え、まるで「いつ動いても対応できる」と言わんばかりの余裕を漂わせている。


(なら……どうすっか)



頭の中に、教官グラディウスの言葉が蘇る。


「戦いは力を振るうだけじゃない。制約と制御の証明だ。

星環器は“誓約を裏切る者”には応えん。だが、制約を知り抜き、相手の制約を突ける奴が勝つ」


(そうだ……アイリスの星誓は“観測した未来にのみ介入可”。逆に言えば、“観測できない未来”は介入できねぇ。つまり、こっちが“視界の外”から攻めれば隙ができるかもしれない。だが、それをやろうとすれば――)


胃の奥がキリキリと痛む。

彼の誓約は「受けた技にのみ干渉可」。つまり攻撃を受けない限り、逆位相共鳴は発動しない。

これはすなわち――守りのための力ではなく、“リスクを負った反撃専用”だ。


(畜生……。こっちは「受けてから反撃」、あっちは「見る前に対応」。相性が最悪すぎる!)



『ククク……いいじゃねぇか相棒。殴られてからが本番、まさにお前らしい戦い方だぜ』

「今頭使ってんだから静かにしてろ!」

『お前の頭脳戦なんざどうせ失敗すんだろ。だったら派手にぶん殴られた方が早ぇんじゃねぇか?』

「黙ってろっつってんだ!」


内心で竜人格テンペストに毒づきながらも、スコールは必死に思考を巡らせた。



◆星導環・初顕状態の特徴と対策


1. 展開範囲

水晶盤はおよそ直径三メートルほど。視覚情報を捕捉し、未来の軌跡を描く。

 → 盤の範囲外からの攻撃は誤差が生じる可能性あり。


2. 演算の精度

初顕では展開数が一枚のみ。

 → 複数対象や複雑な軌道には処理負荷がかかるかもしれない。


3. 弱点の仮定

・死角や不規則な動きには対応が遅れる。

・“未来が存在しない動き”には演算できない。

(例:マナの乱流、位相干渉によるノイズ、あるいは――俺の《逆位相共鳴》)



(つまり、俺がやるべきは――)

スコールは脳裏に一枚の戦術地図を描いた。


・第一段階:とにかく相手の攻撃を受ける。俺の能力を起動させるには、それしかねぇ。

・第二段階:演算を撹乱する。アイリスの盤が処理しきれないような“ノイズ”を作る。

・第三段階:未来を読めない一撃を叩き込む。


(この三つをやり遂げれば、ワンチャン勝てる……かもしれねぇ!)



「……ふぅー」


スコールは大きく息を吐き出した。恐怖で固まっていた筋肉が少しだけほぐれる。

拳を握り直し、背筋を伸ばす。


「よし、決めたぞ……。やってやるよ!」


その声に応えるように、アイリスの水晶盤が淡く光を増した。彼女の青い瞳が静かに細まり、標的を完全に捉える。


「では――参ります」


瞬間、夜空を切り裂く光の軌跡が走った。


スコールは息を呑み、最初の一撃を受ける覚悟で前に踏み込んだ――。

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