第37話 距離が縮まる瞬間



夜風が頬を撫でる。

展望デッキ《ステラテラス》の上で、俺とアイリスは並んで立っていた。


「……綺麗、ですわね」


彼女の吐息混じりの声が、夜空に溶けていく。

普段は毅然とした声色ばかりなのに、今のそれはどこか柔らかい。


――くっそ、可愛い。


その横顔を盗み見た瞬間、俺の心臓は危うく爆発しかけた。

長い金糸の髪が夜風に揺れて、星の光を反射している。

まるで夜空に描かれた神話の一部だ。


(……いやいや、落ち着け俺!)


ここで鼻の下伸ばしてニヤけたら即終了だ。

庶民の俺が令嬢に「キモい」と思われたら、もう学園で生きていけねぇ。


「……こうして星を眺めるのは、久しぶりですわ」

「へぇ、そうなんですか?」


俺はできるだけ自然体を装いながら返す。


「ええ。家にいた頃は、夜会や式典ばかりでしたから。

静かに空を見上げることなど、滅多にありませんでしたの」


アイリスは少し目を伏せ、寂しそうに笑った。

……あれ、なんだ? 普段の彼女からは考えられないくらい、素直な表情じゃねぇか。


(これ……チャンスじゃね?)


庶民だとか貴族だとか関係なく、人と人として話せる時間。

今なら、アイリス・ヴァレンタインっていう「人間」に、少しは近づけるかもしれない。


「俺は逆ですね」


思わず口を開いていた。


「軍にいた頃は、星を見上げる余裕なんて全然なくて……。

だから、こっちに来てからの方が、よく夜空を見てる気がします」


「……ふふ」


アイリスが小さく笑った。

嘲笑でも、皮肉でもない。

本当に、楽しそうに。


「あなた、面白い人ですわね」


(うおおおおおおお!?)


その一言に、俺の脳みそは一瞬で沸騰した。

面白い、って褒め言葉だよな!? バカにされてるわけじゃないよな!?


(……よし、距離は確実に縮まってる!)


心の中で再度ガッツポーズ。

テンペストが肩の上でゲラゲラ笑ってる気がするが、今は無視だ。


俺は深呼吸し、あえて一歩踏み出した。


「……アイリス」

「なにかしら?」


彼女がこちらを振り返る。

その瞬間、夜空の星よりも眩しい視線が俺を射抜いた。


喉が渇く。言葉が出ない。けど、今言わなきゃ何も始まらない。


「俺……」


口を開いた瞬間、心臓がドクンと跳ねた。

“デートしたい”だの“攻略したい”だの、軽口の裏に隠してきた本心。

それをぶちまける勇気は、まだ足りてない。


でも。


「……こうして話してる時間、すげぇ楽しいです」


出てきた言葉は不器用で、——情けなくて。

けど、それ以上に正直なものだった。


アイリスは少しだけ目を見開いて、それから――ふっと微笑んだ。


「……奇遇ですわね。わたくしもです」


夜空の下で咲いたその笑顔に、俺は完全に撃ち抜かれた。


(――やばい)


デートとか決闘とか、そんな言い訳めいた理由はもう関係ねぇ。

俺は今、本気でこの人に惹かれてる。


テンペストの笑い声が耳の奥で木霊する。


(……おい相棒、緊張しすぎじゃねーか?)

(うるせぇ! これは……その……!)


言い訳すらできねぇ。

だって今のアイリスは、俺にとって星空よりも輝いていたから。


俺は拳を握り、心の中で決意する。


――次の一手。絶対に間違えられねぇ。


そう思った、その時だった。


「……そういえば」


夜空を仰いでいたアイリスが、ふいにこちらへ視線を向けた。

その透き通るような瞳は、星々よりも冷たく、けれどどこか知的な光を宿している。


「あなた……帝国の元兵士だったと聞いていますが。どういう境遇で育ったのですか?」


…………。


(き、来たぁぁぁぁぁぁ!!)


心の中で絶叫した。

いや、ちょっと待て!? せっかく今、いい雰囲気で夜景見ながら「実は俺も楽しんでます」なんて言えたところだぞ!?

なんでここで急にそんなヘビーな質問ぶっこんでくるんだよ!!


俺の心臓は夜空に打ち上げられた花火のように爆発寸前。

テンペストが肩の上でククッと笑う声がする。


(おい相棒、墓穴掘る準備はできたか?)

(黙れぇぇぇぇ!!!)


けどまあ、アイリス嬢の言葉は至極当然っちゃ当然だ。

だって俺、学園内でもちょっとした有名人なんだよな……。



■俺のプロフィール(世間視点)


・名前:スコール・キャットニップ

・元帝国軍所属。いわゆる「アストラ兵」。

・しかもただのアストラ兵じゃない。「竜核細胞」を植え付けられた、とんでもない被験体。

・さらにさらに、通常の強化兵と違って「前例のない施術」を受けて生き残ったヤベーやつ。

・そんな背景から「連邦特待生枠」でアーク・アカデミアに編入。

・しかも配属されたのは普通の訓練クラスじゃなく、より厄介な実験的カリキュラムのクラス。


要するに、俺は学園内で言えば「お前なんで生きてんの?」ってレベルの存在だ。



でも――記憶がない。


帝国時代の俺が何をして、どうやって生きてきたかなんて、スッカラカン。

ある日目が覚めたら研究所のベッドの上で、「お前、帝国の人造兵士だったらしいよ?」って説明された側なんだから。


だから、正直に答えるしかない。


「え、えっとですね……」


俺は夜風に吹かれながら、額の汗を拭った。


「……その……俺、アストラ兵だった頃の記憶、ないんですよ」


アイリスはきょとんとした顔でこちらを見ている。

おい待て、その小首を傾げる仕草やめろ! 可愛すぎてこっちの理性が飛ぶ!!


「記憶が……ない?」


「そうなんです。いや、マジで。ある日目が覚めたら、帝国から逃げてきてて……で、なんやかんや研究機関に拾われて……で、今に至る、みたいな?」


「なんやかんや」って便利な言葉だよな。俺の人生の七割はこれで説明できる気がする。


アイリスは目を細め、夜空を一瞥した。

風が彼女の金糸の髪を揺らし、ふわりと俺の方に香りが漂う。


「つまり……自分が帝国で何をしていたのか、まるで覚えていないと?」


「は、はい。その通りで……」


俺は情けなく笑う。


(あー……やっぱコレ、マイナスイメージだよなぁ……)


だって考えてみろ。

帝国の元兵士、しかも強化兵として作られた人造人間が、「実は記憶がないんですぅ☆」なんて言ってきたら――絶対信用できないだろ!?

俺だったら距離とるね! 速攻で「こいつ裏切りフラグ立ってんな」って疑うね!


だからこそ、不安だった。

この令嬢に嫌われるのが。


せっかく今いい雰囲気で並んで星空見てるのに、ここで「やっぱり帝国の犬じゃない!」とか言われたら、俺はもう立ち直れねぇ。


(どうする? 誠実に言うしかないよな? いやでもカッコよくごまかす? 「過去より未来が大事だぜ」みたいな? いや、それはクサすぎる……!)


頭の中で選択肢が乱舞する。

まるで恋愛シミュレーションゲームの分岐イベントだ。



テンペストが耳元で囁いた。


(おい、いっそ言っちまえ。「実は帝国時代に数千人斬り倒した無敵の兵士でした」ってな)


(お前の助言は全部物騒なんだよ!! デートで殺戮自慢するやつがどこにいんだよ!!)


(ククッ……じゃあ逆に言え。「実は俺、童貞なんです」って)


(死ぬわ!!!!)


心の中で全力でツッコむ。


必死に頭をひねりながら、俺は口を開いた。


「……その、正直に言うと」


「?」


「自分がどんな風に作られた兵士だったのか……覚えてません。

でも、今はこうして連邦で生きていて。アイリス嬢と並んで星を見上げてる。

……それでいいって、俺は思ってます」


言ってから――ちょっと赤面した。

なんだこの臭い台詞。夜風の冷気で冷やさなきゃ火傷するレベルじゃん。


アイリスはじっと俺を見ていた。

その目に映る俺は、どう見えてるんだろう。


庶民? 兵士? それとも……ただの男?


風が止まった一瞬、彼女は小さく微笑んだ。


「……ふふ。あなた、やっぱり面白い人ですわ」


また言われた! 二度目だ!

俺、面白い=合格って解釈していいのか!?


心臓が爆音で鳴る。


ただ……俺は忘れちゃいけない。

帝国で施された“前例のない施術”。

俺の体に埋め込まれた竜核細胞 《ドラギオン》。

その中に眠る、陽気で残酷な竜人格――テンペスト。


それら全部ひっくるめて「俺」なんだ。


(……俺の正体を知っても、彼女は笑ってくれるのか?)


星空を見上げながら、胸の奥でそんな不安が静かに疼いていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る