第7話 竜核の目覚め



それから、どれだけの時間が経っただろうか。

殴られ、蹴られ、嘲笑を浴び続け――やがて痛みすら感覚を超えていった。

腕も足も鉛のように重く、体は自分のものでありながら、もうほとんど動かせなかった。


意識は何度も途切れかける。

暗闇に沈みそうになっては、また浮かび上がる。

そのたびに口の中に広がる鉄の味が、俺を現実へ引き戻した。


「まずい……」


心の中で呻く。

だが、その言葉が示すのは、このまま死ぬかもしれないという恐怖ではなかった。


——このままじゃ、アイツが出てくる。


それが、俺にとっての本当の“まずさ”だった。



俺はただの特待生じゃない。

いや、ただの人間ですらない。


かつて、俺は帝国に属していた。

第七世代と呼ばれる“実験兵士”。

敗戦の後、連邦に捕らえられ、“調査資料”として扱われた。

そこで行われたのは、徹底した解剖と分析、そして――新たな実験だった。


俺の体には、あるものが埋め込まれている。


竜核細胞――《ドラギオン》。



それは、エルディア大陸各地の遺跡から断片的に発掘される、謎の物質だった。

化石化した竜族の骨から滲み出るように発見される、黒紫に輝く核の欠片。

記録によれば、かつてこの大陸には人類をはるかに凌ぐ竜族が存在し、文明を支配していたとされる。

彼らがなぜ滅びたのかは分からない。だが、その残滓が「竜核細胞」として人類の前に姿を現した。


研究者たちはそれを禁忌と呼んだ。

理由は単純だ。竜核細胞は“過去の記憶”を宿す。

触れた者の脳に、古代文明の断片や竜族の意識が流れ込むことがあるからだ。


そして、俺はその被験者に選ばれた。



帝国で作られた兵士としての素体。

連邦に拾われ、研究対象とされた実験体。

その肉体に竜核細胞が埋め込まれた時点で、俺はもう普通の人間ではなくなった。


普段は封じられている。

だが肉体が極限に追い込まれれば、細胞は反応する。

血管を走る熱、骨髄を焼く疼き。

それが臨界点を越えれば――俺という存在は、俺でなくなる。


「……ダメだ……」


意識の淵で、必死に自分に言い聞かせる。

もし“アイツ”が出てくれば、この倉庫はどうなる。

この連中はどうなる。

そして、アイリスに挑む俺自身の存在は、どうなってしまう。


鎖に繋がれ、無様に嬲られるのは屈辱だ。

だが、それ以上に恐ろしいのは、自分の内に巣くう“竜の因子”が暴れ出すことだった。


「おい、まだ息してやがるぜ!」

「根性だけは一人前だな」

「じゃあもっと叩き込んでやるか!」


従者たちの嘲笑が渦を巻く。

鉄の拳が振り上げられるのを見て、俺は歯を食いしばった。


やめろ……やめろ……!


頼むからこれ以上は――


そう祈った瞬間。


胸の奥で、何かが脈打った。

まるで別の心臓が宿っているかのように。


血管を逆流する灼熱。

背骨を駆け上がる黒い奔流。

意識の奥底から、獣じみた咆哮が響く。


「……ッ!」


視界が赤黒く染まる。

脳裏に、翼を広げた竜の影が揺らめいた。


——アイツが、目を覚まそうとしている。

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