二ノ巻 その三 ―緑風が吹く街の中で―

 みたらし団子を片手に、紫絃しづるはしばし様子を見る。


 年若い男性二人が、先ほどの美しい女性に声をかけていた。

 

 やはり、あの美人さんが目当てらしい。


(……あれ、助けたほうがいいかも)


 紫絃は団子を口にくわえ、群衆の陰を縫うように静かに近づいていく。


 声をかけられている女性は十七歳ほどだろう。


 明らかに王都の雰囲気には慣れておらず、戸惑った様子を見せていた。


「ねぇねぇ、どこから来たの?」


「俺ら、案内うまいんだぜ?」


 男たちは軽い調子で言いながら、じりじりと距離を詰める。


 女性は小さく身を引き、困ったように俯いた。


(これは……助けないと!)


 紫絃は駆け出し、女性のもとへたどり着くと、彼女の袖を取り、満面の笑顔を見せた。


「お姉ちゃん、お待たせー! みたらし買ってきたよー!」


 その言葉に、男たちは一瞬動きを止め、顔を見合わせる。


「あれ? お兄さんたち、もしかしてお姉ちゃんをナンパしてた?」


 紫絃はきょとんとした表情で首を傾げた。


 男たちは言葉を失い、互いに目をそらす。


「分かる、分かるよー。うんうん。お姉ちゃんって、とびっきり美人だもんね」


「でもね、残念。お姉ちゃんは今、家族旅行の真っ最中なのです。だからナンパはまた今度にしてね。ごめんねー」


 屈託のない笑顔に、男たちは肩をすくめるしかなかった。


「……はは、そりゃしゃーねーな」


「悪かったね、良い旅をー」


 そう言って二人は踵を返し、去っていく。


 ―――――――


 背中が見えなくなると、紫絃は小さく息を吐き、女性へ向き直った。


「ふぅ……ごめんなさい、勝手に助けちゃって。大丈夫でした?」


「え、えぇ。助かりました。ありがとう……あなた、優しいのね」


 柔らかく微笑む女性に、紫絃は少し照れくさそうに笑う。


「ボクは紫絃、こっちはモン丸。お姉さんは?」


「私はレフィーエ。旅の見習い研究者なの。仲間と一緒に来たんだけど、少しはぐれちゃって……」


 “見習い”と名乗ったが、その立ち振る舞いにはどこか品格があった。

 

 (ただの旅人じゃないな)と内心で感じる紫絃。


「それなら、一緒に探そうか。ボク、この町詳しいから」


「いいの? ありがとう。とても助かるわ」


 こうして、紫絃とモン丸、そしてレフィーエの不思議な同行が始まった。


 ―――――――


 日が傾き始める頃、通りの一角から小さな泣き声が聞こえてきた。


 見ると、まだ五歳ほどの男の子が一人で立ち尽くしている。


「どうしたの?」


 紫絃がしゃがみ込み、視線を合わせる。


「ママが……いないの……」


 涙に濡れた瞳が震えていた。


 その光景を見た瞬間、紫絃の胸がちくりと痛む。


(……あのときのボクも、こんな顔してたのかな)


 幼い日の記憶――

 

 何も分からないまま、知らない場所に一人で放り出された夜。


 暗闇の中で呼んでも応えのない声を、どれだけ聞こうとしただろう。


 その記憶の奥に滲む寂しさを振り払うように、紫絃はそっと息を吸った。


 モン丸がその横顔を見つめ、少しだけ目を細める。

 

 まるで「もう一人じゃないよ」と伝えるように。


 紫絃は気づかぬまま、泣く子どもの前に歩み寄った。


 紫絃は優しく微笑み、ポケットからヨーヨーを取り出す。


「じゃじゃーん! 見てて、これね――」


 ヨーヨーを振り下ろすと、すっと糸が伸び、玉が地面スレスレで回転する。

 

 玉が陽光を反射させて、キラキラと輝いている。


 そこから、紫絃は円を描くように回したり、上空へ弧を描くように投げたり、糸であやとりを始めたりする。

 

 足元ではモン丸がぴょんぴょん跳ね、玉を追いかけていた。


「ストリングプレイ・ス〇イダーベイビー!」


 最後の技を決め、糸を外して上空に放る。

 

 玉が空中で糸を巻き取り、そのまま落下して紫絃のポケットに収まった。


「すごい……!」


 少年の顔に笑みが戻る。


「ね、笑った顔のほうがずっと良いよ。よし、一緒にお母さん探そっか」


 レフィーエも膝をつき、少年の頭を優しく撫でる。

 

 彼女の掌からは、淡い光があふれ、泣きはらした瞳が落ち着いていった。


 癒やしの魔法――やはり彼女は、ただ者ではない。


 やがて通りの向こうから、少年を呼ぶ女性の声が聞こえる。

 

 紫絃たちは少年を連れて駆け寄った。


 母親は涙を浮かべながら子を抱きしめ、何度も頭を下げる。


「よかったね」


「うん! ありがとう、お兄ちゃん、お姉ちゃん! それにねこちゃん!」


 少年は大きな声で礼を言い、母と手をつないで去っていった。


 紫絃とレフィーエは、静かにその背中を見送る。


「……やっぱり優しいのね、あなた」


「ううん。ただ、見過ごせなかっただけ」


 紫絃は少し照れくさそうに笑った。


 ―――――――


「そういえば、探してた仲間の人って、どんな人?」


「ええと……同じく研究者の女性で、角のある人なの。見た目は少し珍しいかもしれないけど、優しい人よ」


(角……ってことは、有角人種ゆうかくじんしゅか)


「そうなんだねー」


 紫絃が歩きながら答えたそのとき、遠くで誰かがレフィーエの名を呼ぶ。


 声の方向を見ると、長身で肌の少し赤い女性が手を振っていた。

 

 頭の横には、巻いた角が二つ。


「レフィーエ様!」


「ミリー!」


 その瞬間、レフィーエの表情がほっと緩む。

 

 胸に積もっていた緊張がほどけ、二人は駆け寄って抱き合った。


 再会を喜ぶ二人を見て、紫絃は小さく微笑む。


「よかった、見つかったね」


「ええ、本当に……ありがとう、紫絃くん」


 レフィーエは深々と頭を下げ、角の女性と並んで歩き出す。

 

 そして、途中でふと振り返った。


「モン丸、あなたもありがとう。……あなたが傍にいてくれるから、紫絃くんはこんなに優しいのね」


 モン丸は紫絃の肩の上で、静かに「にゃ」と鳴く。

 

 その声はまるで「当然にゃ」と言っているようで、レフィーエの唇に柔らかな笑みが浮かんだ。


「ふふっ、頼もしいわ。――またどこかで会えたら、そのときは“レフィー”って呼んでね」


「うん、約束するね! レフィーお姉ちゃん!」


 紫絃は明るく笑い、両手を大きく振った。

 

 モン丸も肩の上で前足を小さく動かす。


 レフィーエは少し驚き、それから目を細めて手を振り返した。

 

 夕陽の中で微笑むその姿は、まるで“緑の風”が通り抜けるように優しかった。


 ―――――――


 その背中を見送りながら、モン丸が肩の上で小さく鳴く。


「しづる、をつづけるにゃ?」


「うん。もう少しだけ、王都の人たちの話を聞いておきたい」


 紫絃は人込みに溶け込みながら、再び情報収集を始めた。


 だが、誰もが隕石の話を“珍しい出来事”として笑って語るばかり。

 

 天蜴人リザーディアンの名を口にする者は、誰一人としていなかった。


 三百年という歳月が、人々からその恐怖の記憶を完全に奪い去っていたのだ。


(……この平和が、ずっと続けばいいのに)


 紫絃は空を見上げる。


 穏やかな風が街を包み、遠くの空で、かすかな光が瞬いた。

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