第2話「天然記念物保護区」
---
## 桜吹雪の彼女 第二話
あの一件以来、オフィスでの花村佐知子の扱いは、少しだけ変わった。
「聖域」から「天然記念物保護区」へ。遠巻きに見守る姿勢は変わらないが、その視線にはどこか温かいものが混じるようになった。書類の山が崩れそうになれば、誰かがそっと支え、彼女がくしゃみをすれば、部長がビクッと反応する。
そして、田中は決意していた。
あの桜吹雪の中心で見た、弱くて、愛らしい彼女の素顔を、もっと知りたい。
昼休み。田中は深呼吸を繰り返し、意を決して花村のデスクへ向かった。オフィス中の視線が突き刺さるのを感じる。皆、固唾を飲んで彼の特攻を見守っていた。
「あ、あの! 花村さん!」
花村がPC画面から顔を上げる。その大きな瞳が、不思議そうに田中を捉えた。
「もしよろしければ! 今度の金曜日、お食事ご一緒していただけませんか!」
田中は、人生最大の勇気を振り絞って言い切った。90度に曲げられた腰は、彼の本気度を示している。
オフィスが、シンと静まり返った。
鈴木先輩は「うわ、アイツマジかよ…」と頭を抱え、向かいの同僚は「逝ったな(笑)」とスマホの画面に隠れて肩を震わせている。誰もが、次に起こるであろう春の嵐を警戒し、身構えた。
しかし、予想に反して桜吹-雪は起こらなかった。
代わりに、花村は小さく俯き、その肩がくすくすと震え始めた。やがて顔を上げた彼女の目元は、楽しそうに細められている。
そして、凛とした声で、こう言ったのだ。
「咲いて散るのが花ならば」
「……え?」
「咲いて乱れるもまた花でしょう」
そう言い終えると、彼女は悪戯っぽく片目をつむり、小さく会釈して再び仕事に戻ってしまった。
取り残された田中は、ただ呆然と立ち尽くす。
オフィスは、困惑の渦に包まれた。
「……おい、今のどういう意味だ?」
「禅問答か?」
「振られたんだろ、アレは。『私は高嶺の花よ』的な?」
「いや、『派手にやらかしましょう』って意味じゃね?」
「田中、ドンマイ(笑)」
結局、その日の午後は誰も仕事が手につかず、「咲いて乱れるもまた花」の意味を巡って、社内SNSの裏チャンネルで激論が交わされたという。
---
その夜。田中は自宅のマンションで、今日の出来事を反芻していた。
(振られたんだろうか……いや、でも、あの時の花村さん、すごく楽しそうだった……)
ベッドの上で悶々としながら、スマホのメッセージアプリを開く。昼間のうちに交換した、彼女のアカウント。アイコンは、控えめな桜の盆栽の写真だ。
『田中です。今日はありがとうございました。それで、金曜日の件ですが……』
ここまで打って、指が止まる。
もし、本当に断られていたら? これ以上踏み込むのは野暮じゃないか?
いや、でも、「咲いて乱れる」って、OKってことだよな? そうだろ?
数十分の葛藤の末、田中はええいままよと送信ボタンを押した。
既読は、すぐについた。
心臓が早鐘を打つ。返信はまだか。
その時、画面に非情な通知が表示された。
**『花村佐知子さんからブロックされました』**
「…………へ?」
時が、止まった。
田中はスマホを握りしめたまま、完全にフリーズする。
ブロック? なぜ? 何かの間違いでは?
彼は何度もアプリを再起動し、スマホの電源を入れ直した。だが、結果は変わらない。彼女のアカウントは、「メンバーがいません」という無機質な表示に変わり果てていた。
「さ、咲いて乱れるって……そういう意味じゃなかったのかよぉぉぉっ!!」
田中の悲痛な叫びが、ワンルームの部屋に虚しく響き渡った。
頭の中では、「逝ったな(笑)」という同僚の声が、エンドレスでリフレインしていた。
かくして、田中の一世一代の恋の蕾は、咲く前にブロックされ、儚く散ったのであった。
……かに、思われた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます