twinkling 5|ひかる★★


 三番目の記憶は、嫌な記憶。

 あって欲しくない記憶。

 消えちゃえばいい記憶。

 アイツが小さな部屋に来た記憶。


 男のくせに髪が長くて、くるくるしてて、てかてかしてて、いつもタバコを吸ってたアイツ。けむりを吸っちゃったひかりが、ごほんごほんして苦しそうにしてても、ぷぅはーと、平気な顔してタバコの煙を吐き出してたアイツ。おれが何回頼んでもやめてくれなかった。やめないかわりに、


「うぜえ」


と言って、おれを蹴った。

 用事を頼んだついでに「ああ、そうそう、そういえばさ」みたいな感じで、蹴った。お尻、お腹、顔、どこでも蹴られた。おれは、その度にカメになった。全部のチカラをぎゅぅぅぅぅぅぅっと出して、まるまった。カチカチの甲羅。そうすれば、チャラチャラヘッチャラ、へのへのカッパだった。


 お母さんは、最初の内、やめるように言ってくれた。でも、おれ、何もしていないのに蹴られるようになってからは、お母さんは何も言わなくなった。言っても言わなくても、アイツの気分次第で蹴るんだから、言うのがやんなっちゃんだ。お母さんは、おれが蹴られていても、もう見ようともしなかった。ケータイから目を離さず眺めているだけだった。



 保育園?

 行ったことあるよ。ほかの子と仲良くなるまえには違う保育園に連れて行かれたけど。そういうのを何回か繰り返してたら、連れてってもらえなくなった。どの保育園でも、


「ひかるくん、お怪我はどうしたの?」


て聞かれた。おれは「カメになってたからだよ」て答えた。それ以外のことは言わなかった。なんか、言ったらいけない気がしたから。

 「お怪我」のこと、一度だけお母さんに言ったら、部屋から出たらダメだと言われた。だから、そうしてた。ひかりはまだちっちゃかったから、ときどき、お母さんに連れられて保育園にお泊まりに行ってた。お泊まりできる保育園があるんだって。


 おれ?

 おれは行ったことないよ。お泊まり保育園。だから、夜は、いつも、ひとり。ううん、怖くないよ。でも、ひかりがいないから、ちょびっとだけさみしいよ。さみしいときは、窓の外からお星さまをみた。きらきら、きらきら、お星さま。眠くなったらソファーで眠った。ううん、そんときはカメじゃないよ、猫みたいにまるまってだよ。



「あしたから小学校だから」

てお母さんに言われた日、おれの髪の毛は、きいろいお星さまになった。


「最初にナメられないため」

だってお母さんに言われた。小学校に行ったら、きいろいお星さまみたいな色の髪の毛は、おれひとりだけだった。子どもたちより、大人たちの方が、おれのことをじろじろ見てたよ、目をこーーーーーんなにおおきくして、まゆげとまゆげの間にクレヨンで書いたみたいな太い線がでてた。でも、次の日には、おれの髪の毛は前の色に戻った。お母さんは、


「歴史つくったじゃん」

と言って、けらけら笑った。お母さん、家ではあんまり笑わなかったから、うれしかった。あいかわらず、ケータイを眺めていたけど。


 ねえ、

なんなんだろうね、ケータイって、そんなに見なきゃいけないものなのかな?大人になるとそうなの?そうしたらさ、ひかりの顔も見れないし、お星さまも見つけられないし、おおきな虹も、ひこうき雲も、竜の巣も見つけられない。大事なものをぜんぶ見逃しちゃうよ。


 ケータイって、そんなに大事なもの?



 おれは二年生になった。

 背が伸びた。チカラも強くなった。ひかりは、まだ、ちっちゃかった。チカラも弱かった。女の子だしね。やっぱり、おれが守ってあげなくちゃ。


 学校は、楽しかった。

 一番の親友はともやだ。だって、ともやって面白いんだ。授業中、いつも冗談を言ってクラスのみんなを笑わせてる。それに物知りで、おれの知らないことをいっぱい教えてくれる。足もおれの次に速いし、サッカーもうまい。だから、おれとともやが組んだらぜったいに負けない。


 一年から同じ担任の望月先生も、大好きだった。顔は怖いし、声は大きし、ふだんは厳しいけど、頑張ったときはすごい褒めてくれるし、弱い者いじめはぜったいに許さないし、ときどき、学校の外で会ったときなんか、「内緒だぞ」と言ってガムとかチョコレートをひとつくれたんだ。みんなからは、モッチーて呼ばれてた。本人は「望月先生と呼びなさい」と言ってたけど、顔は笑ってた。三年生になっても、また、モッチーがいいな。でも、



 おれが三年生になることは、なかった。



 あのときは、ひかりがクレヨンでお空を描いてたんだ。お母さんが居ないのにアイツが勝手に部屋に入って来た。お絵描きをしてたひかりを、「どけ」って足で押したんだ。ひかりはクレヨンを持ったまま床に倒れて泣いた。転んだときに、ひかりの持っていたクレヨンがアイツの真っ白なズボンに触れた。アイツのズボンには水色の線がぴーって出来た。それを見たアイツは、泣いてるひかりから水色のクレヨンを無理やり奪い取って、ひかりに投げつけた。アイツの投げた水色のクレヨンは、すごい勢いでひかりのほっぺに当たって、ひかりのほっぺに水色のしみをつけた。そして、ころんと床に転がった。泣いていたひかりは、一瞬泣き止んだ後、もっと泣いた。


 おれが守らなきゃ!


 おれはアイツに突進した。

 二年生になったおれは強くなったんだ。からだにチカラがあふれた。勇気もあふれた。いかりもあふれた。何もかもがあふれた。あふれるもの全部でアイツの足に突進した。突然のことだったから、アイツもびっくりした顔をして、床に尻もちをついた。どうだ!ひかりをいじめたら、ゆるさないんだ!!


 おれはアイツに言った。

「ひかりをいじめるなっ!!!」


 アイツは、みるみるうちに、とんがった三角の目になって立ち上がると、おれに近づいて来た。悪魔みたいな顔をしてた。おれはカメになろうとしたけど、アイツの方が速かった。


 ドカッ!!!


 大きな音がしたのと、おれのからだがぶっ飛んだのは同時だった。お腹にものすごい痛みを感じて、息ができなくなった。直後に、反対側のお腹にもものすごい痛みを感じた。おれは、カメになれないままアイツに蹴られ続けた。数えられないくらい、何回も蹴られた。怖くて、痛くて、不安で涙が出た。でも、おれはお兄ちゃんだから、ひかりを守るお兄ちゃんだから、がんばるんだ!


 まけないんだ!!





 据えた臭いが鼻をつき、目を覚ます。

 頬は自分の吐瀉物で汚れている。どれくらい気を失っていてのだろう。三回蹴られたところまでは覚えてる。たぶん、


 そうだ、ひかりは??


 ひかりを探そうと起きあがろうとするが、からだが動かない。砂浜に埋められたときのことをおもいだす。ひかるの記憶にある、数少ない幸せなおもいでのひとつ。束の間、ひかるの全身を痛みが襲う。痛みには慣れっこだったが、いままで感じたことのない痛みに襲われる。



 ひかり……



 声にならない声をだす。



 おれ……

  兄ちゃんだから……

   ひかりのこと守んなきゃ……


 動かないからだで、唯一動く目を使って、ひかりを探す。見える範囲にひかりはいない。窓の外は暗い。空は、真っ黒な絵の具にすこし水が混ざった色をしている。



 夜なのかな……



 空にひときわ輝く星がみえる。



 きらきら星だ!



 ひかるは咄嗟にお願いする。



 お星さま、おねがいです。ひかりを……妹のひかりを守ってください……


 お星さま、おねがいです。ひかりを……わるものから守ってください……


 お星さま、一生のおねがいです。ひかりのことを……ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、ずっと、まもって……………





 星はどんどん遠のいて行った。遠のいて行ったのは星ではなく、ひかる自身の意識だったことを、ひかるが知ることはなかった。


 二〇〇六年五月十一日、

小さな部屋で、夕星ゆうづつに見守られながら、ひかるの命のロウソクがひっそりと消えた。ひとつの小さな命が、暗い空へとのぼった。吐瀉物に塗れた白い頬を、十三番目の月に反射した光が微かに照らしていた。

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